Quantcast
Channel: 翡翠の千夜千曲
Viewing all 372 articles
Browse latest View live

今日の作曲家 ウンベルト・ジョルダーノ

$
0
0
 
イメージ 1
 
11月112日 今日の音楽こよみ
ロシアの作曲家、アレクサンドル・ボロディン誕生(1833〜1887)
女性ジャズ歌手、ジョー・スタッフォード誕生(1920〜)
ジャズ・サックス奏者、チャーリー・マリアーノ誕生(1923〜)
ハンス・プフィッツナー、オペラ『心』初演で初めてサイレンの音を使用(1931)
シンガーソングライター、ニール・ヤング誕生(1945〜)
イタリア・ロマン派のオペラ作曲家、ウンベルト・ジョルダーノ没(1867〜1948)
ロック・オペラ『ロック・ジャスティス』がサンフランシスコで初演(1979)
 
Mirella Freni (Fedora Romazoff)
Plácido Domingo (Loris Ipanoff)
Adelina Scarabelli (Olga Sukarew)
Alessandro Corbelli (De Siriex)
Luigi Roni (Cirillo)
conductor: Gianandrea Gavazzeni
 
 
 \¦¡­󥸥ã\ó\벻³Ú - ²»³ڥ֥���¼
 
  恥ずかしながら、ウンベルト・ジョルダーノについては知らなかった。ウィキペディアより記事を拝借する。マスカーニと同時代の人だったようだが、マスカーニもまたカヴァレリア・ルスティカーナ一作のみのヒットで相当に苦しんだようだし、おまけに独裁政権に取り入ったことが災いして後世も苦しんだのだから何が幸いかはわからない。
 
   ウンベルト・ジョルダーノ(Umberto Giordano, 1867年8月28日フォッジャ - 1948年11月12日)はイタリアのオペラ作曲家。
 
   南イタリアの町フォッジャ生まれ。13歳でナポリ音楽院に学ぶ。在学中実家の経済状態が悪化し、一時退学して地元のオペラ劇場でアルバイトをしながら糊口をしのぐが、学校関係者の尽力で復学する。
 
  1890年、最初のオペラ《マリーナ Marina》を学内の選抜試験のために作曲。地元出版社ソンツオーニ社主催の「一幕オペラコンテスト」に応募するも落選。(ちなみに第一位はマスカーニの《カヴァレリア・ルスチカーナ Cavalleria Rusticana》)だが、その才能が周囲に認められる。
 
   出版社の後援を受けて第2作目《堕落した生活 Mala Vita》が創作されたが、これは自分の結核が治るなら娼婦を改心させてみせるという人夫についてのヴェリズモ・オペラで、1892年にローマで上演された時、煽情的な内容と激しい音楽が受け入れられず大失敗となり、地元ナポリでは町の恥と観客が怒り、暴動騒ぎとなる。ジョルダーノは、次回作のオペラ《ディアス女王 Regina Diaz》(1894年)によって、もっとロマンティックな創作姿勢をとろうとしたが、これもまた失敗作となり、わずか2回の上演で舞台から消えてしまった。
 
  心機一転をはかるべくジョルダーノは活動の拠点をミラノに移し、ヴェリズモ・オペラの第一人者であるマスカーニの知遇を得、私生活面でもミラノ・グランドホテルのオーナーの娘と結婚するなどゆとりが生まれる。そんな中、満を持してフランスの詩人アンドレ・シェニエの生涯に基づく最も有名なオペラ《アンドレア・シェニエ Andrea Chénier》(1896年)を発表。
 
  大成功をおさめる。ここでジョルダーノは再び「ヴェリズモ」的な創作姿勢に立ち返った。第5作目の《フェードラ Fedora》(1898年)も成功し、今なお上演されている。その後はヴェリズモ・オペラの影響から抜け出せず不振のまま没した。後年の作品はそれほど有名とはいえないが、時どき蘇演されることがある。
 
その他の作品
誓い Il Voto (1897年):上記 Mala Vita の改作
シベリア Siberia (1903年、改訂1927年)
マルチェッラ Marcella (1907年)
マリアの唇 Mese mariano (1910年)
マダム・サン=ジェーヌ(物怖じしない夫人) Madame Sans-Gêne (1915年)
おふざけの夕食 La cena delle beffe (1924年)
王 Il Re (1929年)
ニロの祭り La festa del Nilo (未完成)
 
<演奏データ>
Freni (アーティスト), Arteta (アーティスト) | 形式: DVD
出演: Freni, Arteta, Domingo
形式: AC-3, Dolby, DTS Stereo, DVD-Video, NTSC, Subtitled, Import
言語 イタリア語
字幕: 中国語, 英語, フランス語, ドイツ語, スペイン語
販売元: Deutsche Grammophon
DVD発売日: 2004/09/13
ASIN: B0002K70C4

今日のモーツアルト「ソナタ 第36番」 変ホ長調 K.380

$
0
0
イメージ 1
今日のモーツアルト
ソナタ 第36番 変ホ長調 K.380 (374f)

I.Allegro 変ホ長調 4/4 ソナタ形式
II.Andante con moto ト短調 3/4 ソナタ形式
III.ロンドー Allegro 変ホ長調 6/8 ロンド形式
〔編成〕 p, vn
〔作曲〕 1781年4月7日? ウィーン
 
 
 
 
 
\¦¡­󥸥ã\ó\벻³Ú - ²»³ڥ֥���¼ 
 気合の入った1曲である。これを書いた当時のモーツアルトの気持ちが偲ばれる気がする。実に、入念に書かれている。
 
「ヴァイオリン伴奏つきのソナタ」について、ト長調の曲(K.379)であると思われていたが、変ホ長調の曲(K.380)の自筆譜に「ソナタ第1番」と書かれていることと、ト長調の曲よりもピアノ協奏曲風なところがあるなどの理由で、現在はこのソナタ(K.380)であるとする説(カール・マルゲール)が支持されている。
 
 最初は「アレグロ」(K.372)を「ソナタ第1番」として一連の作品集を構想しようとしたが、何らかの理由で(ブルネッティと関係することかもしれない)それを捨て、ウィーンでの第一作となるこのソナタ(K.380)を改めてその「第1番」としたことに作曲者の意図が感じられる。 アインシュタインは K.379 と K.380 について

 第三曲(ト長調)と最後の曲(変ホ長調)の一対は強い対照をなしている。 後者は輝かしい曲で、半音階によっていちじるしく活気を与えられたト短調のアンダンテと、ピアノ・コンチェルトのフィナーレに用いてもよいような狩猟ホルンの主題によるロンドを持つ。 前者は壮麗で激動的なアダージョによって導入され、やや市民的で気楽すぎる変奏曲によって結ばれ、ト短調の情熱的なアレグロを持つ。
                               [アインシュタイン] pp.351-352
と、その性格の違いを評している。

 なお、この演奏会は大成功だった。 そして余談であるが、27日にも開かれて、大司教は大いに「虚栄心をくすぐられた」が、逆にモーツァルトの方はウィーンで独立してやっていける自信を深めることになった。 ただし父のためには、大司教の従僕という屈辱に耐えて、ザルツブルクに戻ることもぎりぎり残っているように見せかけていた。

 ザルツブルクの大司教が昨日ぼくを永遠に(もちろんあの人だけのことですが)失ってしまわなかったのは、ひとえにお父さんのおかげだったのです。 昨日ぼくたちのところで、おそらく最後の、大発表会がありました。 発表会は上乗の出来でした。 そして大司教猊下のいろいろな妨げがあったにもかかわらず、ぼくはけっきょくブルネッティよりもましなオーケストラを持ちました。
                                [手紙(上)] p.248

 どんなことがあったかは手紙に書くより直接話す方がいいとし、チェッカレリからあとで聞くことができると父に伝えている。 そして「もし二度とそんなことが起こるとしたら、もう我慢ができない」とも。 たぶんモーツァルト自身はとっくに我慢の限界を越えていて、自立を決心していたが、ザルツブルクの父にその現実を受け入れる気持ちの準備をしてもらおうと考えていたのだろう。 大司教との縁を切ったことはまもなく、5月9日に父に伝えらるのであった。
 
 
 
<演奏データ>
モーツァルト:ピアノとヴァイオリンのためのソナタ集 
ムター(アンネ=ゾフィー) | 形式: CD 4枚組
ディスク:3
1. ピアノとヴァイオリンのためのソナタ 第24番 ハ長調 K.296 第1楽章:Allegro vivace    
2. ピアノとヴァイオリンのためのソナタ 第24番 ハ長調 K.296 第2楽章:Andante sostenuto    
3. ピアノとヴァイオリンのためのソナタ 第24番 ハ長調 K.296 第3楽章:Rondeau.Allegro    
4. ピアノとヴァイオリンのためのソナタ 第36番 変ホ長調 K.380(374f)第1楽章:Allegro    
5. ピアノとヴァイオリンのためのソナタ 第36番 変ホ長調 K.380(374f)第2楽章:Andante con moto    
6. ピアノとヴァイオリンのためのソナタ 第36番 変ホ長調 K.380(374f)第3楽章:Rondeau.Allegro    
7. ピアノとヴァイオリンのためのソナタ 第43番 ヘ長調 K.547《初心者のために》第1楽章:Andantino cantabile    
8. ピアノとヴァイオリンのためのソナタ 第43番 ヘ長調 K.547《初心者のために》第2楽章:Allegro    
9. ピアノとヴァイオリンのためのソナタ 第43番 ヘ長調 K.547《初心者のために》第3楽章:Thema.Andante-Variazioni 1-6    
10. ピアノとヴァイオリンのためのソナタ 第30番 ニ長調 K.306(300l)第1楽章:Allegro con spirito    
11. ピアノとヴァイオリンのためのソナタ 第30番 ニ長調 K.306(300l)第2楽章:Andantino cantabile   
12. ピアノとヴァイオリンのためのソナタ 第30番 ニ長調 K.306(300l)第3楽章:Allegretto 

今日のモーツアルト「四手のためのピアノ・ソナタ」 ニ長調 K.381

$
0
0
イメージ 1
今日のモーツアルト
四手のためのピアノ・ソナタ ニ長調 K.381 (123a) 

Sonata for piano by four hands, in D I.Allegro con spirito
ニ長調 4/4 ソナタ形式
II.Andante ト長調 3/4 ソナタ形式
III.Allegro molto ニ長調 2/4 ソナタ形式
■作曲 1772年半ば頃 ザルツブルク
 
11月15日 今日の音楽こよみ
オーストリアのオペラ作曲家、クリストフ・ヴィリバルト・グルック没(1714〜1787)
メンデルスゾーンの交響曲第5番「宗教改革」演(1832)
ホルストの組曲『惑星』全曲初演(1920)
ムード音楽の巨匠、マントヴァーニ誕生(1905〜1980)
指揮者、ピアニストのダニエル・バレンボイム誕生(1942〜)
ショスタコーヴィチのオラトリオ「森の歌」初演(1949)
エルヴィス・プレスリーの初主演映画『やさしく歌って』がニューヨークでプレミア上映(1956)
アメリカの指揮者、フリッツ・ライナー没(1888〜1963)
アメリカの歌手、ケニー・ロジャースの「レイディ」が全米1位に(1980) 
 
 
 Daniel Barenboim & Lang Lang Mozart Piano Sonata in D for Piano 4-hands, K.381

1.Allegro
2.Andante
3.Allegro molto
 
 
\¦¡­󥸥ã\ó\벻³Ú - ²»³ڥ֥���¼
 
    フィガロの「もう飛ぶまいぞ」に似たフレーズがいきなりあらわれて驚いてしまうが、縦横無尽に行きかうフレーズにかき消されて、モーツアルト節はあっという間に1楽章を終えて穏やかな二楽章に入っていく。姉のナンネルと一緒に弾くために作られたのだろうが、それは豊かで穏やかな時間で埋め尽くされている。
 
