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Channel: 翡翠の千夜千曲
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今日のモーツアルト 二重唱「なんたる恐ろしき戦慄」 K.389

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今日のモーツアルト
二重唱「なんたる恐ろしき戦慄」 K.389 (384A)
Duet for 2 tenors "Welch ängstliches Beben" (fragment)

 
〔編成〕 fl, ob, fg, 2 hr, 2 vn, va, bs
〔作曲〕 1782年4月か5月 ウィーン
12月5日 今日の音楽こよみ
死の間際まで仕事に励んだオーストリアの作曲家、モーツァルト没(1756〜1791)
ベルリオーズ、『幻想交響曲』を初演(1830)
テノール歌手、藤原義江誕生(1898〜1976)
1950年代を代表するロックンロール歌手のひとり、リトル・リチャード誕生(1932〜)
スペインのテナー歌手、ホセ・カレーラス誕生(1946〜)
バッファロー・スプリングフィールド、ポコ、ロギンス&メッシーナなどで活躍したギタリスト/ソングライター、ジム・メッシーナ誕生(1947〜)
ポーランドのピアニスト、クリスティアン・ツィマーマン誕生(1956〜)
ジャズ・トランペッターのケニー・ドーハム没(1924〜1972)
ジャズ・フルート&サックス奏者、ラサーン・ローランド・カーク没(1935〜1977)
黒澤明作品などで活躍した日本の映画音楽の第一人者、佐藤勝没(1928〜1999)

今日のモーツアルト 歌曲「私は私の道を」または「希望に寄せて」

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今日のモーツアルト
歌曲「私は私の道を」または「希望に寄せて」K.390 (340c)
 
〔作曲〕 1781年8月〜82年5月? ウィーン (または、1780年頃 ザルツブルク)
 
 
12月7日 今日の音楽こよみ
清水かつら作詞、弘田龍太郎作曲の童謡「雀の学校」完成(1921)
ジャズ・ファンク・オルガン奏者、ソニー・フィリップス誕生(1936〜)
イタリアの作曲家、ピエトロ・マスカーニ誕生(1863〜1945)
アメリカのシンガーソングライター、トム・ウェイツ誕生(1949〜)
ルーマニアのピアニスト、クララ・ハスキル没(1895〜1960)
ビートルズが設立したレコード会社アップルの事務所がロンドンに設けられる(1967)
アフリカ飢餓難民のために結成されたバンド・エイド、ロンドンでチャリティ・コンサートを行う(1984)

 
 
 
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今日のモーツアルト 歌曲「私の慰めであって下さい」

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歌曲「私の慰めであって下さい」
             または「孤独に寄せて」 K.391 (340b)

〔作曲〕 1781年8月〜82年5月? ウィーン (または、1780年頃 ザルツブルク)
 
 
 
  変ロ長調、4分の3拍子、ピアノ伴奏。 4つの節から成る有節形式。 作曲の時期、動機ははっきりしない。 アインシュタインによると
 
  明らかに或る年鑑編集者の依頼によって、しかも当時流行のJ・T・ヘルメスの長編小説『メーメルからザクセンへのゾフィーの旅』への挿入曲として、作曲したのであった。 そのテクストはこの長編小説全体と同様に味もそっけもないものであり、モーツァルトはただこのとき一回だけ、彼の時代の「多情多感」の犠牲になったのであった。 「悲痛に、だが落ち着いて」というようなリートの演奏指示が、すでにそのことを告げている。
 
 

今日のモーツアルト 歌曲 「偉人たちの栄光に感謝せよ」 

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今日のモーツアルト
歌曲 「偉人たちの栄光に感謝せよ」 K.392 (340a)

〔作曲〕 1781年8月〜82年5月? ウィーン (または、1780年頃 ザルツブルク)

今日の一曲

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12月13日 今日の音楽こよみ
 
グスタフ・マーラーの交響曲第2番「復活」初演(1895)
ガーシュインの『
パリのアメリカ人』がニューヨークのカーネギー・ホールにて初演(1928)
「山口さんちのツトム君」の作詞作曲で知られるみなみらんぼう誕生(1944〜)
活動を再開したゴダイゴのリーダー、ミッキー吉野誕生(1951〜)
リバプールのレコード店経営者、ブライアン・エプスタインがビートルズと正式にマネージメント契約を結ぶ(1961)
元X JAPANのギタリスト、HIDE誕生(1964〜1998)
 
 
 
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  記事はともかくボリバル響の演奏とドゥダメルの指揮を見てくださいな。天才だ。システマを私も見習いたい。ここには、夢と美と確立されていない可能性という限りないシステムがある。
 
  本日まるまるウィキペディアです。
 1893年1月にマーラーは「交響詩」を改訂(=第1交響曲第2稿)。7月にザルツブルクの近郊、アッター湖畔にあるシュタインバッハにおいて、「第2番」の第2楽章から第4楽章までを完成させた。このとき、『子供の不思議な角笛』の新たな1曲「魚に説教する聖アントニウス」も第3楽章と同じ材料に基づいて作曲されている。マーラーはこの年から夏休みをシュタインバッハで作曲に専念して過ごすようになり、また、バート・イシュルに滞在していたブラームスを訪問して知己を求めている。
 
 同年10月、マーラーは改訂した「交響詩」に『巨人』の標題を付してハンブルクで演奏、翌1894年7月ヴァイマルで再演するが、いずれも成功しなかった。
 
 1894年2月12日、ビューローがカイロで客死し、3月29日ハンブルクのミヒャエリス教会で葬儀が行われた。この葬儀に出席したマーラーは、オルガンと合唱によるクロプシュトックの「復活」を聴き、交響曲の終楽章の歌詞に使用することを思いつく。
 
 この時の感動をマーラーは「あたかも稲妻のようにわたくしの身体を貫き、曲の全体の形がわたくしの前に、はっきりと明らかな姿で現れました。創作する者はかくのごとき『稲妻』を待つこと。まさしく『聖なる受胎』を待つことなのです。」(友人のザイドルに充てた手紙から)と書いている。 まず、テキストの最初の二連を使い、各連末尾の「ハレルヤ」は削除、三連以降は自作の歌詞を加筆した。4月に「葬礼」を小節数短縮、編成拡大などの改訂を施して第1楽章とし、6月には総譜の下書きが完成する。最終稿ができあがったのは、12月18日ハンブルクにおいてであった。
 
初演
1895年3月4日、声楽の入らない第1楽章から第3楽章までをベルリン・フィルハーモニー管弦楽団によって初演。演奏会全体の指揮者はリヒャルト・シュトラウスであるが、この曲については「作曲者指揮による」との断り書きがあり、マーラーが指揮したものと見られる。その夏にはマーラーはシュタインバッハにおいて交響曲第3番の作曲に取りかかった。全曲初演は1895年12月13日、同じくマーラー指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団による。マーラー35歳のときである。膨大な管弦楽に独唱者、合唱隊をくわえるため多額の資金を必要としたので、マーラーは私財を投じて借金をし、チケットを友人や音楽学校の生徒に売りつけるなどかなりの無理をしたが、その甲斐あって初演は大成功となった。
 
 第1交響曲が初演された1896年3月16日の演奏会では、第1交響曲の全楽章に先立ち、「第2番」の第1楽章に再び「葬礼」の標題を付けて演奏した。「葬礼」の標題を使用したのは、これが最後と見られる。1895年初演のときのブルーノ・ワルターの感想「・・・私の回想の中で最も素晴らしい物の一つです。私は終楽章の偉大なるラッパで世の終わりを告げた後に、復活の神秘的な鳥の歌を聴いた時の息のつけぬような緊張、そこへ続く合唱の『汝よみがえれ。』に導かれる部分での深い感動は、今でも耳にはっきり残る。・・・作品の大きさ、独創さ、マーラーの個性の強さなどの印象が余りにも深く偉大であったので、この日から、彼は、作曲者として最大の地位をもって迎えられたのです。」
 
楽譜 版の混乱
1897年ライプツィヒのホフマイスター社から出版された。現在一般的に流通しているのは、1970年にウニフェルザル出版社から出版されたエルヴィン・ラッツ校訂、マーラー協会による「全集版」である。しかしこの版には「校訂ではなく改訂である」という意見も多く、演奏時にそのまま用いられることは殆ど無い。今日の演奏は古い版とラッツ校訂版の折衷でなされることが多い。他の交響曲の演奏においてはほとんどがラッツ校訂版に切り替わっているのに対し、この曲においては版問題の混乱が未だに残っている状況である。下記のキャプラン版はラッツ校訂版の行き過ぎを元に戻したところが多く、この混乱を終息させてくれるかも知れない。
 
