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今日の一曲 バレエ音楽『眠りの森の美女』

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1月3日 今日の音楽こよみ
イタリアの作曲家、ドニゼッティのオペラ『ドン・パスクヮーレ』初演(1843)
チャイコフスキーのバレエ音楽『眠りの森の美女』初演(1890)
ドイツの指揮者、フルトヴェングラー、カーネギー・ホールにデビュー(1925)
レッド・ツェッペリンのベーシスト、ジョン・ポール・ジョーンズ誕生(1946〜)
NHKが第1回紅白歌合戦をラジオで放送(1951)
デイヴィー・ジョーンズ、モンキーズを脱退(1970)
ボブ・ディラン、 ザ・バンドと大規模な全米コンサート・ツアーを開始(1974)
ベイシティローラーズの「サタデー・ナイト」が全米1位に(1976)
R&B歌手、ピアニストのエイモス・ミルバーン没(1927〜1980)

 
 
『眠れる森の美女』(ねむれるもりのびじょ、露(原題): Спящая красавица)はピョートル・チャイコフスキーの作曲したバレエ音楽(作品66)、およびその音楽を用いたバレエ作品。クラシック・バレエ作品の最も有名なものの1つに数えられる。
 
 ロシア語や英語の題は忠実に翻訳すれば『眠れる美女』であり、また日本語では『眠りの森の美女』とも訳される。台本はシャルル・ペローのおとぎ話『眠れる森の美女』(仏語:La Belle au bois dormant)に着想を得て書かれた。チャイコフスキーのバレエ音楽の中で最も演奏時間が長く、全曲を通した上演には普及している縮小版でも優に2時間を要し、原型に基づく上演の場合、上演時間は3時間に及ぶ。
 
 
<演奏データ>
チャイコフスキー:バレエ「眠りの森の美女」全曲 
ボニング(リチャード),ナショナル・フィルハーモニー管弦楽団 | 形式: CD
ディスク:1
1. バレエ≪眠りの森の美女≫ 作品66 全曲 序奏    
2. バレエ≪眠りの森の美女≫ 作品66 全曲 プロローグ 第1曲:行進曲    
3. バレエ≪眠りの森の美女≫ 作品66 全曲 プロローグ 第2曲:踊りの情景   
4. バレエ≪眠りの森の美女≫ 作品66 全曲 プロローグ 第3曲:パ・ド・シス a)アダージョ   
5. バレエ≪眠りの森の美女≫ 作品66 全曲 プロローグ 第3曲:パ・ド・シス b)ヴァリアシオン1:美の精    
6. バレエ≪眠りの森の美女≫ 作品66 全曲 プロローグ 第3曲:パ・ド・シス c)ヴァリアシオン2:三色昼顔の精    
7. バレエ≪眠りの森の美女≫ 作品66 全曲 プロローグ 第3曲:パ・ド・シス d)ヴァリアシオン3:パンくずの精   
8. バレエ≪眠りの森の美女≫ 作品66 全曲 プロローグ 第3曲:パ・ド・シス e)ヴァリアシオン4:歌うカナリアの精    
9. バレエ≪眠りの森の美女≫ 作品66 全曲 プロローグ 第3曲:パ・ド・シス f)ヴァリアシオン5:激しさの精    
10. バレエ≪眠りの森の美女≫ 作品66 全曲 プロローグ 第3曲:パ・ド・シス g)ヴァリアシオン6:リラの精    
11. バレエ≪眠りの森の美女≫ 作品66 全曲 プロローグ 第3曲:パ・ド・シス h)コーダ   
12. バレエ≪眠りの森の美女≫ 作品66 全曲 プロローグ 第4曲:終曲    
13. バレエ≪眠りの森の美女≫ 作品66 全曲 第1幕 第5曲:情景(アレグロ・ヴィーヴォ)    
14. バレエ≪眠りの森の美女≫ 作品66 全曲 第1幕 第6曲:ワルツ(アレグロ)    
15. バレエ≪眠りの森の美女≫ 作品66 全曲 第1幕 第7曲:情景(アレグロ・ジュスト)    
16. バレエ≪眠りの森の美女≫ 作品66 全曲 第1幕 第8曲:パ・ダクシオン a)アダージョ    
17. バレエ≪眠りの森の美女≫ 作品66 全曲 第1幕 第8曲:パ・ダクシオン b)侍女と小姓たちの踊り   
18. バレエ≪眠りの森の美女≫ 作品66 全曲 第1幕 第8曲:パ・ダクシオン c)オーロラ姫のヴァリアシオン   
19. バレエ≪眠りの森の美女≫ 作品66 全曲 第1幕 第8曲:パ・ダクシオン d)コーダ    
20. バレエ≪眠りの森の美女≫ 作品66 全曲 第1幕 第9曲:終曲    