  姉のナンネルが持っていた自筆譜についてのプラートによる筆跡研究から、1772年ころの作であると推定されている。 また、残された手紙にたびたび「2つの四手のためのソナタ」と記されていることから、同時期に作られた「変ロ長調 K.358」と双子の作品とされている。 アインシュタインは「おそらく1772年はじめの」作曲と推測し、この曲を次のように特徴づけていた。
 イタリア風シンフォニアを四手に編曲したものと見るのがよい。 もちろんそれは、二、三の管楽器群、トゥッティと伴奏とがはっきりわかれているシンフォニアの意味である。 そのためにモーツァルトはこの曲のアンダンテで、正当な楽器編成法の効果を用いている。 それは、彼が第一奏者の旋律を、第二奏者の《ファゴット》または《チェロ》の二重オクターヴで強化している場合である。
                           [アインシュタイン p.369]

 最新の研究成果から編纂された「モーツァルト全作品事典」(ザスロー編)でも、型どおりの急・緩・急のイタリア風交響曲あるいはオペラ序曲を「19歳のモーツァルトは冷静に鍵盤楽器に適合させ、フォルテピアノとチェンバロのどちらでも同等に効果的な響きを生み出す作品に仕上げた」(レヴィン[全作品事典 p.374])と説明している。 ただし、1772年の成立ならば作曲者はまだ「16歳」である。
 この曲の自筆譜はバラバラにされ、失われたページもあるため、全7葉中2葉が個人蔵で残るのみ。 1783年アルタリア社から初版された。
 
 ※ 森下氏の記事に翡翠が加筆した。
 

<演奏データ>
モーツァルト:2台と四手のためのピアノ作品集 
マルタ・アルゲリッチ, アルゲリッチ(マルタ),ラビノヴィチ(アレクサンドル) | 形式: CD
演奏: アルゲリッチ(マルタ), ラビノビチ(アレクサンドル)
作曲: モーツァルト
CD (2004/1/21)
ディスク枚数: 1
レーベル: ワーナーミュージック・ジャパン
収録時間: 70 分
ASIN: B0000ZP4OC
EAN:  4943674049271
1. 2台のピアノのためのソナタ ニ長調K.448(375a)    
2. アンダンテと5つの変奏曲ト長調K.501(四手のための)    
3. 四手のためのピアノ・ソナタ ハ長調K.521   
4. 四手のためのピアノ・ソナタ ニ長調K.381(123a)

今日のモーツアルト 「ピアノと管弦楽のためのロンド」 K.382

$
0
0
イメージ 1
今日のモーツアルト
ピアノと管弦楽のためのロンド K.382

Concerto Rondo for piano in D •Andante grazioso
ニ長調 2/4 ロンド形式 主題と7変奏、カデンツァとコーダを持つ
〔編成〕 p, fl, 2 ob, 2 hr, 2 tp, timp, 2 vn, va, bs
〔作曲〕 1782年3月 ウィーン
 
11月16日今日の音楽こよみ
ドイツの作曲家パウル・ヒンデミット誕生(1895〜1963)
「セントルイス・ブルース」の作曲家、W.C.ハンディ誕生(1873〜1958)
世界で最初の映画音楽『ギュイーズ公の暗殺』公開演奏(1908)
ハチャトゥリアンのバイオリン協奏曲初演(1940)
NHKが戦後第1回の全国児童唱歌ラジオコンクール開催(1947)
シンガー・ソングライター、来生たかお誕生(1950)
ジャズ・ピアニスト、アル・ヘイグ没(1924〜1982)
 
 
 
\¦¡­󥸥ã\ó\벻³Ú - ²»³ڥ֥���¼
   ウイーンで自立したとは言え生活の糧を得ていたのは主にピアノ教師としての収入であった。この音楽の都で確固たる地位を築いていくことはより確かな収入を得るためにも必要であった。
 
 そのためにとられた一つの方法は予約音楽会をはじめとする音楽会で、自分の作品を紹介し、またピアノ演奏家としての腕前を見せることでもあった。モーツアルトは、自分で主催した予約音楽会で、毎回新しいピアノ協奏曲を発表していった。
 
  この曲は、こうした目的のために書かれた。ピアノ協奏曲の初期の作品である。モーツアルトは、1782年3月3日に開催された音楽会で、8年も前に作曲されたピアノ協奏曲K.175を取り上げたが、この時終楽章をこのロンドに代えて演奏し、大喝采を博したのであった。この言わば代用品ともいえる作品だが、モーツアルトは好んでいたらしく、その後演奏会でも何度か演奏している。

 変奏曲形式でロンドの性質を持つ陽気で愛らしい主題と7つの変奏曲の後、カデンツをはさんで、冒頭主題を素材としコーダで曲が終了する。
 
 突然ですが、千の音色でつなぐ絆を知っていますか。下の画像にリンクを貼ってありますので、関心のある方はご覧ください。

 このプロジェクトは、東日本大震災の被災者支援のために、ヴァイオリンドクターの中澤宗幸氏が、被災地で生まれ育った木材でヴァイオリンを製作し、氏の思いに賛同する仲間たちがこのプロジェクトを実施するための組織「命をつなぐ木魂(こだま)の会」を作り、その楽器の演奏を通して被災された方を励まし、亡くなられた方に鎮魂の祈りを捧げ、この震災でおきたことを風化させずに世代を超えて語りつないでいくことを目的としています。

イメージ 2
 
<演奏データ>
モーツァルト:ピアノと管弦楽のためのロンド 他 
オーケストラ・アンサンブル金沢 | 形式: CD
CD (2010/5/26)
ディスク枚数: 1
レーベル: ワーナーミュージック・ジャパン
収録時間: 63 分
ASIN: B003A9FMR4
EAN:  4943674098071
1. 歌劇「ディドとエネアス」組曲 序曲    
2. 歌劇「ディドとエネアス」組曲 勝利の踊り(第1幕)    
3. 歌劇「ディドとエネアス」組曲 復讐の女神達の踊り(第2幕)   
4. 歌劇「ディドとエネアス」組曲 リトルネッロ(第2幕)    
5. 歌劇「ディドとエネアス」組曲 水夫の踊り(第3幕)    
6. 歌劇「ディドとエネアス」組曲 魔女の踊り(第3幕)    
7. ピアノと管弦楽のためのロンド ニ長調 K.382    
8. ピアノ、弦楽四重奏と弦楽合奏のための「若きアポロ」Op.16   
9. 小管弦楽のための2つの小品 春を告げるかっこうを聴く   
10. 小管弦楽のための2つの小品 夏の夜に川面で   
11. 交響曲 第104番 ニ長調 Hob.I-104「ロンドン」 第1楽章    
12. 交響曲 第104番 ニ長調 Hob.I-104「ロンドン」 第2楽章    
13. 交響曲 第104番 ニ長調 Hob.I-104「ロンドン」 第3楽章    
14. 交響曲 第104番 ニ長調 Hob.I-104「ロンドン」 第4楽章 
 
 

今日の作曲家 アンブロワーズ・トーマ(トマ)

$
0
0
イメージ 1
今日の作曲家
アンブロワーズ・トーマ
 
 
11月17日 今日の音楽こよみ
フランスの作曲家、アンブロワーズ・トーマのオペラ『ミニョン』初演(1866)
チャイコフスキーの交響曲第5番初演(1888)
カナダのシンガーソングライター、ゴードン・ライトフット誕生(1938〜)
作曲家、弘田龍太郎没(1892〜1952)
ブラジルを代表する作曲家、エイトール・ヴィラ=ロボス没(1887〜1959)
日本ロック界のドン、内田裕也誕生(1939〜)
ホイットニー・ヒューストンが初演映画『ボディガード』のサントラ盤をリリース(1992)
 
 
 
 
 
 
 
  私が知っている作品は、ご多分に漏れず「ミニヨン」の君を知るや南の国だろう。しかしながら、人物や細かい事柄は明るくない。ここは、例によってウィキペディアの力を借りることにしたい。メロディメーカーではあるが、迫力あるストーリーは好まないのか物足りなさを感じるのは私だけだろうか。
 
 シャルル=ルイ=アンブロワーズ・トマ(Charles Louis Ambroise Thomas, 1811年8月5日 メス - 1896年2月12日)はフランスのオペラ作曲家。
 
 代表作は「君よ知るや南の国」を含む『ミニョン Mignon』(1866年)と『ハムレット Hamlet』(1868年)。そのほか約20曲のオペラ作品や室内楽曲、合唱曲などがある。
エマニュエル・シャブリエは「良い音楽と悪い音楽とがある。それとアンブロワーズ・トマの音楽もある」とコメントを残している。
 
 フランス東部のメスに生まれ、生家は今でも現存する。幼児期より音楽家で弦楽器奏者であった父親にピアノやヴァイオリンの演奏法を学ぶ。12歳の時(1823年)に父親と死別した後、母と兄と共にパリへ移り住み、1828年にパリ音楽院に入学。ジャン=フランソワ・ル・シュール(Jean-François Le Sueur)に師事して作曲法を学ぶ。
 
 1832年にカンタータ『エルマンとケティ Hermann et Ketty』によってローマ大賞を受賞。3年間ローマに留学する。留学後はオペラ界に進出し、1837年に初演されたオペラ・コミック『二重梯子 La double échelle』が成功を収め、オペラ=コミック座で115回上演されたと伝えられる。
 
 1841年に『カルマニョーラ伯爵 Le comte de Carmagnola』が初演されて以降は、主にオペラ=コミック座で多くの作品を生み出し、名声を博す。さらに1850年の『夏の夜の夢 Le songe d'une nuit d'été』では成功したと同時にトマの名を盤石のものにしている。
 
 1856年以降は、母校パリ音楽院で教鞭を執ることになり、作曲科の教授に就任する。母校ではジュール・マスネらを育成した。教授職としての活動や社会活動も同時に行っていたため、オペラの作曲も次第に遠ざかっていく。1860年の『エルヴィーラの物語 Le roman d'Elvire』では、高い評価を得られず逆に冷淡な評価を受けたため、6年間はオペラの作曲を止めて、主に合唱曲や宗教曲などを中心に過ごしていった。
 
 1866年に『ミニョン』を発表し初演されると、瞬く間に成功を収め、再び名声を獲得した。トマの存命中に上演回数が1000回を達成している(1894年5月)。また1868年に悲劇ともいえるオペラ『ハムレット』も生み出し、こちらも大きな成功を収めている。
1871年にはフランソワ・オーベールの後任として同音楽院の院長に就任し、亡くなるまでその地位にあった。教育の改革に注いだりした。1896年の2月12日に84歳で没する。
 
 
<演奏データ>
リュシール・ビニョン (出演), アラン・ガブリエル (出演), アニック・マシス (監督) | 形式: DVD
出演: リュシール・ビニョン, アラン・ガブリエル, アンブロワーズ・トマ, ジャン・フルネ, ピエール・ジュルダン
監督: アニック・マシス
形式: Color
字幕: 日本語
ディスク枚数: 1
販売元: ニホンモニター・ドリームライフ
DVD発売日: 2000/04/25
時間: 175 分
ASIN: B00005H5H0
 EAN:  4532104000465

今日の音楽会

$
0
0
所沢ウインドオーケストラ31回定期演奏会
 
日 時 : 2013年11月17日(日) 14:00~
場 所 : 所沢市民文化センタホール ミューズ 
指 揮 : 高見沢 努
 
プログラム
1部
 喜歌劇「ウイーンの朝・昼・晩」序曲
 ミシシッピ組曲
 歌劇「ナブッコ」序曲
 ハンガリー狂詩曲
 歌劇「マクベス」よりバレエ音楽Ⅰ Ⅱ Ⅲ
 
2部
 あまちゃん オープニングテーマ 
  エレクトリカル・パレード・ドリームライツ
 鉄腕アトム
 タンゴ・ア・ラカルト
 アシタカせっ記
 日本のフォークシリーズNo.22「ほたる」
 
   真面目な演奏というのが一番ふさわしいかもしれない。大変勉強になった。特に金管の奏法とアンサンブルはなかなかよかった。ぜひ、参考にさせていただこうと思う。吹奏楽でのソノリテというものは口で言うほどやわではないし、弦のアンサンブルときたひには最悪で、なかなか大変なのだが、これまでの努力に敬服の念を抱いた。