キャプラン版
アメリカの経済誌の社長ギルバート・キャプラン(1942年 - )がマーラーの自筆譜を買い取り、音楽学者レナート・シュトルク・フォイトの協力を得て校訂、2005年に出版したものが「キャプラン版」として知られる。キャプランが買い取ったマーラーの自筆譜は1894年の初稿で、マーラーが1911年に没した後、アルマ・マーラー、ウィレム・メンゲルベルク、メンゲルベルク財団、キャプランと渡ったものである。キャプランは校訂出版に先立ち、この自筆譜を写真譜としても出版していた。キャプランは、2002年にこの校訂譜をもとにウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮して録音している。
なお、キャプランは1965年にレオポルド・ストコフスキーが指揮したこの曲を聴いて感動し、自らこの曲を指揮するために本格的な指揮を勉強、1983年以降、世界中のオーケストラを指揮してこの曲のみ50回以上上演している。日本でも1984年4月に新日本フィルハーモニー交響楽団を指揮した。1987年にはロンドン交響楽団とこの曲を録音、1996年にはザルツブルク音楽祭でフィルハーモニア管弦楽団を指揮して演奏するなど、「復活」専門の指揮者として知られる。
 
楽器編成
フルート 4(ピッコロ持ち替え 4)、オーボエ 4(コーラングレ持ち替え 2)、小クラリネット 2、クラリネット 3(バスクラリネット持ち替え 1)、ファゴット 4(コントラファゴット持ち替え 2)、ホルン 10(そのうち舞台外に4)、トランペット 6 + 舞台外に4(しかし移動のための時間があればオーケストラ側から2人借りられる)、トロンボーン 4、チューバ1、ティンパニ 2人(8台) + 舞台外に1台(計3人)、シンバル 2 + 舞台外に1、タムタム 2、大太鼓 +舞台外に1、小太鼓 1以上の複数、グロッケンシュピール、鐘(音程の定まらないもの3種)、ルーテ(むち)、ハープ 2台、オルガン、弦五部(16型)、ソプラノ独唱、アルト独唱、混声合唱
 
楽曲構成
スケルツォ楽章を中心とした対称的な5楽章配置が見られ、マーラーの交響曲として代表的な構成である。演奏時間は通常80分前後だが、速い演奏だとオットー・クレンペラー指揮の1950年のシドニー交響楽団とのライブ録音で68分、遅い演奏だと同指揮者のニュー・フィルハーモニア管弦楽団との録音で99分というのが有名である。
 
第1楽章
アレグロ・マエストーソ まじめで荘厳な表現で一貫して ハ短調 4/4拍子 ソナタ形式
 弦のトレモロの上に、低弦が荒々しい第1主題を出す。葬送行進曲風に進行し、徐々に熱気を帯びて金管やシンバルを加えて発展する。経過句の後、第2主題がホ長調でヴァイオリンで提示される。憧憬に満ちた祈るような順次上行が特徴的だが、第1主題に遮られ小結尾に入る。ホルンと低弦による3連符を含む特徴的なリズムを経て、金管がコラール風の主題を奏して第1主題と絡めて発展する。ホルンと木管が残り、葬送行進曲風の曲想に戻り、ハープが残って提示部が閉じられる。
 展開部は大きく2つに分かれ、前半はヴァイオリンが美しく第2主題を奏でて開始される。始まって小結尾やリズム動機を扱う。再び第2主題がフルートやヴァイオリン・ソロに現れると安らかになって静まる。それが第1主題の動機により打ち破られるところから後半に入る。ここでは主に第1主題を扱う。ホルンにコラール風な旋律が現れるが、これは終楽章で重要な役割を果たすことになる。小結尾の動機で叩きつけるようにクライマックスを築いて展開部が閉められる。
 再現部はほぼ型どおりだが、オーケストレーションや進行は変えられている。第1主題は発展が省略されて経過句に遮られ、そのまま第2主題が続いて消え入るように再現部が終わる。コーダは小結尾の葬送行進曲で暗鬱に静まっていくが、トランペットが半音下降して長和音から短和音に移行(後の交響曲第6番のモットーに通じる)し、最後は半音階的に崩れ落ちるように終わる。
この第1楽章では拍子変更が全くなく、4/4拍子で貫かれている。
 
 第1楽章の後に「少なくとも5分間以上の休みを置くこと」という指示があるが、現実的にはこの指示通りになされることは少ない。第1楽章の後にソリスト、合唱を入場させて時間をとることもある。この指示は指揮者を信用しないというマーラーの強い信念がかかわる。
 
第2楽章
アンダンテ・モデラート きわめてくつろいで、急がずに 変イ長調 3/8拍子 ABABAの形式
主部は弦による舞曲風な主題で、落ち着いた表情と伸びやかな雰囲気を持つ。中間部は3連符の弦の刻みに乗って管楽器が歌う。ロ長調だが短調に傾いている。2回目の主部はチェロのおおらかな対旋律が加えられており、中間部の再現はオーケストレーションが厚くなっているなど、単純な繰り返しが避けられている。最後の主部の再現では、弦楽器のピチカートとなる。
 
第3楽章
スケルツォ 静かに流れるような動きで ハ短調 3/8拍子 三部形式
 主部はティンパニの強打につづいて、ヴァイオリンがなめらかに上下する主題を出す。中間部では、低弦が歯切れのよいリズムを刻み、管楽器が快活な主題を奏する。主部の再現はより自由に進行する。結尾では、中間部の主題が現れ、爆発的に盛り上がったところで終楽章を予告する。
 『子供の不思議な角笛』の歌曲「魚に説教するパドヴァの聖アントニウス」と同じ材料で作曲されており、両者は双生児のような関係にある。
 また、中間部の主題は、ウィーン音楽院でのマーラーの親友で、近年再評価が進んでいるハンス・ロットの交響曲第1番ホ長調第3楽章の第1主題からの引用の可能性が指摘されている。
 第3楽章から第4楽章、さらに第5楽章まで切れ目なく演奏される。
ルチアーノ・ベリオの『シンフォニア』第3楽章はこの楽章をベースにして、古今東西のクラシック音楽をその上に引用している。
 
第4楽章
「原光」 きわめて荘重に、しかし素朴に 変ニ長調 4/4拍子 三部形式
 「赤い小さな薔薇よ」とアルト独唱が歌う。舞台外の金管がコラール風の間奏を添える。中間部で転調し、独唱にヴァイオリンソロ、木管が絡む。『子供の不思議な角笛』の第7曲「原光」(Urlicht)からとられた。
 
第5楽章
スケルツォのテンポで、荒野を進むように ヘ短調 - 変ホ長調 4/4拍子 拡大されたソナタ形式
 演奏時間にして全体の4割以上も要する長大な楽章で、マーラー流に拡大されたソナタ形式で構成されている。第4楽章が終わるとそのまま開始され、管弦楽の強烈な響きのなかで、金管が叫ぶような第1主題を出す。最弱音のホルンがハ長調で明るい動機を示し、ホルンの「呼び声」のような動機がこだまする。第2主題は「第2主題部」ともいえるもので、前半に木管がコラール(ベースはグレゴリオ聖歌の「怒りの日」)を出す。これは第1楽章ですでに示されていたもの。後半はトロンボーン、さらにトランペットが引き継ぐが、これが「復活」の動機と考えられている。しばし音楽は穏やかになるが、ヴァイオリンのトレモロの上に、フルートとイングリッシュ・ホルンが不安げな動機を示す。コラールと「復活」動機、不安げな動機が繰り返され、切迫する。
 展開部は、第1主題の叫びで開始される。コラール主題が加わってきて行進曲調となり、勇壮華麗に展開される。頂点で急激に静まると、不安げな動機が金管に出て、トランペットのファンファーレ的な音型を繰り返しながら今度はストレッタ的に急迫していく。第1主題がすべてを圧するかのように出ると、再現部に入ったことになる。
第1主題につづいて出るホルン動機は、チェロの柔らかい音型に変奏されている。ホルンの呼び声が舞台外にこだましていくと、フルートとピッコロが夜鶯を表す。呼び声とトランペットのファンファーレが交わされる。オーケストラが沈黙したところで、合唱がクロプシュトックの「復活」賛歌を神秘的に歌い始める。合唱はユニゾンの扱いが多く、印象的である。オーケストラはホルン動機に基づく間奏で応え、合唱、さらにオーケストラとなる。トランペットがホルン動機の完全な姿を示す。アルト・ソロが不安げな動機に基づいて歌い、男声合唱が「復活」動機を劇的に示す。ソプラノ・ソロとアルト・ソロの二重唱となる。ここでは第4楽章の後半の動機も扱い、高まっていく。合唱がホルン動機を繰り返して高揚し、オルガンも加えて壮大に「復活」動機を歌い上げる。ホルン動機に基づく管弦楽の崇高な響きで全曲を締めくくる。
 
<演奏データ>
マーラー:交響曲第2番 復活 
ヤルヴィ(パーヴォ) | 形式: CD
演奏: ナタリー・デセイ, アリス・クート, オルフェオン・ドノスティアラ
オーケストラ: フランクフルト放送交響楽団
指揮: パーヴォ・ヤルヴィ
作曲: グスタフ・マーラー
CD (2010/6/2)
ディスク枚数: 2
レーベル: EMIミュージックジャパン
収録時間: 85 分
ASIN: B003G88FWS
EAN:  4988006880047
ディスク:1
1. 交響曲 第2番 ハ短調 「復活」 第1楽章:アレグロ・マエストーソ    
ディスク:2
1. 交響曲 第2番 ハ短調 「復活」 第2楽章:アンダンテ・モデラート    
2. 交響曲 第2番 ハ短調 「復活」 第3楽章:おだやかに流れる動きで   
3. 交響曲 第2番 ハ短調 「復活」 第4楽章:原初の光(きわめて荘厳にしかし簡潔に)   
4. 交響曲 第2番 ハ短調 「復活」 第5楽章:スケルツォのテンポで 

今日のモーツアルト ソルフェージュ K.393

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ソルフェージュ K.393 (385b)

I.Allegro わがいとしのコンスタンツァのために Per la mia cara Constanza
II.Adagio ヘ長調
III.Allegro ハ長調
IV.(声慣らしのための音階集)
V.わがいとしの妻のために Per la mia cara consorte
VI.断片
〔作曲〕 1782年8月 ウィーン、一部は 1783年10月 ザルツブルク 
 
 
12月14日 今日の音楽こよみ 
 
バッハの2番目の息子で“ハンブルグのバッハ”と呼ばれた作曲家、
     ①カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ没(1714〜1788)
モーツァルトの
「レクイエム(鎮魂歌)」初演(1793)
指揮者、森正誕生(1921〜1987)
イタリアの作曲家、オットリーノ・
レスピーギの交響詩「ローマの松」初演(1924)
オーストリアの作曲家、②アルバン・ベルクのオペラ「ヴォツェック」初演(1925)
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ジャズ・ピアニスト、フィニアス・ニューボーン・ジュニア誕生(1931〜1989) 
 
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  コンスタンツェのために。 ソルフェージュ(solfège)またはソルフェッジョ(solfeggio)とは「読譜練習曲」すなわち「楽譜を読む練習のための曲」のことであり、コンスタンツェにはこのような基礎練習が必要だった。 完成したものが5曲。 第1曲と第5曲に上記の書き込みがある。 これらはまとまった一つの作品として書かれたのではなく、必要に応じて個々に書かれたと思われているが、おもに『ハ短調ミサ』(K.427)用の練習曲としてコンスタンツェに課せられたと思われる。 第2曲は『ハ短調ミサ』のキリエ楽章で使われている。 また、タイソンの自筆譜の研究により、第3曲はザルツブルク滞在中(1783年10月)に書かれたものであるという。 この部分について非常に興味深い考察がある。
 
 全96小節の曲構成が、音階と跳躍の網羅性において充実しているばかりでなく、鑑賞にも向いた作曲をしているのではないかと思われるふしがある。 最後に拍手が期待されているかの如くである。 誰の拍手であろうか。 私はコンスタンツェの練習中にレーオポルトやナンネルが隣の部屋(?)で聴いているのをモーツァルトは想定して作曲したのではないだろうかと思う。
 
 
 

今日のモーツアルト ピアノのための前奏曲 K.395

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ピアノのための前奏曲 ハ長調 K.395 (284a)
■作曲 1777年10月初 ミュンヘン 
 
 
12月15日 今日の音楽こよみ
ショパン、リスト、フェルディナント・ヒラーの3人が、パリでバッハの「3台のピアノのための協奏曲」を演奏(1832)
リムスキー=コルサコフの交響組曲『シェエラザード』初演(1888)
ジャズ、R&B、ソウルのギタリスト、ビリー・バトラー誕生(1924〜1991)
ジャズ・ピアニスト、歌手のファッツ・ウォーラー没(1904〜1943)
ジャズ・トロンボーン奏者、作曲家、バンド・リーダーのグレン・ミラー没(1904〜1944)
ジャズ・トランペット奏者、近藤等則誕生(1948〜)
ニューヨーク52丁目にジャズ・クラブ、バードランドがオープン(1949)
第1回日本レコード大賞受賞式。大賞受賞曲は水原弘の「黒い花びら」(1959)
 
 
 
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  この曲の素性は少し複雑である。 以前は以下の事情を踏まえて、ケッヘル第6版で「カプリチオ K.300g」とされていた。 よく知られているようにモーツァルトは母と二人で1777年9月23日に就職活動のためザルツブルクを旅立った。 長い道草のすえ翌1778年3月23日に目的地のパリに到着。 しかし7月3日、当地で母を失ったのである。 それをザルツブルクの父へ知らせる手紙の中で姉ナンネルの霊名の祝日(7月26日)のために前奏曲を書いたことを伝えている。 その日のためにモーツァルトは毎年作品を姉にプレゼントしていたが、たとえばディヴェルティメント(K.251)と同様にこのときも「大急ぎで」間に合わせたようとした。
 
1778年7月20日(パリからザルツブルクへ)
 お祝いの言葉がこんなに遅くなってしまったことをどうぞお許しください。 でも、やはりお姉さんにちょっとした前奏曲を贈りたいと思ったのです。 その演奏法は、彼女自身の感情におまかせします。 これはひとつの調性から他の調性へ移行する小プレリュードではなくて、一種のカプリッチョです、クラヴィーアを試すための。
                           [書簡全集 IV] p.167

 このカプリチオは残っていないが、「Capriccio K.300g」(1778年作)と位置づけられている。 このカプリチオについてはさらに31日の手紙で姉に書いている。

1778年7月31日(パリからザルツブルクへ)
 ぼくの小さなプレリュードには、きっと満足してくれたことと思います。 厳密に言うと、あなたが求めたものとはちがいます。 つまり、ひとつの調から他の調へと移行してゆき、好きなところでやめることができます。 ただ、そのようなプレリュードを書くには、ぼくに時間がなかっただけです。 それにはもっと延々と書き続けることが必要ですからね。 時間が持て次第、献呈しましょう。 とにかくママの衣類などを家へ送る便で、その新しいプレリュードと、その他シュレーターの協奏曲集、ヒュルマンデルのソナタ集、それから『ヴァイオリン教程』、ぼくの数曲の別のソナタを送ります。 さようなら。 ごきげんよう。 悲しい思い出を呼び起こしたくありません。
                        [書簡全集 IV] pp.199-200

 ここでは「ひとつの調から他の調へと移行してゆき、好きなところでやめることができる新しいプレリュード」を姉に送ることが記されているが、これも詳しいことは不明である。 このような曲を作ろうとした動機は前年にあった。

  1777年9月28日、ザルツブルクから父レオポルトはミュンヘンにいる息子に手紙を書いているが、その追伸に姉ナンネルは「短い前奏曲」を求めていた。

1777年9月28日(ザルツブルクからミュンヘンへ)
 ところでピンペルルは短い前奏曲を一曲すぐに送って下さいね。 今度は一度、ハ調からロ調に入るものを一曲書いて下さい。 そうすれば、少しずつ、それを暗譜で勉強できるからです。
                          [書簡全集 III] p.62

 「ピンペルル」とは弟ヴォルフガングのことである。 これにこたえてモーツァルトはさっそく仕上げたようで、10月11日の夜12時15分前に(パントマイムの芝居を観てからの直後に)4曲のプレリュードを送った。

1777年10月11日(ミュンヘンからザルツブルクへ)
 ぼくらはあす、アウクスブルクへ向けて立ちます。
 (中略)
 当地より、ぼくはお姉さんに4つのプレリュードを同封しました。 どんな調に導かれるか、見て聴けばおわかりでしょう。
                              同書 p.115
父レオポルトはすぐに伝えた。

1777年10月15日(ザルツブルクからアウクスブルクへ)
 ナンネル用の前奏曲はとってもすばらしかった! あの娘はそのためにおまえに百万回もキスするよ。 あの娘はこうした曲をもうかなり立派に弾いています。
                          同書 p.137

 ただし、そのすばらしい「(4つの)プレリュード」(K.284a)は行方不明となった。 新全集は、この曲 K.395 が書かれた紙質や筆跡などの研究により、K.300g でなく、1777年に姉ナンネルの求めに応じて作ったプレアンブル(即興演奏用の前奏曲)すなわち K.284a であろうと推測している。