今日のモーツアルト アリア「わが感謝を受けたまえ、やさしい保護者よ」

$
0
0
イメージ 1

今日のモーツアルト
アリア「わが感謝を受けたまえ、やさしい保護者よ」K.383
Andante ト長調■編成 S, fl, ob, fg, 2 vn, va, vc, bs
■作曲 1782年4月10日 ウィーン
 
 
 
 作者詞不詳のドイツ語によるアリア。 メロディーは「後宮からの誘拐」K.384第2幕フィナーレの四重唱(第16曲)からとられている。 たぶんアロイジアのために作曲。 アインシュタインは
 
 アーロイージアが1782年4月に、ヴィーンの舞台のうちの一つへの最後の登場に際して歌ったものにちがいないが、モーツァルトには稀にしか、それもドイツ語の声楽曲の場合にしか見られないほど、感傷的で偏狭なものである。
                浅井真男訳「その人間と作品」白水社 pp.498-9

 と断定的に推測しているが、その根拠となる資料はない。 とにかく一般的には、毎年4月に行なわれた「音楽家の未亡人と孤児のための慈善演奏会」に合わせて作られ、ランゲ夫人が歌ったらしいとされている。
 なお、アロイジアは1780年10月31日にウィーン宮廷俳優ヨーゼフ・ランゲと結婚している。
 
■詞
Nehmt meinen Dank, ihr holden Gonner!
 So feuri, als mein Herz ihn spricht,
 Euch laut zu segen,
 koennen Maenner,
 Ich, nur ein Weib, vermag es nicht.
 Doch glaubt, ich werd' in meinem leben.
 Niemals vergessen eure Huld.
 Blieb' ich so waere mein Bestreben,
 Sie zu verdienen, doch Geduld! 
 
私の感謝をお受けください、心やさしい保護者たちよ!
その感謝を、私の心が語る通りに、そんなに熱烈に
声高くあなたに告げることは、
男ならできもしましょうが、
女にすぎない私にはとてもできは致しません。
でも、お信じください、私は生涯の間

あなた方の仁慈をけっして忘れることはないでしょう。
私がこの地にとどまっていたら、私の努力は
それにふさわしくあるために尽くされたことでしょう、
でもご寛容を!

    (以下、略)
〔訳:西野茂雄〕
 
 
 
<演奏データ>
コンサート・アリア集(2CD) モーツァルト(1756-1791) ( Wolfgang Amadeus Mozart )
モーツァルト:
・アリア「行け、怒りにかられて」K.21
・アリア「誠実に身を守れ」K.23
・アリア「ジギスムントの功績は」K.36
・アリア「いとしい人よ、もし私の苦しみが」K.deest
・レチタティーヴォとアリア「ああ、私はそれを知っていた。ああ、私の眼の前から去って」K.272
・アリア「ああ、私を見捨てないで」K.486a
・アリア「この胸に、ああ、いとしい人よ来て。天が私にあなたを返して下さるとき」K.374
・アリア「わが感謝を受けたまえ、やさしい保護者よ」K.383
・アリア「いいえ、あなたにはできません」K.419
・アリア「願わくは問いたもうな」K.420
・アリア「激しく堪えがたき苛責」K.432
・四重唱「せめて言っておくれ、どんな過ちをしたのか」K.479
・三重唱「いとしのマンディーナ」K.480
・ロンド「もういいの、私は全てを聞いた。恐れないで、愛する人よ」K.490
・ロンド「どうしてあなたを忘れられようか。恐れないで、愛する人よ」K.505
・アリア「わが美しき恋人よ、さようなら。とどまって下さい、いとしい人よ」K.528
・アリア「ああ、情け深い星たちよ、もし天にいて」K.538
・ドイツ軍歌「われはカイザーたらん」K.539
・アリエッタ「御手に口づけ」K.541
・ロンド「君を愛する人の願いに」K.577
・アリア「誰が知るでしょう、いとしい人の苦しみを」K.582
・アリア「私は行きます、でもどこへ」K.583
・アリア「この美しい御手と瞳に」K.612
・アリア「お前に別れを告げる、いとしい人、さようなら」K.Anh.245

今日のモーツアルト 「後宮からの誘拐」 K.384

$
0
0
イメージ 1
今日のモーツアルト
ジングシュピール「後宮からの誘拐」 K.384
Singspiel in 3 Akten "Die Entführung aus dem Serail"
 
〔編成〕 2 fl, picc, 2 ob, 2 cl, 2 basset-hr, 2 fg, 2 hr, 2 tp, トライアングル, シンバル, 大太鼓, timp, 2 vn, 2 va, vc, bs
〔作曲〕 1781年7月30日〜82年5月19日 ウィーン
 
 
 
 
 
 
\¦¡­󥸥ã\ó\벻³Ú - ²»³ڥ֥���¼
1781年8月1日、ウィーンからザルツブルクの父へ
 一昨日、シュテファニーの弟のほうが、ぼくに作曲するよう台本を渡してくれました。 彼は他の連中にとってどんなに悪い人間なのか知りませんが、正直のところ、ぼくにとってはとっても素晴らしい友人です。 この台本は上出来です。 主題はトルコ風で、題名は『ベルモンテとコンスタンツェ』別名『後宮からの脱出』です。 序曲、第一幕の合唱、それにフィナーレの合唱は、トルコ風の音楽で書くつもりです。 カヴァリエーリ嬢、タイバー嬢、アーダムベルガー氏、ダウアー氏、そしてヴァルター氏が歌うことになっています。 この台本を作曲するのがとても楽しいので、カヴァリエーリの最初のアリア、アーダムベルガーのアリア、それから第一幕を締める三重唱をもう書き上げてしまいました。
                       [書簡全集 V] p.105
 
  ロシアの大使が当地へ来られる予定です。 そこでシュテファニーは、もしできたら、この短期間にそのオペラを作曲してほしいとぼくに頼んできたのです。 皇帝とローゼンベルク伯爵がまもなくお戻りになり、そこでまず、何か新しいものが用意されているか? とお聞きになるだろう。 そのとき、シュテファニーは、ウムラウフの(もう長いこと取りかかっている)オペラがまもなく出来上がるだろうし、ぼくも特別にオペラを書いていると申し上げられる、というわけです。
                       [書簡全集 V] p.106
 
  このことは、アーダムベルガーとフィッシャー以外、まだ誰も知りません。 シュテファニーがぼくらに何も言わないでくれと頼んだからです。 なにせローゼンベルク伯爵はまだ不在だし、少しでも漏れたりしたら、すぐに大変な噂となるでしょうから。 シュテファニーは、ぼくと親友であると思われたくない、つまり、こうしたことはすべてローゼンベルク伯爵が望んだからしているのだと思われたいのです。 それに、実際、伯爵は出かけるとき、ぼくのために台本を探すよう彼に命じましたからね。
 
1781年8月29日、ウィーンからザルツブルクの父へ
 ロシアの大公は、11月にならないと来られないそうで、そこでぼくはもっとゆっくりオペラを書けることになりました。 とてもうれしいです。 このオペラは、万聖節まで上演させないつもりです。 その時が一番よい時期だからです。 その時はみんな田舎から帰ってきますしね。
                         [書簡全集 V] p.128
 
  上演の延期は結果的にモーツァルトに幸いし、彼は組み立てから真剣に考え直すことができたようであり、また9月19日以降に、父に登場人物を明らかにする気持ちの余裕も生まれたようである。 それに当時のドイツ・オペラの一流歌手が以下のように予定されていて、このような一流の歌手たちにより初演を迎えることになる。
 
 太守ゼーリム Selim (歌なし) = ヤウツ氏、歌わない役者。 ヤウツ(Dominik Joseph Jautz, 1732-1806)はプラハ生まれの凡庸な役者。 上述した8月1日の手紙ではヴァルターの名前が上がっていたが、9月19日以降はその名がないので、ヤウツに変更したのだろう。

•コンスタンツェ Konstanze (S) = ベルモンテの恋人、カヴァリエーリ嬢
•ブロンデ Blondchen (S) = コンスタンツェの侍女、タイバー嬢。 タイバー(Therese Teyber, 1760-1830)は皇王室国民劇場のソプラノ歌手。 父マテウス・タイバーはマリア・テレジア女帝の母エリーザベト・クリスティーネに仕えたヴァイオリン奏者だったという。
•ベルモント Belmonte (T) = アダムベルガー氏
•ペドリロ Pedrillo (T) = ベルモントの召使いで、太守の庭番、ダウアー氏。 ダウアー(Johann Ernst Dauer, 1746-1812)はブルク劇場専属ではあるが、オペラ歌手ではなかったという。
•オスミーン Osmin (Bs) = 太守の別荘の番人、フィッシャー氏。 太鼓腹の男。 第19曲オスミンのアリアに、モーツァルトが使った一番低い音声がある。
 そしてこのあと有名な1781年9月26日の手紙が父レオポルトに送られる。 そこではモーツァルトがどのようにしてオペラを作曲しているか、登場人物の性格、物語の進行、聴衆の好み、そして何よりも自分自身の音楽に対する美学と表現方法について克明に父に伝えている。
 
  レオポルトが人並み以上の高い見識を持っていたからこそ、モーツァルトは詳しく説明しなければならなかった。 それはまた、モーツァルトは自分自身が(父が毛嫌いしているように思えるウェーバー家の娘)コンスタンツェを真剣に愛していることをレオポルトが納得してくれるように誘導する意識が働いていたからだろう。 この手紙の全文をここで紹介することはできないので、オスミーンの怒りがますます激しくなっていくアリアの部分で彼が音楽の表現美学を語っているところを取り上げよう。

 その怒りがつのるにつれて、アーリアがもう終るかと思うころに、アレグロ・アッサイがまったく別なテンポと、別な調性になるので、正に最高の効果をあげるに違いありません。 じっさい、人間は、こんなに烈しく怒ったら、秩序も節度も目標もすべて踏み越えて、自分自身が分からなくなります。 音楽だって、もう自分が分からなくなるはずです。 でも、激情は、烈しくあろうとなかろうと、けっして嫌悪を催すほどに表現されてはなりませんし、音楽は、どんなに恐ろしい場面でも、けっして耳を汚さず、やはり楽しませてくれるもの、つまり、いつでも音楽でありつづけなければなりませんので、ぼくはヘ調(アーリアの調)に無縁な調ではなく、親近性のある調、しかし、ごく近いニ短調ではなくて、もう少し遠いイ短調を選びました。
                             [手紙(下)] p.25
 
(1781年10月13日)
  オペラにあっては詩は絶対に音楽の忠実な娘でなければならないのですが、イタリアのコミック・オペラが、台本から言えば実につまらないのに、いたるところで、あんなに好かれるのはなぜでしょおう。 パリでさえ、そうです。 ぼくはこの目で見たのですが。 それは、オペラでは音楽がまったく支配して、そのためすべてを忘れさせるからです。 それだけ一層オペラは、作品の構想がよく練り上げられ、詞(ことば)が音楽のためにだけ書かれていて、あっちこっちでへたな韻をふもうとして(韻は、神にかけて、たとえどんな価値だろうと舞台上の演出に、寄与するものではなく、むしろ害をもたらすものです)作曲者の着想全体を打(ぶ)ちこわすようないくつかの言葉あるいは詩節を加えるようなことがなければ、かならず喜ばれるはずです。 歌詞は音楽にとって、何よりも欠くことのできないものですが、韻のための韻は、もっとも有害なものです。 そんなに杓子定規に作品に取りかかる先生方は、かならずその音楽もろとも、没落してしまいます。
                            [手紙(下)] p.30
 
 作品全体が、劇的作曲家としてのモーツァルトの個性の十全の発現なのである。 それは彼におそろしく苦労をなめさせた。 彼のオペラ総譜のうちで『後宮からの逃走』ほど削除、短縮、変更に満ちているものは一つもない。 彼はどんなオペラの作曲にもこれほど長時間を要しなかった。 『後宮からの逃走』はほとんどまる一年間かかったのである。
                            [アインシュタイン] pp.629-632
 