 カプリチオ(Allegretto ハ長調から変ロ長調へ移る)に始まり、テンポや調性が目まぐるしく変化する部分を経て、再びカプリチオ(ハ長調)で終る。 あらゆる変化に指が動くように練習するための曲であるが、当時の慣習によれば、プレリュードがもっているもう一つの役割として、使用する楽器の調子や性能を試すという目的もあるのかもしれない。
 
 
<演奏データ>
前奏曲 ハ長調 K. 284a (カプリッチョ ハ長調 K. 395)
4手のためのピアノ・ソナタ 変ロ長調 K. 358
I. Allegro
II. Adagio
III. Molto presto
前奏曲 K. deest
前奏曲断章 K. 624
パイジエッロの歌劇「哲学者気取り」の「主に幸あれ」による6つの変奏曲 K. 398 (416e)
前奏曲とフーガ ハ長調 K. 394
 Prelude
 Fugue
ショルンスハイムとシュタイアーによる即興演奏

今日のモーツアルト ソナタ断章 ピアノ幻想曲 ハ短調 K.396

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ソナタ断章ピアノ幻想曲 ハ短調 K.396 (385f) 
 Fantasia in C minor

 A piece of sonata for piano and violin in C minor (fragment)
■作曲 1782年8月か9月 ウィーン
 
 
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   ソナタ形式 速度表示なし ハ短調 4/4 断片 27小節(提示部)まで

  原曲はピアノとヴァイオリンのためのソナタで、コンスタンツェに。 ヴァイオリンのパートは23?27小節にわずかしか書かれていない。 自筆譜(1930年、R.ハース発見)には曲のタイトルも速度表示もない。 エマヌエル・バッハの「正しいクラヴィア奏法」の付録「幻想曲ハ短調」をモデルにしているとも言われる。
 
  この頃、スヴィーテン男爵邸でヘンデルやバッハとの出会いがあり、妻コンスタンツェがフーガを偏愛していたこともあって、コンスタンツェのためにそのような様式のソナタ集を作るつもりだったが、すべて未完成に終った。 たとえば、K.403 ハ長調のパリ音楽院図書館に残る自筆譜には「最愛の妻のためのソナタ第1番 Sonate Premiere. Par moi W.A.Mozart pour ma tres chere Epouse」とあるが、第3楽章まできて、20小節主題提示のところで未完。
 
  1982年4月10日、モーツァルトは父へ次のように書き送っている。
 
  毎日曜日の12時に、スヴィーテン男爵のところへ行きますが、そこではヘンデルとバッハ以外は演奏されません。 僕は今、バッハのフーガを集めています。 セバスティアンだけでなく、エマヌエルやフリーデマンのも。 イギリスのバッハ(ヨハン・クリスティアン)が亡くなったのはご存知ですね。音楽界にとって惜しいことです
 
  コンスタンツェのために作ろうとしたソナタ集は
K.403 (385c) ピアノとヴァイオリンのためのソナタ ハ長調
K.404 (385d) ピアノとヴァイオリンのためのソナタ ハ長調
K.Anh.48 (385E) ピアノとヴァイオリンのためのソナタ楽章 イ長調
K.402 (385e) ピアノとヴァイオリンのためのソナタ イ長調
K.396 (385f) ピアノ幻想曲 ハ短調

のうち3曲(あるいは6曲)と考えられている。 これらすべてが未完に終わったことについて、アインシュタインは「おそらく主題がどうもあまりに古風で、非個人的だったこと、そして、コンスタンツェのフーガ偏愛がまったく純粋なものとはいえないことに(モーツァルトは)どうやら気づいたことにあろう」と推測している。 (浅井真男訳「モーツァルト、その人間と作品」白水社) なお、その外のジャンルについても、コンスタンツェのための作品はなぜか未完成。

   モーツァルトの死後シュタドラーが補筆し、ヴァイオリン部を省いてピアノ幻想曲「クラヴィーアのためのファンタジー Adagio」として完成。 1802年ウィーン(J.カッピにより)で出版された。そして、それが今日まで流布している。

今日のモーツアルト ピアノ幻想曲 ニ短調 K.397

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ピアノ幻想曲 ニ短調 K.397 (385g)
Fantasia for piano in D minor (fragment)
 
■作曲 1782年 ウィーン
 
  自筆譜なく、謎の多い作品である。 作曲の動機や時期はまったく不明であり、スヴィーテン男爵邸でヘンデルやバッハとの出会いから生れた「幻想曲ハ短調」(K.396)と並べられ、一応1782年成立(すなわち K.385g)とされている。 ただし、1786年か1787年という説もあり、自筆譜がないためはっきりしない。

  初版は作曲者の死後の1804年で、終り方が完全終止でなく、未完という扱いであった。 それが、1806年ブライトコップの出版の際に誰か(ミュラー? August Eberhard Müller, 1767-1817)によって10小節が補筆され、今日に残る。 1804年の初版では(ピアノソナタ K.457 の前奏曲として書かれた幻想曲 K.475 のように)何かのソナタあるいはフーガの前奏曲であるかのように扱われていたが、しかしこの曲に続く作品がないことも謎である。
 
   ただし、これに続くソナタやフーガが書かれないまま終ったとの見方もある。 10小節の補筆が誰によるものかはわからない。 ミュラーはライプツィヒのモーツァルト愛好家でありブライトコップ社とも関係のあった人物であるが、ピアノ協奏曲イ長調(第23番 K.488)にカデンツァを残していることでも知られている。 そして、かえってそのカデンツァのために、この曲の最後の部分の補筆にたずさわったことを疑問視する研究者もいる。 久元は演奏家の観点から次のように指摘している。
 
  モーツァルトの死後その作品の出版に深く関わったアウグスト・エバーハルト・ミュラーがこの曲(K.488)のためにカデンツァを残している。 ミュラーはモーツァルトの《幻想曲 ニ短調 K.397》を補作した人物と見られており、この補作は今日広く使われているものだ。 私はかねてからこの補作に疑問を持っていたのだが、ミュラーが残した《K488》のカデンツァを弾いて、ますます自分の疑問に確信を持った。 ミュラーのカデンツァは指の運動にはなるが、モーツァルトの名作が汚れてしまうようなしろものと言ってよい。 この程度のカデンツァしか書けない人に、モーツァルトの作品の補作が書けるはずがないからである。
                            [久元 p.187]

  ほかの幻想曲と同様、自由な発想が見られ、ロンドとソナタの混合形式になっている。 曲は緩急と中間の3つの部分に大別され、 Andante ニ短調 - Adagio - Presto - Tempo primo - Allegretto ニ長調 未完 97小節で中断のように、構成されている。 最初のアンダンテ(2分の2拍子)は深みから浮き上がるような分散和音による即興的な序奏となっている。 それに美しいアダージョの歌がプレストとテンポ・プリモに繰り返し中断されながら続く。 後半のアレグレット(4分の2拍子)の明るい曲想で、アインシュタインは「最も高い意味で子供らしい、あるいは天国的」と評している。

今日のモーツアルト 6つのピアノ変奏曲 ヘ長調 K.398

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6つのピアノ変奏曲 ヘ長調 K.398 (416e)
Six variations in F on
"Salve tu, Domine"
from the opera «I filosofi immaginarii» by Paisiello

■作曲 1783年 ウィーン
 
Wolfgang Amadeus Mozart
Six Variations on Salve tu Domine, K 398
Emil Gilels, piano
 
 
 
   当時コミック・オペラ作家として活躍していたパイジェルロ(Giovanni Paisiello, 1740-1816)のオペラ「哲学者気取り」の中の「主よ、幸いあれ Salve tu, Domine」を主題に。 皇帝ヨーゼフ2世も臨席した1783年3月23日の演奏会で即興したものを後に楽譜に書き留めた。
 
  1783年3月29日、ウィーンからザルツブルクの父への手紙
  
   私の発表会の成功についてあれこれと申し上げるまでもないと思います。 多分もうお聞きになっていることでしょう。 ともかく、劇場はこれ以上詰めこむ余地がないくらいで、ボックスも全部ふさがりました。 何よりも嬉しかったのは、皇帝陛下がお見えになり、大層ご満悦の様子で、大いに喝采をして下さったことです。
・・中略・・
『哲学者たち』というオペラの中のアーリア『わが愚かな賤民の考えは』の変奏曲、これはアンコールされました。
                                                            [手紙(下)] pp.90-91

    第4変奏はヘ短調。 即興的な性格が強いこの作品の写譜は1785年1月ウィーンのラウシュから出版されたが、上の演奏会で即興した曲と完全に同じかどうかは分からない。 したがって、その写譜の原稿を書いた(たぶん)1784年に成立したという見方もある。 さらに1786年にはウィーンのアルタリアから印刷譜として出版された。
 
 <演奏データ>
 
 仲道郁代/モーツァルト:ピアノ・ソナタ全集(6CD)

完全生産限定盤
充実の仲道の「いま」を刻印。記念碑的なモーツァルト全集登場。

日本を代表するピアニスト仲道郁代による待望のモーツァルトのソナタ全集。2008年からほぼ作曲年代順にモーツァルトの鍵盤作品を取り上げた演奏会と並行して、全18曲のピアノ・ソナタ、3曲の変奏曲、2曲のロンド、そして2曲の幻想曲を含むピアノ作品を録音。天衣無縫の自由さ、底抜けの明るさを持ちつつ、疾風怒濤の感情の高まりを秘めたモーツァルトのピアノ作品は、あらゆるピアニストの感受性を試す重要なレパートリーでもあります。
 ここ数年、ピリオド楽器への造詣を深めている仲道は、ヴァルターやシュタイン、プレイエルなどのオリジナルもしくはそのコピーに接し、深く弾き込み、さらに当時の奏法を研究することで、作曲家が作品に込めた思いを直接掬い取ることができるようになりました。ピリオド楽器とモダン・ピアノの垣根を通り越して自由に行き来し、時代様式や演奏法を深く体験し血肉化して、「いま」スタインウェイというモダン・ピアノでモーツァルトを弾く意味合いを改めて問い直すことで、知・情・意の兼ね備わったまったく新しい仲道のモーツァルト像が創造されたのです。(SONY)

【収録情報】
Disc1
モーツァルト:
・ピアノ・ソナタ第1番ハ長調 K.279 (189d)
・ピアノ・ソナタ第2番ヘ長調 K.280 (189e)
・ピアノ・ソナタ第3番変ロ長調 K.281 (189f)
・ピアノ・ソナタ第4番変ホ長調 K.282 (189g)

Disc2
・ピアノ・ソナタ第5番ト長調 K.283 (189h)
・ピアノ・ソナタ第6番ニ長調 K.284 (205b) 『デュルニッツ』
・ピアノ・ソナタ第7番ハ長調 K.309 (284b)
・パイジェッロの歌劇『哲学者気取り、または星占いたち』の「主に幸いあれ」による6つの変奏曲ヘ長調 K.398(416e)

Disc3
・ロンド ニ長調 K.485
・ピアノ・ソナタ第8番ニ長調 K.311 (284c)(旧全集では第9番)
・ピアノ・ソナタ第9番イ短調 K.310 (300d)(旧全集では第8番)
・ピアノ・ソナタ第10番ハ長調 K.330(300h)
・幻想曲 ニ短調 K.397

Disc4
・ピアノ・ソナタ第11番イ長調 K.331 (300i) 『トルコ行進曲付き』
・ピアノ・ソナタ第12番ヘ長調 K.332 (300k)
・ピアノ・ソナタ第13番変ロ長調 K.333 (315c)

Disc5
・幻想曲 ハ短調 K.475
・ピアノ・ソナタ第14番ハ短調 K.457
・ピアノ・ソナタ第15番ヘ長調 K.533/494(旧全集では第18番)
・ピアノ・ソナタ第16番ハ長調 K.545(旧全集では第15番)
・J.P.デュポールのメヌエットの主題による9つの変奏曲 ニ長調 K.573

Disc6
・きらきら星変奏曲(フランスの歌『ああ、お母さん聞いて』による12の変奏曲)ハ長調 K.265 (300e)
・ピアノ・ソナタ第17番変ロ長調 K.570(旧全集では第16番)
・ピアノ・ソナタ第18番ニ長調 K.576(旧全集では第17番)
・ロンド イ短調 K.511
・グラス・ハーモニカのためのアダージョ K.356 (K.617a) (1791)

 仲道郁代(ピアノ)

 録音時期:2009年7月6-10日、2010年7月12-16日、2011年1月24-28日、2012年1月10-13日
 録音場所:横浜市、青葉台フィリアホール
 録音方式:ステレオ(デジタル/セッション)

今日のモーツアルト ピアノ組曲 序奏とフーガK.399

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ピアノ組曲 序奏とフーガK.399 (385i)

Suite for piano in C (fragment) I.フランス風序奏 ハ長調 - フーガ Allegro
II.アルマンド  二部形式 - Andante ハ短調
III.クーラント 変ホ長調 - サラバンド ト短調 未完6小節
■作曲 1882年 ウィーン
 

 

  この頃、よく知られているように、モーツァルトはスヴィーテン男爵(当時48歳)との出会いにより、ある種深刻な危機に直面していた。 それはヨハン・セバスティアン・バッハの作品を知ったことから受けたショックであった。
 
  モーツァルトにとってそれは、真の啓示というべきものだった。 霊感が技術に匹敵するといった書法は、もちろん、それまでの彼が行なってきた「ギャラント」な音楽と全面的にちがうのはもとより、「学問的」な音楽についてそれまで考ええたどんな音楽ともちがっていた。 マルティーニ師によって教えられた対位法は、具体的な声楽の探求に向いたものだった。 これに反し、ヨーハン・ゼバスティアンの対位法は彼に対して思ってもみなかった地平を開いてみせてくれるものだったのである。
[オカール] p.80
モーツァルトがザルツブルクの父へ送った次の手紙もよく知られている。
ヴィーン、1782年4月10日
ぼくは毎日曜日の12時に、スヴィーテン男爵のところへ行きますが、そこではヘンデルとバッハ以外のものは何も演奏されません。
 僕は今、バッハのフーガの蒐集をしています。 ゼバスティアンのだけではなくエマーヌエルやフリーデマン・バッハのも。 それからヘンデルのも。
[手紙(下)] p.54
しかし、アインシュタインが言うように、1783年あるいは1784年以後には、モーツァルトはもはや単にフーガ制作のためのフーガは一つも作曲しない。
モーツァルトは対位法、《技術》を、できるかぎり隠そうと試みる。 それは技術的操作として現れてはいけないのである。 このことは彼の天性にもとづくのである。 彼はかつてマンハイムのヴァイオリニスト、フレンツルの演奏について書いた(1777年11月23日)のであった、 「・・・彼はむずかしいものを演奏する。 しかし聴き手はそれがむずかしいことに気づかないで、自分もすぐ真似ができるように思う。 これこそ真実の技術である・・・」
[アインシュタイン] p.220
「ギャラント」な音楽と「学問的」な音楽の間で、その危機を超越したのは、アインシュタインは「ハイドンとモーツァルトだけであって、二人はそれぞれ自分のやり方でそれを遂行したのである」と言っている。 このように、モーツァルトの「バッハ体験」に多くの関心が向けられてはいるが、モーツァルト自身は(どちらかと言えば)ヘンデルに親近感を持っていたようである。 ヘンデルの作品については、モーツァルト一家の西方への大旅行(1763年〜1766年)のとき既に出会っていたし、このスヴィーテン男爵の依頼に応じて、「アキスとガラティア」の編曲(K.566)や「メサイア」の編曲(K.572)など4曲を書いていることからも伺える。 厳格なバッハより豪放磊落なヘンデルの方が自分の性分に合っていると感じていたのではなかろうか。
クラヴィーアのために作られたこの曲は、ヘンデルの1722年の組曲集から影響を受けているといわれ、「ヘンデルの手法による組曲」とも呼ばれている。 ただし、全楽章が同じ調性でないことがバッハやヘンデルの方法に背いて変則的であるといわれている。 また、この曲で扱われているフーガについて、アインシュタインは次のように言っている。
この非常にややこしいイ短調のフーガの最も注目すべき点は、ハ長調の前奏曲からハ短調のアルマンドへの移行句の役割をしていることである。
[アインシュタイン] p.218
 
 

N響演奏会 ベートーヴェン 交響曲 第9番 ニ短調

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N響演奏会
ベートーヴェン 交響曲 第9番
      ニ短調 作品125「合唱つき」
 
2013年12月21日(土) 開場 5:00pm  開演 6:00pm
場 所 : NHKホール

指揮:エド・デ・ワールト
ソプラノ:中村恵理
アルト:加納悦子
テノール:望月哲也
バリトン:甲斐栄次郎
合唱:国立音楽大学
 
 
 
 
  昨年は確か3回第9を聞いた気がするが、今年はNHKだけにした。合唱もソリストも溌剌としたいい演奏会だった。
 
 原宿を降りるともう空はすっかり夜の装いで透明な群青に広がっていた。第一体育館の上には金星も輝いている。確か今日はフィギア―の大会だったが、代々木体育館は灯りこそついているものの妙に人通りがが少ない。後で気がついたが、大会はさいたまスーパーアリーナだったらしい。・・・どうりで、と思ったが何の催しだったのだろう。
 