 彼らが新しさに眼を見張ったのは、その総譜の豊かさであった。 良くできたオーケストレーションや管楽器の思い切った起用、「トルコの楽器」の特別な使い方などが光っていた。 そのため、たとえ台本が二流であったとしても、音楽には人の耳をとらえるものがあり、あまりにも美しく、かつオリジナルにできあがっていたので、これまでにオペラを知っており、耳もある人たちは、モーツァルトがドイツ・オペラの形式について、新しい道を見出したと思ったに違いない。
                            [ランドン] p.111

 モーツァルトにとっても分水嶺となったこのオペラは、同時に音楽の歴史の上でも大きな転換点となり、ランドンは「オペラの構造を革命的に変えてしまったのは、グルックではなくモーツァルトである」と絶賛している。

 モーツァルトはドイツ語オペラに新たな水準をもたらしている。 すなわち、それまでのジングシュピールが知らなかったような崇高で深い感情を扱う新たな可能性を与えたのである。 それに加え、彼はオスミーンという人物像のなかに新たな生き生きとした劇的な歌唱の類型、すなわちドイツ流の喜劇的バス(バッソ・ブッフォ)を生み出した。 このタイプは、20世紀におけるリヒャルト・シュトラウスの『ばらの騎士』のオックス男爵にいたるまで、ドイツのオペラで際だった存在感を示していくこととなるのである。
                            [全作品事典] p.78
 
  その後繰り返し上演され、翌年(1783年)1月7日には13回目の、2月4日には17回目の公演があった。 プラハでの『フィガロ』についで、彼のオペラの中で生前最もヒットした作品となったのである。 ただし「ドイツ語オペラ」であるがために、彼は依然として本当のオペラ作家の第一人者としての評価には至らないままだった。 そのうえウィーンでは1778年からヨーゼフ2世が推し進めていた「ドイツ国民劇場」の方針転換が決定。
 
 ところがヨーゼフ2世は、この「ドイツ国民劇場」を支えるドイツ語オペラの創作と、それを支える演奏家たちの質の低さに悩むことになる。 そこで皇帝は、ドイツ語オペラを第二の国民劇場たるケルントナートーア劇場へと移し、ブルク劇場がイタリア人たちに開放されるよう政策を変更した。 その結果、1783年の四旬節には、イタリア人歌手の優秀な面々がイタリアからヴィーンへやって来るのである。
                            [書簡全集 V] pp.317-318
 
 そして1788年2月になって、とうとうケルントナートーア劇場のドイツ語オペラの上演が打ちきられ、閉鎖されることになる。 そのとき最後に上演されるのがモーツァルトのこのジングシュピールとなるのである。 将来そのような事態が待っているとは、まだ誰も知らない。 特にモーツァルトのドイツ語オペラに寄せる思いは人一倍強いものがあった。

 ぼくはドイツ語オペラのほうを支持します。 たとえ、ぼくにとって苦労が多くても、ドイツ語オペラのほうがぼくは好きです。 どの国にも独自のオペラがあります。 でも、どうしてわれわれドイツ人にはそれがないのでしょう? ドイツ語は、フランス語や英語と同じくらい歌いやすくないでしょうか? ロシア語より歌いやすいのではありませんか?
                         同書 p.336
 モーツァルトの『後宮からの誘拐』はドイツ各地やプラハなどで繰り返し上演され、またコンスタンツェ役をアロイジアが歌うなどの歌手の交代があったり、さらにワルシャワではポーランド語での上演もあったり、好評をもって広く支持されつつあったが、ウィーンにおいてはオペラ界の流れはイタリア語でなければ食っていけない時代になりつつあった。 モーツァルトはドイツ語オペラに未練を残しながらもイタリア語オペラを作曲するチャンスの方を本気で求めざるを得なくなるのである。 それが宮廷劇場付詩人ダポンテとの出会いとなり、不朽の名作『フィガロの結婚』の誕生となるのである。

 モーツァルトにとってもっとも怖い批評家である父レオポルトは『後宮からの誘拐』に対してどう思っていただろうか。 彼はウィーンでの初演の前に息子から送られた楽譜を目にしてはいたが、オペラを実際に観たのは、1784年11月17日のザルツブルク公演のときだった。 レオポルトは娘ナンネルに伝えている。
 
 それによると、直接的な表現で自分の感想は述べていないが、すばらしい感動に包まれた演奏会の様子を率直に伝えるているので、レオポルト自身もその臨場感に酔っていたことがわかる。
 
 かなり見事に舞台にかけられ、絶賛を博し、3曲がアンコールされました。 5時には誰ももう劇場の平土間席には入れず、5時15分には、桟敷席も同様に超満員でした。 家政婦のカテテルは、プラーツ家の子供たちと、平土間席の前の方の席に行かなければなりませんでした。 21日の日曜日にまた上演されますが、そのあとは5週間も休演になるでしょう。 町中がこの曲に大満足しています。 大司教でさえ、たいそう御親切にも、「これはけっして悪くないぞ」とのお言葉でした。 噂では、彼らは191フロリーンの収入があったとのことです。
                             同書 p.575
 
※ 森下氏の資料から手紙を中心に引用した。ちなみに翡翠の持っている「モーツ  アルトの手紙」上下は、岩波文庫1980年9月16日刊の第1刷で、某図書館の廃棄本を譲り受 けたものである。
 
 
<演奏データ>
ローター・ツァグロセク (出演), シュトゥットガルト州立歌劇場合唱団&交響楽団 (出演) | 形式: DVD
出演: ローター・ツァグロセク, シュトゥットガルト州立歌劇場合唱団&交響楽団, キャサリン・ネーグルスタッド, カーテ・ラドナー
形式: Subtitled
リージョンコード: リージョン2 (このDVDは、他の国では再生できない可能性があります。詳細についてはこちらをご覧ください DVDの仕様。)
ディスク枚数: 1
販売元: Naxos
ASIN: B000BDJ86S
EAN:  4945604301794
[歌手]
キャサリン・ネーグルスタッド
 カーテ・ラドナー
マティアス・クリンク
ハインツ・ゲーリヒ
 ローラント・ブラハト
[俳優]
ヨハネス・テルネ
エマヌエーラ・フォン・フランケンベルク
カローラ・フライヴァルト
アレクサンダー・ボクナー
アレクサンダー・ハイデンライヒ
アンドレアス・グレーツィンガー
シュトゥットガルト州立歌劇場合唱団&交響楽団

今日の作曲家 フランク・マルタン

$
0
0
 
イメージ 1
今日の作曲家 フランク・マルタン
 
11月21日 今日の音楽こよみ
スペインの作曲家/ギタリスト、フランシスコ・タルレガ誕生(1852〜1909)
ジャズ・テナー・サックスの父、コールマン・ホーキンス誕生(1904〜1969)
ショスタコーヴィチの交響曲第5番初演(1937) 
アメリカのシンガーソングライター、ドクター・ジョン誕生(1940〜)
プロコフィエフのバレエ音楽「シンデレラ」初演(1943)
アメリカのシンガーソングライターでジェイムス・テイラーの弟、リビングストン・テイラー誕生(1950〜)
アイスランドの女性ロックシンガー、ビヨーク誕生(1965〜)
スイスの作曲家、フランク・マルタン没(1890〜1974)
尾崎豊、ファースト・アルバム『17歳の地図』発売(1983)
著作権法の一部改正で、著作隣接権の保護期間が30年に延長され、海賊版取締りが強化された(1988)
ビートルズの25年ぶりの新曲「フリー・アズ・ア・バード」発売(1995)
 
 Stunningly beautiful performance of one of the 20th century's greatest choral pieces, the 'Mass for Double Choir a cappella' (1926), composed by Frank Martin, performed by the RIAS-Kammerchor, and directed by Daniel Reuss.
1. Kyrie 0:00
2. Gloria 5:52
3. Credo 11:45
4. Sanctus 17:50
5. Agnus Dei 22:20
 
 
 
Frank Martin - Ballade

played LIVE in Rome (Italy) at Flautissimo Flute Festival

Emmanuel Pahud, flute
 
 
Frank Martin (1890-1974): In terra pax, oratorio breve su testi biblici, tradotto dall'Autore in tedesco dall'originale francese, per soli, coro e orchestra (1944) -- Catherine Naglestad, soprano; Doris Soffel, mezzosoprano; Charles Workman, tenore; Christian Gerhaher, baritono; Ralf Lukas, basso -- MDR Symphony Orchestra and Choir diretti da Hartmut Haenchen --

Prima parte:
I. "Lorsque l'Agneau rompit le prémier sceau" (Con moto)
II. "Mon Dieu, mon Dieu" (Andante quasi largo)
III. "Malheur au peuple chargé de péchés" (Allegro furioso)
IV. "Eternel, Dieu de mon salut" (Molto moderato)
Seconda Parte
V. "Sentinelle, que dis-tu de la nuit" (Adagio)
VI. "Mais les ténèbres ne régneront pas toujours" (Andante)
VII. "Consolez, consolez mon peuple" (Con moto)
VIII. "Voici, mon serviteur" (Largo)
IX. "Heureux les affligés" (Andante molto tranquillo)
X. "Notre Père, qui es aux Cieux" (Adagio)
XI. "Puis je vis un nouveau ciel" (Allegro moderato)

-- cover image by Pablo Picasso
 
 
Frank Martin: Petite symphonie concertante
Adagio - Allegro con moto
Adagio
Allegretto con marcia
Ensemble Symphonique Neuchâtel
Alexander Mayer, direction
Nicolas Farine, piano
Manon Pierrehumbert, harpe
Fabrice Martinez, clavecin
21.11.2010, Temple du Bas, Neuchâtel
 
 
 
\¦¡­󥸥ã\ó\벻³Ú - ²»³ڥ֥���¼ 
 この人についてはいくつかの作品を知ってはいるが、詳しい人となりなどのことはまったくといっていいほど知識がないので、ウィキペディアから転記したものを下記に記載する。作品は結構面白い。
 
 フランク・マルタン(Frank Martin、1890年9月15日 - 1974年11月21日)はフランス語系スイス人のプロテスタントの作曲家。オランダでも活躍した。
 
 フランク・マルタンはプロテスタントの牧師シャルル・マルタンの子としてジュネーヴで生まれた。10人きょうだいの末っ子。[1]就学前よりピアノを弾き、即興演奏をたしなむほどの早熟ぶりであった。9歳のとき、まだ正規に和声法や歌曲形式を学ばずに歌曲を作曲するが、いずれも有節歌曲であった。
 
 12歳のときにバッハのマタイ受難曲の演奏に接して強い感銘を受け、バッハを精神的な師として仰ぐようになる。
 
 2年間ジュネーヴ大学で数学と物理学を学ぶかたわら、作曲とピアノをヨーゼフ・ラウバーに師事。1918年から1926年までチューリヒやローマ、パリを転々と過ごした。この頃の作品は、独自の音楽語法の探究であり、まだフランクやダンディ、ラヴェルの影響下にあった。
 
 1926年にジュネーヴ室内楽協会 (Société de Musique de Chambre de Genève) を設立し、ピアニストやチェンバロ奏者として10年間の活動を続ける。この間に、ジャック=ダルクローズ研究所で音楽理論や即興演奏を教え、ジュネーヴ音楽院で室内楽を指導した。1933年から1940年までテクニコン・モデルヌ・ド・ミュジック (Technicum Moderne de Musique) 校長に、1942年から1946年までスイス音楽家協会総裁に就任。
 
 1946年よりオランダに移住。スイス時代に公務に追われて専念できなかった作曲に、多くの時間を割くようになる。アムステルダムに10年暮らした後、ナールデンに定住した。
 
 1950年から1957年までケルン市立高等音楽学校で作曲の教鞭を執る。その後は教育活動を放棄し、作曲に集中するが、その合間に室内楽の演奏旅行や指揮にも携わり、録音も残した(いずれの場合もたいていは自作に関係してのものだった)。
絶筆のカンタータ「かくて生は勝利す Et la Vie l'Emporta 」を仕上げてから10日後にナールデンで世を去った。
 