 代々木公園は人のすみわけができている。最初に右手の石畳にいる連中はスケボーの連中で、代々木公園の真ん中を通る413の道をそのまま進んでいくと反対側から動物やサンタクロースの着ぐるみを着た男女がやってくる。ふと目をやると右手の道から見える木々は何と太く逞しく年期が入っているだろうと思わず立ち止まり改めて魅入ったりするほどだ。
 
 NHKホールに向かう道の信号を渡ると左手にはフットサルに興じる賑やかな声が響き渡り、明るい照明の下は若い人たちで一杯だ。その道端にはリフティングのグループがいるが、その脇を演奏会に行く老若男女がいる。普段より若い人や家族連れが多い。そういえばNHKホールがチケットを完売するのは余程いいプログラムか第9のような定着したプログラムだ。むろん今日もチケットは完売になっている。
 
 NHKの第9はこれまで聞いた演奏の中では溌剌とした若々しい演奏だった。栗友合唱団のような老練にはかなわないが一生懸命な姿や声そのものの張りがすばらしく、聞いている者に飛び込んでくる。チケットはぎりぎりに取ったので、何とか聞ける3階のC8-3というぎりぎりのラインだったがそこまで音は飛び込んできた。A席のいい位置で聞いたらきっともっとよかっただろうことは想像に難くない。
 
 聞いていて忘れていたことを思い出した、まずはこの曲の持つ形式の美しさである。それは、全体を聞かなければ分からない。1楽章の冒頭はホルンの5度、それに合わせて弦の5度のトレモロ、その上を細かく5度の下降形をヴァイオリンが描く。この楽章はこうした下降形のリズムで形成されている。時に人々が、「絶望的」と評するのはそうしたことから感ずるのだ。
 
 スケルツォは非常に楽しく闊達でじゃれ合う子供のようでもある。しかし、それでいながら実によく計算された作りになっている。これも下降形のテーマから2度の動きが組み合わされたものだが4部音符と8分音符のシンプルな譜面ずらになっている。
 
 3楽章は実に美しく桃源郷のようだ。初演の1824年には次のような評が新聞に載せられている。
 
「緩徐楽章とくれば、あの第7交響曲の第2楽章に勝るものはない深く信じている人もこちらの緩徐楽章変ロ長調を聞いてみるとよい。少なくともその信念は揺らぎ始めることだろう」
 
 そうして待ち焦がれた第4楽章はやってくる。そうして、これも忘れていた存在を再発見する。それは、ピッコロの鋭く音を際立たせる存在だ。それは、明け方の空にある新月のようであり、風を切るハヤブサの翼のようであり、小刀の一振りのようでもあるが実に温かみのある切れ味である。実に小気味がいいのである。
 
 その他にも述べるべきはある。ファゴットやコントラバスの活躍である。ALLA MARCIAでは滑稽ささえ覚えるが、5つの音で描かれる人類史上稀にみる名曲は実はこうした様々な仕掛けに支えられている。そしてこれらが入り混じって一気に感動的な終末を迎えるのである。  
 
 
 <演奏データ>
演奏: 新日本フィルハーモニー交響楽団
指揮: 佐渡裕, 栗山文昭
作曲: ベートーヴェン
CD (2002/11/20)
ディスク枚数: 1
フォーマット: Limited Edition
レーベル: ワーナーミュージック・ジャパン
収録時間: 68 分
ASIN: B00006S29T
EAN:  4943674038480
1. 合唱付*交響曲第9番ニ短調   

地には平和を

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12月24日 今日の音楽こよみ
世界中のクリスマス・ソング
ヴェルディの『アイーダ』がカイロに新設されたオペラ劇場にて初演(1871)
ジャズ・ピアニスト、レイ・ブライアント誕生(1931〜)
オーストリアの作曲家アルバン・ベルク没(1885〜1935)
作曲家/歌手、平尾昌晃誕生(1937〜)
「かもめの水兵さん」などの作曲家、河村光陽没(1897〜1946)
NHKがFM放送を開始(1957)
プエルトリコのシンガー、リッキー・マーティン誕生(1971〜)
ロック・バンドBOφWY解散宣言(1987)
 
 
 
 
 
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 私は、敬虔ではないが一応仏教徒である。クリスマスには縁がないのだが、何やら世間的な意味ではまったく無関係とも言い難い。而(しこう)して、音楽ではやはりアヴェ・マリアを取り上げないわけにはいかないだろう。
 
 地には平和を・・・。特にシリアの難民には少しでも暖かいお正月が訪れますように祈りたい。
 
  そしてプラスワン山下達郎だろうな。映像がうまいね。
 
 
 
途中
 
 

今日のモーツアルト フーガ ト短調 K.401

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フーガ ト短調 K.401 (375e) 断片
〔編成〕 p / og
〔作曲〕 1773年? ザルツブルク?
 
 
 
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   筆跡鑑定から、1770年代の初期に書かれたものと推定された。

   モーツァルトは幼児よりオルガンでこうした対位的な作品に親しんでおり、ヴィーン時代がフーガやその他のバロック的手法との唯一の接点ではない。
[事典] p.589

   ひとりでピアノ演奏するには音域が広く、4手の連弾用のピアノ作品として出版・演奏されている。 ただし新全集はオルガン用の作品としている。 このようなことから、この曲はモーツァルトが姉ナンネルと二人で演奏するために書いたのかもしれない。 カウデリーは「さまざまな点で、2台ピアノのための偉大な《フーガ ハ短調》K.426の先駆作品である」と言っている[全作品事典]。

  最後のカデンツァがなく、演奏者の即興が許されているが、その部分にM.シュタードラーが8小節補筆したことも知られている。 彼はモーツァルトの死後、コンスタンツェの助言者となっていた人物である。 そして 1800年に補筆完成版がライプツィヒのブライトコップ・ヘルテル社から出版された。
 
 
<演奏データ>
MOZART, W.A.: Sonatas for Keyboard 4 Hands / 5 Variations in G Major, K. 501 / Fugue in G Minor, K. 401 (Rocci, Sieni)

4手のためのピアノ・ソナタ ハ長調 K. 19d
 
I. Allegro
II. Menuetto
III. Rondo: Allegretto
4手のためのピアノ・ソナタ ニ長調 K. 381
 
I. Allegro
II. Andante
III. Allegro molto
アンダンテと5つの変奏 ト長調 K. 501
2台のピアノのためのソナタ ニ長調 K. 448
I. Allegro con spirito
II. Andante
III. Molto allegro
フーガ ト短調 K. 401

今日のモーツアルト ピアノとヴァイオリンのためのソナタイ長調

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ピアノとヴァイオリンのためのソナタイ長調 K.402 (385e)
Sonata for piano and violin, in A (fragment)
 
 I.Menuetto : Andante ma un poco adagio イ長調
II.3声のフーガ Allegro moderato イ短調 断片 62小節
■作曲 1782年または1784年? ウィーン 
 
The sonata is set in 2 movements:
1. Andante ma un poco adagio
2. Fuga: Allegro moderato
Composed in Vienna in August or September 1782. Completed by Maximilian Stadler.
Performers: Gary Cooper, piano; Rachel Podger, violin.
 
 
 
12月27日 今日の音楽こよみ
 フランスの作曲家、エルネスト・ショーソンのバイオリンと管弦楽のための「詩曲」初演(1896)
「嘆きの天使」で一世を風靡したマリーネ・ディートリッヒ誕生(1901〜1992)
東大出身歌手として話題を呼んだ加藤登紀子誕生(1943)
モータウン・レコードの第1号アーティストとしてスモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズがABCテレビに初出演(1960)
「スターダスト」「ジョージア・オン・マイ・マインド」で知られるソングライター、ホーギー・カーマイケル没(1899〜1981)
ウクライナ生まれのアメリカのピアニスト、シューラ・チェルカスキー没(1911〜1995)
 
 
   ピアノとヴァイオリンのためのソナタ第37番。 1782年、よく知られているように、モーツァルトは日曜ごとにスヴィーテン男爵の所へ通い、そこでヘンデルとバッハのフーガを研究していた。 そして婚約者コンスタンツェがフーガを「音楽の中でいちばん技巧的で、いちばん美しい」と言っていたという。 ただし、婚約者のフーガ好きについては、父と姉に良い印象づけを狙ったモーツァルトの「いじらしい嘘であろう」という見方もあるが。 このような背景から、アインシュタインはこの曲がコンスタンツェのためのソナタの一つとしたが、異論もある。
 
  1782年の夏と秋に生まれた、ピアノとヴァイオリンのための次の諸作品は、全部が全部未完成だという共通点を持っている。 これらは同時に、この夏における魂と創造の危機、すなわちいわゆる《コンスタンツェのための闘争》と、ファン・スヴィーテン男爵家の午前の会合における純正な多声音楽との出会いの証拠文書である。 モーツァルトはイ短調のフーガをつけるために、このうえなく堂々たる荘重なメヌエットのリズムで、二部から成る導入部を書いている(イ長調、K.402)が、完成していない。 その理由の一半は、おそらく主題がどうもあまりに古風で、非個人的だったこと、そして一半は、コンスタンツェのフーガ偏愛が全く純粋なものとはいえないことにどうやら気づいたことにあろう。
                              [アインシュタイン] p.352

 第1楽章冒頭の主題は「ドン・ジョヴァンニ」第1幕フィナーレ(メヌエット)を思わせる。 第2楽章63小節以降はシュタドラーにより補筆され、91小節の長さで完成された。 自筆譜がないので、成立時期は不明のままであるが、ハ長調ソナタ(K.403)の推定を考慮した1784年説もある。
<演奏データ>
MOZART, W.A.: Violin Sonatas (E. Jess-Kropfitsch, J. Jess-Kropfitsch)

ヴァイオリン・ソナタ第1番 ハ長調 K. 6
I. Allegro
II. Andante
III. Menuet I-II
IV. Allegro molto
ヴァイオリン・ソナタ第2番 ニ長調 K. 7
I. Allegro non molto
II. Adagio
III. Menuet I-II
ヴァイオリン・ソナタ第3番 変ロ長調 K. 8
I. Allegro
II. Andante grazioso
III. Menuet I-II
ヴァイオリン・ソナタ第4番 ト長調 K. 9
I. Allegro spiritoso
II. Andante
III. Menuet I-II
ヴァイオリン・ソナタ第11番 変ホ長調 K. 26
I. Allegro molto
II. Adagio poco andante
III. Rondeaux: Allegro
ヴァイオリン・ソナタ第12番 ト長調 K. 27
I. Andante poco adagio
II. Allegro
ヴァイオリン・ソナタ第13番 ハ長調 K. 28
I. Allegro maestoso
II. Allegro grazioso
ヴァイオリン・ソナタ第14番 ニ長調 K. 29
I. Allegro molto
II. Menuetto and Trio
ヴァイオリン・ソナタ第15番 in F major, K. 30
I. Adagio
II. Rondeaux: Tempo di menuetto
ヴァイオリン・ソナタ第16番 変ロ長調 K. 31
 I. Allegro
 II. Tempo di menuetto - Moderato

鳥の歌  パブロ・カザルス

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12月29日 今日の音楽こよみ
スペインの偉大なチェリスト、パブロ・カザルス誕生(1876〜1973)
「ふるさと」「春が来た」などの唱歌の作曲家、岡野貞一没(1878〜1941)
イギリスの女性ロック歌手、マリアンヌ・フェイスフル誕生(1946〜)
ロック・ドラマー、コージー・パウエル誕生(1947〜1998)
歌手、浜田省吾誕生(1952〜)
「赤とんぼ」の作詞家、詩人の三木露風没(1889〜1964)
日本を代表する作曲家、山田耕筰没(1886〜1965)
シンフォニック・ジャズの王様といわれたバンド指揮者、ポール・ホワイトマン没(1890〜1967)
 
 
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<鳥の歌楽譜の一部>
 
 
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  『鳥の歌』(とりのうた、El Cant dels Ocells)は、パウ・カザルスの編曲・演奏によるカタルーニャ民謡で、編曲・演奏者の最大のチェロのレパートリー。1971年10月24日の世界国際平和デーにて国際連合本部でのアンコール演奏にも現れ、世界的に放送された。
 
 原曲はカザルスの故郷カタルーニャのクリスマス・キャロルであり、聖誕を鳥が祝っている様子を歌っている。鳥が「peace」とさえずるように演奏することで有名である。
 
楽曲
Molto lento
 イ短調。4分の2拍子と4分の3拍子が混じる。このためリズム感は薄い。チェロとピアノまたは管弦楽の2通りの編曲がある。簡単な二部形式。
 
 序奏はA-Eのトレモロ。チェロの主旋律はE-A-H-C-D-E-Aの上昇音階。最後に序奏と同じトレモロが後奏として曲を締めくくる。
 
 演奏時間は8分音符が42拍/分前後という速さとされており、3分強から4分。技術的には多くを求めないものの、平和を求める情感を入れることが必要。
 
 原曲は、カザルスの故郷カタルーニャのクリスマス・キャロル。歌詞では、キリスト聖誕を祝うため鳥達が集い歌う様子が描写されている。
 
  1936年に勃発したスペイン内戦の結果、フランシスコ・フランコ将軍が政権を握った。フランコ政権下では、カザルスの郷土カタルーニャの言語、すなわちカタルーニャ語の公の場での使用が禁止され、カタルーニャ愛国主義と結びつく活動も禁止された。
 
  カザルスは1939年にフランスへ亡命。他にも、「7つのスペイン民謡」で知られるファリャはアルゼンチンへ亡命したほか、「13のスペイン古謡」で知られるスペインの詩人ロルカは内戦で命を落としている。ピカソの絵画「ゲルニカ」は、スペイン内戦時を受けて1937年に描かれた作品。
 
 その後7、カタルーニャ語の自由な使用が認められたのは、フランシスコ・フランコが83歳で病没した1975年以降、具体的には1978年に制定されたスペイン新憲法に基づき、新たに定められたカタルーニャ自治憲章において、カタルーニャ語がカタルーニャ自治州の公用語とされた後のことであった。
 

<演奏データ>
鳥の歌~ホワイトハウス・コンサート 
カザルス(パブロ) | 形式: CD
演奏: カザルス(パブロ), ホルショフスキー(ミエチスラフ), シュナイダー(アレクサンダー)
作曲: シューマン, メンデルスゾーン, クープラン
CD (2004/11/17)
ディスク枚数: 1
レーベル: ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル
収録時間: 59 分
ASIN: B0002ZEZT0
EAN:  4547366017243
1. ピアノ三重奏曲第1番ニ短調op.49(メンデルスゾーン)    
2. チェロとピアノのための演奏会用小品(クープラン)    
3. アダージョとアレグロ変イ長調op.70(シューマン)    
4. 鳥の歌(カタロニア民謡) 

今日のモーツアルト  ピアノとヴァイオリンのためのソナタハ長調

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今日のモーツアルト
ピアノとヴァイオリンのためのソナタハ長調K.404 (385d)
Andante and Allegretto for piano and violin, in C
 
I.Andante ハ長調 18小節 2/2
II.Allegretto ハ長調 24小節 2/4
■編成 p, vn
■作曲 1788年? ウィーン 
 
 
 
 
 
12月29日 今日の音楽こよみ
ドイツの作曲家、ブラームスの交響曲第2番初演(1877)
ロシアの作曲家、ディミトリ・ボリソヴィッチ・カバレフスキー誕生(1904〜1987)
プロコフィエフのオペラ『3つのオレンジへの恋』初演(1921)
日本情報局、米英音楽追放の方針を発表(1941)
戦時中に大ヒットした「カチューシャの唄」「東京行進曲」の作曲者、中山晋平没(1887〜1952)
ジャズ・ピアニスト、ミシェル・ペトルチアーニ誕生(1962〜1999)
ポール・マッカートニーがビートルズの正式解散を求め、他の3人を告訴(1970)
エマーソン、レイク&パーマーが正式にグループの解散を発表(1979)
ミュージカル作曲家、リチャード・ロジャーズ没(1902〜1979)
 
 
 
 
 
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 ピアノとヴァイオリンのためのソナタ第39番(未完)として知られている。 ただしアンダンテの自筆譜は失われ、アレグレットの自筆譜の一部が残るだけで、この作品の成立は不明である。 出版商アンドレがアンダンテの最後を補筆し、1804年にソナチネ(やさしいアンダンテとアレグレット Andante et Allegretto faciles)として出版したといわれる。
 
 ケッヘル(第1版)はコンスタンツェのためのソナタ集の一部として、K.404(1782年)と置いた。 その後、第1楽章が「四手のためのアンダンテと5つの変奏曲」(K.501)と「小さな自動オルガンのためのアンダンテ」(K.616)に類似していることからサンフォアは1788年の「ピアノとヴァイオリンのためのソナタ 第43番」(K.547)と「ピアノ・ソナタ ヘ長調」(K.546a)と関連するものと位置づけた。 ただしタイソンはアンダンテを1780年、アレグレットを1785〜86年の成立と推定し、2つの楽章は別個のものかもしれないという可能性を明らかにしている。 未完でなく、短いながらもそれぞれ完成した曲とする説もある。
 

 

今日のモーツアルト 5つのフーガ K.405

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5つのフーガ K.405

I.ハ短調 (平均率クラヴィア曲集第2巻第1番 BWV871)
II.変ホ長調 (〃 第7番 BWV876)
III.ホ長調 (〃 第9番 BWV878)
IV.ニ短調 (〃 第8番 BWV877 嬰ニ短調)
V.ニ長調 (〃 第5番 BWV874)
■編成 2 vn, va, bs
■作曲 1782年? ウィーン
 