 作品には、大規模な交響曲(1937年)や、2つのピアノ協奏曲、クラヴサン(チェンバロ)協奏曲、ヴァイオリン協奏曲、チェロ協奏曲のほか、作者自身が「バラード」と名づけた一連の協奏的作品がある。
 
 マルタンは、シェーンベルクの十二音技法を独自に発展させた。ただし、調性破壊や表現拡張の手段としてではなく、あくまで旋律の可能性を豊かにするための道具立てと見なしていた。このためマルタンは調性に固執し、無調には反対した。
 
 
主要作品一覧
声楽をともなう作品
無伴奏二重合唱のためのミサ曲 Messe (1922-26)
オラトリオ「魔法の酒」 Le Vin Herbé (1938)
「イェーダーマン」より6つのモノローグ(アルトまたはバリトン、ピアノまたは管弦楽) Sechs Monologe aus Jedermann (1943)
オラトリオ「地には平和」 In terra pax (1944)
3つのクリスマスの歌(ソプラノ、フルート、ピアノまたはオルガン) Trois Chants de Noël (1947)
オラトリオ「ゴルゴタ」 Golgotha (1949) (日本初演: 1978.12.1 東京厚生年金会館 山口貴 東京交響楽団 芳野靖夫、常森寿子、志村年子、田口興輔、岡村喬生 フィルハーモニー合唱団、石上洋子 (P)、酒井多賀志 (Og) フィルハーモニー合唱団第40回記念定期演奏会)
歌劇「嵐」 Der Sturm(1952-55、1956初演)
マリア三部作(ソプラノ、ヴァイオリン、管弦楽) Maria-Triptychon (1968-69)
死者のためのミサ曲(レクイエム) Requiem (1973)
カンタータ「かくて生は勝利す」 Et la Vie l'Emporta (1974)
協奏的作品
ピアノ協奏曲第1番 (1933-34)
教会ソナタ(ヴィオラ・ダモーレとオルガン / フルートとオルガン / ヴィオラ・ダモーレと弦楽合奏) Sonata da Chiesa (1938 / 1941 / 1952)
小協奏交響曲(ハープ、チェンバロ、ピアノと2群の弦楽合奏) Petite Symphonie Concertante (1944-45)
協奏交響曲(小協奏交響曲の3管編成管弦楽版) Symphonie Concertante (1946)
7つの管楽器とティンパニ、弦楽器のための協奏曲 (1949)
ヴァイオリン協奏曲 (1950-51)
クラヴサン(チェンバロ)と小管弦楽のための協奏曲 (1951-52)
チェロ協奏曲 (1965-66)
ピアノ協奏曲第2番 (1968-69)
3つの舞曲(オーボエ、ハープ、弦楽五重奏、弦楽合奏) Trois danses (1970)
「ポリプティーク―キリスト受難の6つの印象」(ヴァイオリン、2群の小弦楽合奏) Polyptyque - Six images de la Passion du Christ (1973)
バラード Ballade アルト・サクソフォーンとピアノのための/アルト・サクソフォーン、弦楽合奏、打楽器とピアノのための (1938)
ピアノと管弦楽のための (1939)
フルートとピアノのための / フルート、弦楽合奏とピアノのための (1939 / 1941)
トロンボーンとピアノのための / トロンボーンと小管弦楽のための (1940 / 1941) トロンボーンの代わりにテナー・サクソフォーンでも可
チェロと小管弦楽のための (1949)
ヴィオラと管楽合奏のための (1972)

その他の器楽作品
ギターのための「4つの小曲」 Quatre pièces brèves (1933)
交響曲 (1937)
パッサカリア(オルガンのための/弦楽合奏のための) Passacaille (1944 / 1952)
弦楽合奏のためのエテュード Etudes pour orchestre à cordes (1955-56)
 
 
 
 
 ※ ショスタコーヴィチの交響曲第5番とプロコフィエフのバレエ音楽「シンデレラ」   については近日中に取り上げることにする。
<演奏データ>
CD (1996/1/1)
ディスク枚数: 1
フォーマット: Import
レーベル: Bis (Swe)
ASIN: B000027FA5
EAN:  7318590000717
 
1. Ballade Pour Flute Et Piano 
2. Ballade Pour Trombone Et Piano 
3. I. Grave 
4. II. Allegro Tranquillo 
5. III. Tranquillo Ma Con Moto 
6. IV. Allegro 
7. V. Vivace 
8. VI. Andantino Grazioso 
9. VII. Lento 
10. VIII. Vivace 
11. Etude De Lecture 
12. I. Les Cadeaux 
13. II. Image De Noel 
14. III. Les Bergers 

今日の1曲 バレエ音楽「シンデレラ」

$
0
0
イメージ 1
今日の1曲 
プロコフィエフのバレエ音楽「シンデレラ」初演(1943)
 
 
 
 
\¦¡­󥸥ã\ó\벻³Ú - ²»³ڥ֥���¼
  11月21日の記事についてウイキペディアより転記する。
 
 『シンデレラ』(ロシア語: Золушка(ゾールシカ)、英語:Cinderella)は、ソ連の作曲家セルゲイ・プロコフィエフが作曲したバレエ音楽である。フランスの詩人ペローの童話集の中の童話『シンデレラ』に基づく。 バレエ音楽からプロコフィエフ自身によって、管弦楽組曲3つないし4つとピアノ独奏用組曲2つ、その他の編曲が作られている。
 
 1940年、『ロメオとジュリエット』の成功を受けてキーロフ劇場から作曲の依頼が行われたが、ドイツのソ連侵攻やオペラ『戦争と平和』の作曲によって作業は中断され、完成は1944年、初演は1945年までずれ込んだ。初演は成功し、1946年にプロコフィエフは交響曲第5番、ピアノソナタ第8番などと併せてスターリン賞を受けた。
 
 『ロメオとジュリエット』同様に、複数のライトモティーフを使用した場面描写や登場人物の性格描写が行われている。一方、『ロメオとジュリエット』と比較して劇的な要素の少ない脚本ということもあって、プロコフィエフは「踊りの要素で満たされた」、クラシック・バレエの伝統を意識した作曲を行った。ゆえに抒情的なナンバーが多く、パ・ド・ドゥ、ヴァリアシオンが多く配置され、またガヴォット、パスピエ、ブレーなどの古風な舞曲を複数含んでいる。
 
1 バレエ 1.1 『シンデレラ』 Op.87
2 演奏会用組曲(管弦楽) 2.1 『シンデレラ』組曲第1番 Op.107
2.2 『シンデレラ』組曲第2番 Op.108
2.3 『シンデレラ』組曲第3番 Op.109
2.4 ワルツ組曲 Op.110
3 ピアノ組曲 3.1 バレエ『シンデレラ』からの3つの小品 Op.95
3.2 バレエ『シンデレラ』からの10の小品 Op.97
3.3 バレエ『シンデレラ』からの6つの小品 Op.102
4 その他 4.1 アダージョ Op.97bis(チェロとピアノのための)
 
バレエ
『シンデレラ』 Op.87
1945年11月21日、モスクワのボリショイ劇場でザハロフの振付、ウィリアムスの美術、ファイエルの指揮、ウラノワのシンデレラで初演が行われた。
委嘱元のキーロフ劇場での初演は、1946年4月8日にセルゲーエフの振付で行われた。
第1幕
第1曲   序奏
第2曲   ショールの踊り(パ・ド・シャ)
第3曲   シンデレラ
第4曲   父親
第5曲   仙女のお婆さん
第6曲   舞踏会に行く義姉妹たちの身支度
第7曲   踊りのレッスン(ガヴォット)
第8曲   継母と義姉妹は舞踏会へ出発する
第9曲   舞踏会を夢見るシンデレラ
第10曲 ガヴォット
第11曲 仙女のお婆さんの再現
第12曲 春の精
第13曲 夏の精
第14曲 コオロギとトンボ
第15曲 秋の精
第16曲 冬の精
第17曲 出発の中断
第18曲 時計の情景
第19曲 舞踏会へ行くシンデレラ(ワルツ)
 
第2幕
第20曲 廷臣たちの踊り
第21曲 パスピエ
第22曲 騎士たちの踊り(ブレー)
第23曲 少年の踊り  ※実際のバレエではオデットの独舞
第24曲 小男の踊り  ※実際のバレエではアロワサの独舞
第25曲 再び廷臣たちの踊り
第26曲 マズルカと王子の登場
第27曲 王子と4人の友人の踊り
第28曲 マズルカ
第29曲 舞踏会に着いたシンデレラ
第30曲 グラン・ワルツ(グランド・ヴァルス)
第31曲 プロムナード
第32曲 シンデレラの踊り
第33曲 王子の踊り
第34曲 来客へのご馳走  ※オペラ『三つのオレンジへの恋』の行進曲から主旋律がとられている。
第35曲 オレンジを持った義姉妹たちの踊り
第36曲 王子とシンデレラのパ・ド・ドゥ
第37曲 ワルツ―コーダ
第38曲 真夜中
 
第3幕
第39曲 王子と靴職人
第40曲 王子の最初のギャロップ
第41曲 誘惑
第42曲 王子の第2のギャロップ
第43曲 東洋の踊り
第44曲 王子の第3のギャロップ
第45曲 シンデレラの目覚め
第46曲 舞踏会の翌朝
第47曲 王子の訪れ
第48曲 王子とシンデレラの再会
第49曲 ゆるやかなワルツ
第50曲 愛をこめて(アモローソ)
 

グラン・ワルツ
演奏会用組曲(管弦楽)
3つの組曲が編まれた他、他の作品からの楽曲を交えた『ワルツ組曲』も編まれ、バレエの初演から間もなく1946年から1947年にかけて相次いで初演された。『ロメオとジュリエット』の場合と同様に、バレエ全曲からただ曲を抜き出すのではなく、曲順の配列や各曲の構成、オーケストレーションが大幅に変更されている。編曲にあたっては後述のピアノ組曲が下敷きになったと考えられている。
 