12月31日 今日の音楽こよみ
“ディスコの女王”と呼ばれるロック歌手、ドナ・サマー誕生(1948〜)
「紅白歌合戦」初のテレビ公開放送が開始(1953)
ジャニス・ジョプリンが観客を前にして初めて歌った(1961)
「ツイスト・アンド・シャウト」などのソングライター兼プロデューサーのバート・バーンズ没(1929〜1967)
イギリスのドビュッシーと呼ばれた作曲家、シリル・メアー・スコット没(1879〜1970)
ロック・バンド、カーズがライブ・デビュー(1976)
50年代のアイドル歌手、リッキー・ネルソン没(1940〜1985)
バリトン歌手、立川清登没(1929〜1985)
アメリカのシンガーソングライター、ジョン・デンバー誕生(1943〜1997)
「支那の夜」「蘇州夜曲」などのヒットで知られた歌手、渡辺はま子没(1910〜1999)

 
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 テレビからは紅白歌合戦が聞こえているが我には余り関心もなく、一杯飲みながら別仕事を進行中。(工事中

今日の音楽会 ニュー・イヤー・コンサート2013

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今日の音楽会
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、
                      ニュー・イヤー・コンサート2013
 
 
1月1日 今日の音楽こよみ
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ニュー・イヤー・コンサート
バッハの末の息子で“ロンドンのバッハ”と呼ばれた作曲家、ヨハン・クリスチャン・バッハ没(1735〜1782)
シューマンのピアノ協奏曲初演(1846)
ブラームスのバイオリン協奏曲初演(1879)
アメリカの指揮者、アルトゥール・ロジンスキー誕生(1892〜1958)
ドヴォルザークの弦楽四重奏第12番「アメリカ」初演(1894)
ルンバの王様、ラテン音楽奏者のザビア・クガート誕生(1900〜1990)
ヴァイヴ/ピアノ奏者のミルト・ジャクソン誕生(1923〜)
歌手、尾崎紀世彦誕生(1945〜)
アメリカのカントリー&ウェスタン歌手、ハンク・ウィリアムズ没(1923〜1953)
歌手、大友康平(HOUND DOG)誕生(1956〜)
カシオペアのギタリスト、野呂一生誕生(1957〜)

 
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  ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のニューイヤーコンサート(独: Das Neujahrskonzert)は、毎年1月1日にウィーン楽友協会の大ホール(黄金のホール)で行なわれるマチネのコンサートである。おもにシュトラウス一家のワルツやポルカなどが演奏される。映像はライブで世界各国に中継され、世界中の人々がこのコンサートを楽しむ。

  1939年12月31日にクレメンス・クラウスの指揮により初めて開催され、1941年の第2回からはオーストリア初代大統領カール・レンナーが1950年12月31日に死去した影響で1月14日に延期となった1951年を除いて、1月1日の正午(CET)に開催されるようになった。1955年以降ヴィリー・ボスコフスキーが指揮をし、1959年各国に中継され始めた頃から人気が高まり、現在は全世界の40カ国以上に生中継されている。2002年には小澤征爾が、アジア人ではズービン・メータに続き2人目の指揮者となった。
 
 岩城宏之氏のエッセイによれば、ウイーンフィルの団員が「ウイーンを振ればギャラが跳ね上がるよ」と言われたらしいが、世界でも珍しいことだがこのウイーン楽友協会は音楽監督を持たない楽団で誇り高いことで有名だが、ギャラのことはともかくその指揮者に選ばれるということだけで名誉なことなのだ。
 
 ちなみに2014年の今年は、ダニエル・バレンボイムで2回目、2015年はズービン・メータで5回目と2年先まで指揮者が決まっている。

今日の一曲 「さまよえるオランダ人」

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1月2日 今日の音楽こよみ
ワーグナーのオペラ『さまよえるオランダ人』初演(1843)
サン=サーンスのバイオリン協奏曲第3番初演(1881)
イタリアのテノール歌手、ティト・スキーパ誕生(1889〜1965)
イギリスの作曲家、マイケル・ティペット誕生(1905〜1998)
作曲家、神津善行誕生(1932〜)
歌手、原田真二誕生(1959〜)
アメリカのドラマー、アート・ブレイキー初来日(1961)
アメリカのジャズ・ピアニスト、エロール・ガーナー没(1921〜1977)
アメリカのR&B歌手、ラリー・ウィリアムス没(1935〜1980)
 
Richard Wagner (1813 - 1883)

"Der fliegende Holländer"
(The Flying Dutchman)


Daland - Robert Lloyd
Senta - Catherine Nagelstad
Erik - Marco Jentzsch
Mary - Marina Prudenskaja
Steersman - Oliver Ringelhahn
The Dutchman - Juha Uusitalo

Martin Kušej (director)
Martin Zehetgruber (set designs)
Heide Kastler (costumes)
Reinhard Traub (lighting)
Sebastian Huber (dramaturgy)
Joost Honselaar (television director)

Chorus of the Netherlands Opera (chorus master: Martin Wright)
Netherlands Philharmonic Orchestra
Hartmut Haenchen (conductor)

Live on 16 and 25 February 2010, at The Amsterdam Music Theatre, Netherlands.
 
 

 『さまよえるオランダ人』(さまよえるオランダじん、Der fliegende Holländer )以下のような内容になっている。演奏例は現代的な演出になっているが、個人的に好きだったのはディスカウの演奏だった。
 
 神罰によって、この世と煉獄の間を彷徨い続けているオランダ人の幽霊船があり、喜望峰近海で目撃されるという伝説(「フライング・ダッチマン」)を元にした、ドイツの詩人ハインリッヒ・ハイネの『フォン・シュナーベレヴォプスキー氏の回想記』(ドイツ語: Aus den Memoiren des Herren von Schnabelewopski、1834年)にワーグナーが着想を得て再構成し、1842年に完成し、1843年に初演された。
 
登場人物
オランダ人 - バリトン
ダラント船長 - バス
ゼンタ(ダラントの娘) - ソプラノ
エリック(ゼンタの恋人) - テノール
 
演奏時間
1幕形式の場合で約2時間10分かかる。救済が無い初稿は、救済がある最終稿よりも2~3分短い。ワーグナーの全オペラ作品では一番短い。3幕版は今日では実際の上演が珍しいが各幕50分、50分、30分の割合。第一幕の後で一回だけ休憩を取る場合もある。
楽器編成
 
フルート2、ピッコロ、オーボエ2(2番はイングリュッシュ・ホルン持ち替え)、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、チューバ(作曲当初はオフィクレイド)、ティンパニ1対、風音器、タムタム、ハープ、弦五部
バンダ:ホルン6、ピッコロ3
 
あらすじ
作曲者の欲した形式は1幕形式であったが、当時の未熟な舞台技術によって止むを得ず3幕構成にさせられた。なお現行の楽譜に2つの稿があり、第1稿が荒々しいオーケストレーションの救済のない形(1841年版)、第2稿が幾分穏やかなオーケストレーションで救済のある形(1880年版)の2つの版がある。それぞれの稿の違う部分は、主に序曲の最後と終幕のフィナーレのオーケストレーションである。ウィーン国立歌劇場では、前演出までは第1幕の後に休憩を入れたが、今では完全に1幕形式上演である。現在のバイロイトを初めとして、ほとんどの歌劇場も1幕形式で上演される。
 
工事中
 
<演奏データ>
ウォルデマール・ネルソン/ワーグナー:歌劇《さまよえるオランダ人》【限定盤】【DVD】【国内盤】
ワーグナー:歌劇《さまよえるオランダ人》
台本:リヒャルト・ワーグナー
 ダーラント・・・・マッティ・サルミネン(バリトン)
ゼンタ・・・・・・リスベート・バルスレフ(ソプラノ)
エリック・・・・・ロベルト・シュンク(テノール)
マリー・・・・・・アニー・シュレム(メッゾ・ソプラノ)
 舵取り・・・・・・グレアム・クラーク(テノール)
オランダ人・・・・サイモン・エステス(バリトン)/他

バイロイト祝祭管弦楽団・合唱団、指揮:ウォルデマール・ネルソン
演出:ハリー・クプファー、装置:ペーター・シコラ、衣装:ラインハルト・ハインリヒ
映像監督:ブライアン・ラージ、芸術監督:ヴォルフガング・ワーグナー
制作:1985年6月 バイロイト
135分/COLOR/MPEG2/片面2層/NTSC/4:3/LPCM2ch・DTS5.1/日本語字幕/ドイツ語字幕 
 
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