<演奏データ>
アシュケナージ(ヴラディーミル),クリーヴランド管弦楽団, ウラジミール・アシュケナージ | 形式: CD
演奏: クリーヴランド管弦楽団, スイス・ロマンド管弦楽団
指揮: アシュケナージ(ヴラディーミル), アンセルメ(エルネスト)
作曲: プロコフィエフ, ストラヴィンスキー
CD (2007/5/16)
ディスク枚数: 2
レーベル: ユニバーサル ミュージック クラシック
収録時間: 134 分
ASIN: B000O78X44
EAN:  4988005470942
ディスク:1
1. バレエ≪シンデレラ≫ 作品87 全曲 第1曲:導入曲    
2. バレエ≪シンデレラ≫ 作品87 全曲 第1幕 第2曲:パ・ド・シャ    
3. バレエ≪シンデレラ≫ 作品87 全曲 第1幕 第3曲:シンデレラ    
4. バレエ≪シンデレラ≫ 作品87 全曲 第1幕 第4曲:父親    
5. バレエ≪シンデレラ≫ 作品87 全曲 第1幕 第5曲:仙女のお婆さん    
6. バレエ≪シンデレラ≫ 作品87 全曲 第1幕 第6曲:舞踏会に行く義姉妹たちの身支度    
7. バレエ≪シンデレラ≫ 作品87 全曲 第1幕 第7曲:踊りの稽古    
8. バレエ≪シンデレラ≫ 作品87 全曲 第1幕 第8曲:継母と義姉妹たちの舞踏会への出発    
9. バレエ≪シンデレラ≫ 作品87 全曲 第1幕 第9曲:舞踏会を夢見るシンデレラ    
10. バレエ≪シンデレラ≫ 作品87 全曲 第1幕 第10曲:ガヴォット    
11. バレエ≪シンデレラ≫ 作品87 全曲 第1幕 第11曲:仙女のお婆さんの再現    
12. バレエ≪シンデレラ≫ 作品87 全曲 第1幕 第12曲:春の精    
13. バレエ≪シンデレラ≫ 作品87 全曲 第1幕 第13曲:夏の精   
14. バレエ≪シンデレラ≫ 作品87 全曲 第1幕 第14曲:コオロギとトンボ    
15. バレエ≪シンデレラ≫ 作品87 全曲 第1幕 第15曲:秋の精    
16. バレエ≪シンデレラ≫ 作品87 全曲 第1幕 第16曲:冬の精    
17. バレエ≪シンデレラ≫ 作品87 全曲 第1幕 第17曲:出発の中断    
18. バレエ≪シンデレラ≫ 作品87 全曲 第1幕 第18曲:時計の情景    
19. バレエ≪シンデレラ≫ 作品87 全曲 第1幕 第19曲:ワルツ    
20. バレエ≪シンデレラ≫ 作品87 全曲 第2幕 第20曲:廷臣たちの踊り    
21. バレエ≪シンデレラ≫ 作品87 全曲 第2幕 第21曲:パスピエ    
22. バレエ≪シンデレラ≫ 作品87 全曲 第2幕 第22曲:騎士たちの踊り(ブーレ)   
23. バレエ≪シンデレラ≫ 作品87 全曲 第2幕 第23曲:少年の踊り    
24. バレエ≪シンデレラ≫ 作品87 全曲 第2幕 第24曲:小男の踊り    
25. バレエ≪シンデレラ≫ 作品87 全曲 第2幕 第25曲:再び廷臣たちの踊り    
26. バレエ≪シンデレラ≫ 作品87 全曲 第2幕 第26曲:マズルカと王子の登場   
27. バレエ≪シンデレラ≫ 作品87 全曲 第2幕 第27曲:王子と4人の友人の踊り    
28. バレエ≪シンデレラ≫ 作品87 全曲 第2幕 第28曲:マズルカ    
29. バレエ≪シンデレラ≫ 作品87 全曲 第2幕 第29曲:舞踏会に着いたシンデレラ    
30. バレエ≪シンデレラ≫ 作品87 全曲 第2幕 第30曲:グランド・ワルツ    
31. バレエ≪シンデレラ≫ 作品87 全曲 第2幕 第31曲:プロムナード    
32. バレエ≪シンデレラ≫ 作品87 全曲 第2幕 第32曲:シンデレラの踊り    
33. バレエ≪シンデレラ≫ 作品87 全曲 第2幕 第33曲:王子の踊り    
34. バレエ≪シンデレラ≫ 作品87 全曲 第2幕 第34曲:来客へのご馳走    
35. バレエ≪シンデレラ≫ 作品87 全曲 第2幕 第35曲:オレンジを手にした義姉妹たちの踊り    
36. バレエ≪シンデレラ≫ 作品87 全曲 第2幕 第36曲:王子とシンデレラのパ・ド・ドゥ   
37. バレエ≪シンデレラ≫ 作品87 全曲 第2幕 第37曲:ワルツ-コーダ    
38. バレエ≪シンデレラ≫ 作品87 全曲 第2幕 第38曲:真夜中    

ディスク:2
1. バレエ≪シンデレラ≫ 作品87 全曲 第3幕 第39曲:王子と靴職人    
2. バレエ≪シンデレラ≫ 作品87 全曲 第3幕 第40曲:王子の最初のギャロップ    
3. バレエ≪シンデレラ≫ 作品87 全曲 第3幕 第41曲:誘惑    
4. バレエ≪シンデレラ≫ 作品87 全曲 第3幕 第42曲:王子の第2のギャロップ   
5. バレエ≪シンデレラ≫ 作品87 全曲 第3幕 第43曲:オリエンタル    
6. バレエ≪シンデレラ≫ 作品87 全曲 第3幕 第44曲:王子の第3のギャロップ    
7. バレエ≪シンデレラ≫ 作品87 全曲 第3幕 第45曲:シンデレラのめざめ    
8. バレエ≪シンデレラ≫ 作品87 全曲 第3幕 第46曲:舞踏会の翌朝    
9. バレエ≪シンデレラ≫ 作品87 全曲 第3幕 第47曲:王子の訪れ    
10. バレエ≪シンデレラ≫ 作品87 全曲 第3幕 第48曲:王子とシンデレラの再会   
11. バレエ≪シンデレラ≫ 作品87 全曲 第3幕 第49曲:ゆるやかなワルツ    
12. バレエ≪シンデレラ≫ 作品87 全曲 第3幕 第50曲:愛をこめて    
13. バレエ組曲≪兵士の物語≫(1920) 兵士の行進    
14. バレエ組曲≪兵士の物語≫(1920) 第1景への音楽    
15. バレエ組曲≪兵士の物語≫(1920) 第2景への音楽    
16. バレエ組曲≪兵士の物語≫(1920) 王様の行進曲    
17. バレエ組曲≪兵士の物語≫(1920) 小さなコンサート    
18. バレエ組曲≪兵士の物語≫(1920) 3つの舞曲    
19. バレエ組曲≪兵士の物語≫(1920) 悪魔の踊り    
20. バレエ組曲≪兵士の物語≫(1920) コラール    
21. バレエ組曲≪兵士の物語≫(1920) 悪魔の凱旋行進曲 

今日のモーツアルト 交響曲 第35番「ハフナー」

$
0
0
イメージ 1
今日のモーツアルト
交響曲 第35番 ニ長調 「ハフナー」 K.385 その1

I.Allegro con spirito ニ長調 4/4 副主題を欠く変則的なソナタ形式
II.Andante ト長調 2/4 ソナタ形式
III.Menuetto ニ長調 3/4 複合三部形式
IV.Presto ニ長調 4/4 ロンド風ソナタ形式
〔編成〕 2 fl, 2 ob, 2 cl, 2 fg, 2 hr, 2 tp, timp, 2 vn, 2 va, bs
〔作曲〕 1782年7月、1783年3月 ウィーン
 
 
 
11月23日 今日の音楽こよみ
ベルリオーズの交響曲「イタリアのハロルド」初演(1834)
スペインの作曲家、
マニュエル・デ・ファリャ誕生(1876〜1946)
ジャズ・ピアニスト、ウィリー・“ザ・ライオン”・スミス誕生(1897〜1973)
ヤナーチェクのオペラ『カーチャ・カバノヴァー』初演(1921)
ポーランドの作曲家、クシシトフ・ペンデレツキ誕生(1933〜)
日本フォーク界の長老、小室等誕生(1943〜)
第1回全日本合唱コンクール開催(1948)
シーナ&ロケッツのシーナ誕生(1954〜)
アメリカのシンガーソングライター、ブルース・ホーンズビー誕生(1954〜)
カラヤン国際指揮者コンクールで小泉和裕が1位(1973)
 
 
 
 ちょっと今日は大変な日である。モーツアルト自体もそうだが、今日の音楽こよみに登場する様々な人物の顔ぶれや音楽史上での内容も豊かな事柄がひしめいていて実賑やかである。リンクを辿ってもらえると以前の記事があるが、昔のほうが味があったなあ、と反省している。
 
 「ハフナー」が演奏された演奏会は1873年3月23日にブルク劇場で行われた。 どれだけこの「ハフナーシンフォニー」が必要であったか、当然その報告はかつてないほど詳細に父レオポルトに伝えられなければならない。

3月29日
 ぼくの演奏会の成功について、あれこれ語るまでもないと思います。 たぶん、もう評判をお聞きになったでしょう。 要するに、劇場はもう立錐の余地がないほどで、どの桟敷席も満員でした。 なによりもうれしかったのは、皇帝陛下もお見えになったことです。 そして、どんなに楽しまれ、どんなにぼくに対して拍手喝采してくださったことか。
                       [書簡全集 V]  p.351

 モーツァルトは父が高貴な身分の人に弱く、特に皇帝が出てくればもう何も言うことができなくなることを知っていた。 そして、とどめの一言「皇帝から25ドゥカーテン賜りました」と書くのを忘れない。 それからおもむろに演奏会の曲目を並べるのである。 もちろん演奏会の最初と最後に演奏されたのがこの「ハフナーシンフォニー」であった。
 
1.ハフナー・シンフォニー(K.385)
2.アロイジア・ランゲの独唱でオペラ「イドメネオ」から4つの楽器による伴奏でアリア「もし私が父を失い」
3.モーツァルトの独奏で「ピアノ協奏曲ハ長調」(K.415)
4.アダムベルガーの独唱でバウムガルテンのためのシェーナ(K.369)
5.セレナーデ「ポストホルン」(K.320)より第3楽章
6.モーツァルトの独奏で「ピアノ協奏曲ニ長調」(K.175)と「変奏曲によるロンド」(K.382)
7.タイバー嬢の独唱でオペラ「ルチオ・シルラ」(K.135)からのシェーナ「私はゆく、私は急ぐ」
8.モーツァルトの独奏でフーガの即興演奏と「パイジェルロの主題による変奏曲」(K.398)と「グルックの主題による変奏曲」(K.455)
9.アロイジアの独唱で新作のロンド(K.416)
10.ハフナー・シンフォニーの終楽章

  モーツァルトが父を納得させるために書き記したこのプログラムは当時の音楽会の形態を知ることのできる貴重な資料として至るところで紹介され、そしてシンフォニーの役割は今日とまったく違うことを示す一例としてよく引き合いに出される。
   このうち1と10とはオーケストラだけの音楽で、物陰で演奏される(音楽会が劇場で行われる場合はピットで演奏される)。 1は開幕の合図の音楽であり、10は終了の合図の音楽である。 この2つは音楽会のプログラムの外であり、クリストファー・ホグウッドの言葉によれば音楽会の「額縁」(フレームワーク)なのである。 実際の中味は2から9まで計8曲である。 
                                                      [石井] p.255

   もちろん「額縁」がなければ格好がつかないから、省略することはできない。 その後、音楽会の主役に器楽曲の王である交響曲が据えられるようになる。 しかも重厚で荘厳な交響曲こそ最高の音楽であるとする人たちによって、この「ハフナー」に対する評価は低く見積もられ、片隅に追いやられている。
 
  私(翡翠)がかつて書いたように、セレナーデは添え物、その場を飾るしのぎとまでは言い過ぎかもしれないが、時には使い捨てになることもあった。今後、様々な学者や先駆者の御説が登場するが、交響曲としての評価が低いのはそんなところにも理由があるのだが、それをわかっていて聞くならばアインシュタインの言う「合いの子」や「実用」という言葉も少なからず悲観的な意味合いを持つものではない。
 
 オカールも「合の子の作品」と認めつつ、スヴィーテン男爵を介して得たモーツァルトのバッハ体験をもとに、次のように断言している。  

 『ハフナー交響曲』の真価はかかって最初のアレグロにあり、これはセレナードのジャンルばかりでなく、それまでのモーツァルトが考えてきたかぎりでの交響曲のジャンルまでも打ち破っている。 バッハの芸術に接したために、彼は「辛辣なハーモニーに満ち、鋭いリズムのためにとげとげしくなっているフガート」を書く気になったのだ。
                           [オカール] p.85
 
 つまり添え物でありながら、その域を出ているとみなしている。そういうことが分かる人がいるということが、後世にであろうが実にうれしいことではないか。私(翡翠)は、実に感激するのである。そんなことを考えながら1楽章を聞くと、また別の意味合いでモーツアルトに触れた気になるのである。
 
<演奏データ>
交響曲第35番『ハフナー』、『ポストホルン・セレナード』 アーノンクール&ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス
モーツァルト:ポストホルン・セレナード、交響曲第35番『ハフナー』
アーノンクール&ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス
アーノンクール久々の再録音となる『ハフナー交響曲』と『ポストホルン・セレナード』の登場。
 アーノンクールの『ハフナー交響曲』といえば、1980年にコンセルトヘボウ管弦楽団と録音した劇的な演奏が有名です。70年代後半から話題を集めはじめ、それまでの音楽観を大きく揺さぶったピリオド・スタイルの担い手たちの中でも、その痛烈な言動も含めてもっとも注目を集めたのがアーノンクールでした。
 「モーツァルトは“癒しの音楽家”などではけしてない」「近代の演奏様式はモーツァルトの劇的な側面をあまりに無視してきた」等々、アーノンクールは、既成概念に対する異議申し立てともいうべき発言によっても注目を集めるのですが、当時の大陸系古楽器オケの事情もあってか、一連の交響曲録音は通常楽器オーケストラの名門であるコンセルトヘボウ管弦楽団とおこなわれ、『ポストホルン・セレナード』も、シュターツカペレ・ドレスデンとレコーディングしていました。
 アーノンクール自身を中心に1953年に設立された古楽器オケ「ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス」の録音は、モーツァルトの場合、宗教音楽や一部の協奏曲に限られていたのですが、2011年録音の「ワルツの革命~モーツァルト、ランナー&ヨハン・シュトラウス」では巧みな表現力をみせていたこともあり、今回のレコーディングはそうした点からも注目されるところです。しかも収録場所は音の良いムジークフェラインザールです。(HMV)
【収録情報】
・モーツァルト:行進曲ニ長調K.335-1(K.320a-1)
・モーツァルト:セレナード第9番ニ長調K.320『ポストホルン』
・モーツァルト:交響曲第35番ニ長調K.385『ハフナー』
 ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス
 ニコラウス・アーノンクール(指揮)
 録音時期:2012年12月1日&2日
 録音場所:ウィーン、ムジークフェラインザール
 録音方式:ステレオ(デジタル/ライヴ) 

参考文献

$
0
0
翡翠の千夜千曲に使用した参考文献
 
クラシック音楽事典 
Mozart con grazia 森下未知世編集
作曲家別名曲解説ライブラリー 音楽之友社
モーツアルトの手紙 上・下 岩波文庫
<スコアー>
全音音楽出版社
日本楽譜出版社
音楽之友社
カワイ楽譜出版社
ブージー&フォークス社
DOVER PUBLICATINS,INC. (米)
Eulenburg (独)
ペトルッチ楽譜ライブラリー
 

今日のモーツアルト 交響曲 第35番「ハフナー」 K.385 その2

$
0
0
今日のモーツアルト
交響曲 第35番 ニ長調 「ハフナー」 K.385 その2

I.Allegro con spirito ニ長調 4/4 副主題を欠く変則的なソナタ形式
II.Andante ト長調 2/4 ソナタ形式
III.Menuetto ニ長調 3/4 複合三部形式
IV.Presto ニ長調 4/4 ロンド風ソナタ形式
〔編成〕 2 fl, 2 ob, 2 cl, 2 fg, 2 hr, 2 tp, timp, 2 vn, 2 va, bs
〔作曲〕 1782年7月、1783年3月 ウィーン
 
 
 \¦¡­󥸥ã\ó\벻³Ú - ²»³ڥ֥���¼
第2楽章 アンダンテ ト長調 4分の2拍子 ソナタ形式
 ウイーン風の明るく優美なアンダンテ。第2ヴァイオリンがスタッカートで刻む16分音符を伴奏に、第1ヴァイオリンがのびやかに歌う第1主題はそぞろ歩くような気分をもち、これにアーベルがいうところの「笑いさざめくような」第2主題が続く。貴族が集う18世紀の大きな広間を彷彿とさせる。 
 
 
 
 
 
 
11月25日 今日の音楽こよみ
「きよしこの夜」の作曲で知られるフランツ・クサヴァー・グルーバー誕生(1787~1863)
マーラーの交響曲第4番初演(1901)
ジャズ・サックス奏者、ポール・デズモンド誕生(1924〜1977)
ジャズ・コルネット奏者、ナット・アダレイ誕生(1931〜)
ジョン・レノンがイギリス政府のベトナム問題への関与に抗議し、MBA勲章を返還(1969)
ジャズ・サックス奏者、アルバート・アイラー没(1936〜1970)
さだまさし、「線香花火」でソロ・デビュー(1976)
世良公則とツイスト、「あんたのバラード」でデビュー(1977)
YMO、ファースト・アルバム『イエロー・マジック・オーケストラ』発売(1978)
ロック・シンガー、椎名林檎誕生(1978〜)
チェリスト、ヨーヨー・マが日本にデビュー(1981)

今日のモーツアルト 交響曲 第35番 ニ長調 「ハフナー」 K.385

$
0
0
今日のモーツアルト
交響曲 第35番 ニ長調 「ハフナー」 K.385 その3

I.Allegro con spirito ニ長調 4/4 副主題を欠く変則的なソナタ形式
II.Andante ト長調 2/4 ソナタ形式
III.Menuetto ニ長調 3/4 複合三部形式
IV.Presto ニ長調 4/4 ロンド風ソナタ形式
〔編成〕 2 fl, 2 ob, 2 cl, 2 fg, 2 hr, 2 tp, timp, 2 vn, 2 va, bs
〔作曲〕 1782年7月、1783年3月 ウィーン
 
 
 
第3楽章 メヌエット ニ長調 4分の3拍子
 小規模ながらウイーン風な趣のある魅惑的なメヌエット。

今日のモーツアルト 交響曲 第35番 ニ長調「ハフナー」 K.385 

$
0
0
イメージ 1
今日のモーツアルト
交響曲 第35番 ニ長調 「ハフナー」 K.385 その4

I.Allegro con spirito ニ長調 4/4 副主題を欠く変則的なソナタ形式
II.Andante ト長調 2/4 ソナタ形式
III.Menuetto ニ長調 3/4 複合三部形式
IV.Presto ニ長調 4/4 ロンド風ソナタ形式
〔編成〕 2 fl, 2 ob, 2 cl, 2 fg, 2 hr, 2 tp, timp, 2 vn, 2 va, bs
〔作曲〕 1782年7月、1783年3月 ウィーン
 
Symphony n°35 K.385 "Haffner"
I. Allegro con spirito 0:00
II. Andante 5:55
III. Menuetto 15:20
IV. Finale. Presto 18:31
Concertgebouworkest Amsterdam
Nikolaus Harnoncourt
Live recording, 30.III.1979
 
 
第4楽章 プレスト ニ長調 2分の2拍子。ロンド・ソナタ形式
  この頃のモーツアルトは、ロンド形式とソナタ形式の巧みな融合を見せるが、この楽章もその一つの典型である。基本的な構造は、ABACABAというロンド形式を示している。
 
 
 しかし、2つの主要主題はソナタ形式にふさわしい性格を備えていて、推移などの細かい書き方もソナタ的である。特に、Cに新しい主題ではなく、第2主題の展開が来るところなども全体をソナタ形式として区分することも可能である。
 
 この場合、提示部AB、展開部AC、再現部AB、コーダCとういうように区分することができる。そうはいえ、こうした一義的な分類は不可能であるし余り意味のないことでもある。
 
 モーツアルトは、この楽章を「出切る限り速く」演奏するように望んでいるが、この失踪するような楽章で、モーツアルトはハイドン風の形式の不意打ちを楽しんでいるのではないだろうか。聞く者が、ソナタ形式を意識して聞いていると、あれロンド形式であろうかと思い、いややはりロンド・・・いやソナタ形式という具合である。
 
 第1主題は、「後宮からの誘拐」のオスミンのアリアからとられている。弱奏の弦のユニゾンに始まり、すぐに8分音符の動きを中心とするトゥッティへと流れ込む。この部分はイ短調でトルコ風の雰囲気を漂わせて終始すると、イ長調の第2主題が提示される。
 
 リズミックな伴奏に乗って主題が繰り返された後再び8分音符の動きとなり華やかなファンファーレ風の響きでイ長調に終始する。突然、ト短調のトルコ風な雰囲気になり展開部が終わるかのように見えるが、すぐに第1主題が幻聴で再起する。
 
 これは、ハイドンが展開部で愛用する、いわゆる「疑似再現」の手法に似ているという説もある。主題の後半はホ短調から嬰ヘ短調に転調、ついで第2主題はロ短調で提示され展開風に扱われる。フィガロの結婚を思わせるフレーズから第1主題の再現、第2主題はニ短調で再現、やがて力強いコーダへと導かれる。
 
 
  
 
<演奏データ>
オーケストラ: ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団
指揮: ローター・ツァグロゼク
作曲: モーツァルト, ブルックナー
CD (2011/5/24)
ディスク枚数: 1
レーベル: ALTUS
ASIN: B004XKZH74
EAN:  4543638002054
1. モーツァルト:交響曲 第35番 ニ長調 K.385 「ハフナー」 
2. ブルックナー:交響曲 第6番 イ長調 

今日のモーツアルト ピアノと管弦楽のためのロンド K.386

$
0
0
今日のモーツアルト
ピアノと管弦楽のためのロンド イ長調 K.386 
Concerto Rondo for piano in A

■編成 p, 2 ob, 2 hr, 2 vn, va, vc, bs
■作曲 1782年10月19日 ウィーン
 
 
 
 
 コンスタンツェが良妻だったか悪妻だったかなどという話は余り興味のない話ではあるが、モーツアルトの死後の動静や発言を聴くと少なからずがっかりさせられるばかりで、できれば目にしたくないことが見えてくる。
 
 

今日のモーツアルト 弦楽四重奏曲 第14番 「春」 K.387

$
0
0

今日のモーツアルト
弦楽四重奏曲 第14番 ト長調 「春」 K.387

I.Allegro vivace assai ト長調 4/4 ソナタ形式
II.Menuetto : Allegretto ト長調 3/4
III.Andante cantabile ハ長調 3/4 展開部を欠くソナタ形式(あるいは二部形式)
IV.Molto allegro ト長調 4/4 ソナタ形式
〔編成〕 2 vn, va, vc
〔作曲〕 1782年12月31日 ウィーン
 
11月29日(金) 今日の音楽こよみ
イタリアの作曲家、クラウディオ・モンテヴェルディ没(1567〜1643)
イタリアのオペラ作曲家
、ドニゼッティ誕生(1797〜1848)
東京音楽学校第48回公演で、
ベートーヴェン『第9交響曲』初演(1924)
イタリアのオペラ作曲家、ジャコモ・プッチーニ没(1858〜1924)
トランペット/フリューゲルホルン奏者、チャック・マンジョーネ誕生(1940〜)
元ラスカルズのキーボード/ボーカル、フェリックス・キャバリエ誕生(1944〜)
オーストリアの作曲家、②
エーリヒ・ウォルフガング・コルンゴルト没(1897〜1957)
若者のカリスマ的存在の歌手、尾崎豊誕生(1965〜1992)
 

今日の演奏会 NHK交響楽団第1769回 定期公演A

$
0
0
イメージ 1
今日の演奏会
NHK交響楽団第1769回 定期公演 Aプログラム
 
日 時:2013年11月30日(土) 開場 5:00pm  開演 6:00pm
場 所: NHKホール
曲 目   
ストラヴィンスキー/バレエ音楽「カルタ遊び」
リスト/ピアノ協奏曲 第1番 変ホ長調
ショスタコーヴィチ/交響曲 第15番 イ長調 作品141
指揮:シャルル・デュトワ
 
 
 
 
  私は、この偉大な人物のことを忘れていたわけではないが、数年ぶりに見て、聞いて、再確認をしたが実に偉大な指揮者である。とりわけ、リズムの明快さと節回しの絶妙さ(アゴーギグが実に絶妙である)は、比類まれである。音楽の作り方が、益々若々しく、余りに陳腐だが「何て素敵なんだろう」と思った。素敵とは、男に対する最大の褒め言葉である。(そう、女に素敵というのは本来ではない)
 
 私の、音楽鑑賞はほぼ指揮者しか見ていない。もちろん、指揮者が合図を送る方向や対象は確認するが、私は拍の取り方やフレーズの歌いまわしや、バランスや重ね方に最大限の注意を払う。自慢ではないが、ここ最近の私の音楽会は実に最高の集中力である。
 
 当然、そのほかにも楽器の本数と位置、パーカッションの位置と種類と数、ハープやチェレスタなどの特殊楽器、当然弦はプルトの人数も確認する。コントラバスの数は絶対にチェックである。ちなみに、ストラヴィンスキーは6本、ショスタコは9本だった。
 
 ショスタコービッチを嫌う人も多いが、理由は分かる気がする。特に、SP、LPからの聞き手手で、ラジオ放送を楽しみに聞いていた世代はそういう人が多い。その点、若い吹奏楽経験者などはむしろ逆の傾向を示す。複雑なリズムが大好きで、後打ちのリズムが得意である。私のように、民謡を擦り手で拍子を取る世代とは格段のリズム感の格差がある。
 
 さて今日のメニューについて触れてみよう。ストラヴィンスキーのバレエ音楽「カルタ遊び」だが、いわゆる一般的に有名な作品の部類からは少し離れるかもしれないが、時代背景を考えるとストラヴィンスキーにとっては重要な作品であろう。
 
 よき友でありライバルでもあったディアギレフが亡くなり、一方ではナチスの台頭でヨーロッパは閉塞感に苛まれていた時代である。ストラヴィンスキーはまだパリにいた。そんな折アメリカではアメリカバレエ団(現ニューヨークバレエ団)が旗揚げされようとしていた。ニューヨークに移住したバランシンである。
 
 しかし、ディアギレフ亡きあとはむしろ先駆的な意味で新作バレエを牽引していたのは他ならぬストラヴィンスキーその人であった。したがって、アメリカの息吹を感じ取っていたストラヴィンスキーは作品の正式な依頼を受ける一年前にはこの作品を荒筋から舞台上の動きまで構想の中に入って中で作品を書き始めていた。
 
 この音楽の中には、ベートーヴェンやらラヴェル、R・シュトラウス、ロッシーニが様々な断片が入り込んでいて実に面白い作品である。そういう意味で言えば、今夜のプログラムのショスタコービッチの15番の交響曲もウイリアムテルの懐かしい響きから始まって次は何だと耳を欹てずにはいられない作品だが、デュトワはその辺をかなり意識してプログラムを組んだはずである。
 
 さて、カードゲームは最初のディールに入る。まずカードを配る。パ・ダクシオン。ジョーカーの踊り。(一方の手にはジョーカーがあるが、ストレートで他方を打ち負かすには至らない)。コーダ。(ワルツ)
 
 2回目のディール 導入(カードが配られる)。行進曲。5つのヴァリアシオンとコーダ。(ジョーカーを持つ手には4つのエースがあるので、4つのクイーンを持つ対戦者に難なく勝つことができる)。行進曲とアンサンブル。
 
 3回目のディール 導入(カードが配られる)ワルツ・メヌエット(スペードたちの先頭に立って歩いていたジョーカーは、一人の対戦者のフラッシュに勝利する)。プレスト(しかし結局、ハートのロイヤル・ストレート・フラッシュに打ち負かされる)。結びの踊り。(ジョーカーの悪さもこれにて終了)
 
 ところで、ストラヴィンスキーは曲の末尾にこう記している。「悪人とは絶えず戦うべし。なるほど平和は結構だ。しかし、誠意なき敵を前の平和が何の役に立とう」ラ・フォンテームの言葉である。初演は、1937年4月。まさに戦争前夜であった。
 
 ※ 藤田茂氏の記事に翡翠が加筆した。 
 
 リストのピアノ協奏曲については省略。ショスタコービッチの15番については長くなるので別の機会に譲ることにしよう・
 
 
 
 
<演奏データ>
演奏: フィルハーモニア管弦楽団
指揮: サロネン(エサ=ペッカ)
作曲: ストラヴィンスキー
CD (2001/6/20)
ディスク枚数: 1
レーベル: ソニーレコード
収録時間: 68 分
ASIN: B00005J4MC
EAN:  4988009270432
1. バレエ音楽「火の鳥」(1910年原典版全曲)   
2. バレエ音楽「カルタ遊び」
 

ショスタコービッチ作曲 交響曲15番

$
0
0
イメージ 1
ショスタコービッチ作曲 交響曲15番
 
 
12月2日 今日の音楽こよみ
イギリスの指揮者、ジョン・バルビローリ誕生(1899〜1970)
不世出の名ソプラノ歌手、マリア・カラス誕生(1923〜1977)
ハード・バップ派のジャズ・ピアニスト、ウィントン・ケリー誕生(1931〜1971)
フランスの作曲家、オリヴィエ・メシアンの「トゥーランガリラ交響曲」初演(1949)
ブギウギ・ピアニスト、アルバート・アモンズ没(1907〜1949)
ルーマニアのピアニスト、ディヌ・リパッティ没(1917〜1950)
ビー・ジーズがニューヨーク市の財政援助のためにチャリティ・コンサートを行う(1976)
スティーヴィー・ワンダーがメトロポリタン・オペラ・ハウスで、ナショナル・アフロアメリカン・フィルをバックに最新アルバム『シークレット・ライフ』のライブ演奏を披露(1979)
アメリカのアイドル歌手、ブリトニー・スピアーズ誕生(1981〜)
MTVがマイケル・ジャクソンのビデオ・クリップ『スリラー』を初放映(1983)
アメリカの作曲家、アーロン・コープランド没(1900〜1990)
作曲家、浜口庫之介没(1917〜1990)
 
 
 健康の衰えを感じ、死を意識した作曲者の思いが見え隠れする。実際、ショスタコービッチは70年にはサナトリュームに二度も入退院を繰り返し、71年には心筋梗塞で入院、73年には姉マリアの死に出会い、亡くなった76年にも二度入院している。死を意識せずにはおれなかったのであろう。
 
 作品は、政治に翻弄された波瀾万丈の人生を振り返り、達観したかのような感を受ける。交響曲第15番 イ長調 作品141は、ドミートリイ・ショスタコーヴィチが作曲した最後の交響曲である。
 
 作曲時期は1971年。交響曲第13番、交響曲第14番のような声楽入りの交響曲や、ロシア革命を描いた標題的な作品である交響曲第11番、交響曲第12番などとは異なり、交響曲第10番以来の伝統的な4楽章の交響曲である。
 
 しかし、合奏よりもソロなどが目立つ室内楽的なオーケストレーションや、各楽章にちりばめられたさまざまな作曲家の作品からの引用、更にショスタコーヴィチ流の十二音技法など、ベテランならではの技巧も光る作品である。  
 
 上記のようにどのパートも活躍の場があり、また複雑なリズムや対位的な音楽や12音技法、ソロや各セクションだけの独立した部分など、様々な要素がコラージュのようにちりばめられていて、緊張感を求められるが演奏者としても面白味がある作品であろう。
 
初演 1972年1月8日、マクシム・ショスタコーヴィチ指揮、モスクワ放送交響楽団
 
構成 4つの楽章から構成される。第2・第3楽章は切れ目なく演奏される。
第1楽章
Allegretto
 ソナタ形式と説明されることがあるが、実際は自由な形式で書かれている。ロッシーニの『ウィリアム・テル』序曲が引用される。このことについて作曲者自身は、深夜のおもちゃ屋さんをイメージしたと述べている。
 また、息子で初演者のマクシム・ショスタコーヴィチは、幼少の父が最初に好きになった曲であることに由来すると説明している。また、ウィリアム・テルのロシア語表記の最初の3文字とレーニンのイニシャルが共に"ВИЛ"であることから、レーニンがソビエト連邦の指導者であった作曲者の幼年期から青春時代をこの楽章は表しているという説もある。また、3連音、4連音、5連音が同時に奏でられる「リズムクラスター」の複雑な箇所が存在するが、これについては交響曲第2番やストラヴィンスキーの「春の祭典」との関連を指摘する説もある。
 
第2楽章
Adagio - Largo
 三部形式 。金管のコラールではじまり、チェロの十二音列風なモノローグがそれに続く。142小節からはラルゴに入り、葬送行進曲風の哀悼の調べとなる。チェレスタの音型は、交響曲第1番冒頭部から取られている。
 
第3楽章
Allegretto
 不気味さの漂うスケルツォ。冒頭でクラリネットが奏でる第1主題は十二音列となっている。作曲者が最晩年に用いた独自の音列的書法である。トリオの主題はヴァイオリン独奏によって現れされ、この辺りは協奏曲のような趣がある。再現部は短く、すぐにコーダに入るが、コーダは終楽章のそれと同様、弦のピアニッシモにのって打楽器が静謐な音を刻む。
 
第4楽章
Adagio - Allegretto
 アダージョではワーグナーの『ニーベルングの指環』より「運命の動機」が引用される。17小節からアレグレットに入るが、ここでも「運命の動機」は繰り返し登場する。アレグレット冒頭で現れる主題について、作曲者はグリンカの歌曲『疑惑』の引用だと述べている。また、ここでは『トリスタンとイゾルデ』の断片も引用される。105小節からは長大なパッサカリアとなるが、主題は交響曲第7番『レニングラード』の第1楽章「戦争の主題」である。第6変奏では主題の構成音が音列化されている。チェレスタのパッセージと第1楽章断片の再現により静謐なコーダが始まる。40小節にわたって弦がイ長調主和音(第三音省略)をピアニッシモで奏で、打楽器が交響曲第4番第2楽章コーダや第二チェロ協奏曲の終楽章の打楽器パートを引用する。自作からの引用ではここが最も目立つ箇所である。また、ハイドンの最後の交響曲である『ロンドン』の冒頭が引用されている。最後は、静かに音楽を閉じる。
 
編成
木管楽器
ピッコロ1、フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2金管楽器
ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、チューバ1、打楽器
ティンパニ、シンバル、トライアングル、大太鼓、小太鼓、シロフォン、タムタム、グロッケンシュピール、チェレスタ、トムトム(ソプラノ)、タンブーラ・ミリターレ、カスタネット、ウッド・ブロック、鞭、ヴァイブラフォン弦楽器
第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス
 
 ※ ウィキペディアの記事に翡翠が加筆した。
 
<演奏データ>
ショスタコーヴィチ:交響曲第15番 
ヤンソンス(マリス) | 形式: CD
演奏: ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団, ルディ(ミハイル)
指揮: ヤンソンス(マリス)
作曲: ショスタコーヴィチ
CD (2005/10/26)
ディスク枚数: 1
レーベル: EMIミュージック・ジャパン
収録時間: 74 分
ASIN: B000AU1NJC
1. 交響曲第15番イ長調op.141    
2. ピアノ協奏曲第2番ヘ長調op.102   
3. 組曲「馬あぶ」op.97a(レフ・アトヴミアン編) 
 

今日のモーツアルト セレナード 第12番ハ短調 「ナハトムジーク」

$
0
0
セレナード 第12番ハ短調 「ナハトムジーク」K.388 (384a)

I.Allegro ハ短調 2/2 ソナタ形式
II.Andante 変ホ長調 3/8 ソナタ形式
III.カノン形式のメヌエット ハ短調 3/4 (トリオはハ長調)
IV.Allegro ハ短調 3/4 主題と5変奏
■編成 2 ob, 2 cl, 2 hr, 2 fg
■作曲 1782年7月または1783年末 ウィーン
 
 
 
12月 4日 今日の音楽こよみ
ピアノ曲集で知られるドイツの作曲家、ヨハン・フリードリヒ・ブルグミュラー誕生(1806〜1874)
ハンガリーの作曲家、フランツ・リストの「ファウスト交響曲」初演(1857)
ジャズ・ギタリスト、ジム・ホール誕生(1930〜)
山田耕作、姓名判断により“耕筰”と改名(1930)
『日の名残り』『モーリス』等の映画音楽作曲家、リチャード・ロビンス誕生(1940〜)
ビーチ・ボーイズのデニス・ウィルソン誕生(1944〜1983)
東京有楽町にて第1回オーディオ・フェア開催(1952)
イギリスの作曲家、
ベンジャミン・ブリテン没(1913〜1976)
ライ&ザ・ファミリー・ストーンの「ファミリー・アフェアー」がビルボード1位に(1971)
前年にドラマーのジョン・ボーナムを亡くしたレッド・ツェッペリン解散(1980)
ロック界の巨人、フランク・ザッパ没(1940〜1993)
 
 
Viewing all 372 articles
Browse latest View live