ディスク:2
1. バレエ≪眠りの森の美女≫ 作品66 全曲 第2幕 第1場 第10曲:間奏曲と情景    
2. バレエ≪眠りの森の美女≫ 作品66 全曲 第2幕 第1場 第11曲:鬼ごっこ    
3. バレエ≪眠りの森の美女≫ 作品66 全曲 第2幕 第1場 第12曲:情景と舞曲 a)情景    
4. バレエ≪眠りの森の美女≫ 作品66 全曲 第2幕 第1場 第12曲:情景と舞曲 b)公爵夫人の踊り    
5. バレエ≪眠りの森の美女≫ 作品66 全曲 第2幕 第1場 第12曲:情景と舞曲 c)男爵夫人の踊り    
6. バレエ≪眠りの森の美女≫ 作品66 全曲 第2幕 第1場 第12曲:情景と舞曲 d)伯爵夫人の踊り    
7. バレエ≪眠りの森の美女≫ 作品66 全曲 第2幕 第1場 第12曲:情景と舞曲 e)侯爵夫人の踊り    
8. バレエ≪眠りの森の美女≫ 作品66 全曲 第2幕 第1場 第13曲:ファランドール a)情景    
9. バレエ≪眠りの森の美女≫ 作品66 全曲 第2幕 第1場 第13曲:ファランドール b)貴族たちの踊り    
10. バレエ≪眠りの森の美女≫ 作品66 全曲 第2幕 第1場 第14曲:情景    
11. バレエ≪眠りの森の美女≫ 作品66 全曲 第2幕 第1場 第15曲:パ・ダクシオン a)オーロラ姫とデジーレ王子の情景    
12. バレエ≪眠りの森の美女≫ 作品66 全曲 第2幕 第1場 第15曲:パ・ダクシオン b)オーロラ姫のヴァリアシオン   
13. バレエ≪眠りの森の美女≫ 作品66 全曲 第2幕 第1場 第15曲:パ・ダクシオン c)コーダ    
14. バレエ≪眠りの森の美女≫ 作品66 全曲 第2幕 第1場 第16曲情景(アレグロ・アジタート)    
15. バレエ≪眠りの森の美女≫ 作品66 全曲 第2幕 第1場 第17曲:パノラマ(アンダンティーノ)   
16. バレエ≪眠りの森の美女≫ 作品66 全曲 第2幕 第1場 第18曲:間奏曲    
17. バレエ≪眠りの森の美女≫ 作品66 全曲 第2幕 第2場 第19曲:交響的間奏曲と情景   
18. バレエ≪眠りの森の美女≫ 作品66 全曲 第2幕 第2場 終曲    

ディスク:3
1. バレエ≪眠りの森の美女≫ 作品66 全曲 第3幕 第20曲:行進曲(アレグロ・ノン・トロッポ)    
2. バレエ≪眠りの森の美女≫ 作品66 全曲 第3幕 第21曲:ポロネーズ(アレグロ・モデラート・エ・ブリランテ)    
3. バレエ≪眠りの森の美女≫ 作品66 全曲 第3幕 第22曲:パ・ドカトル a)アレグロ・ノン・タント   
4. バレエ≪眠りの森の美女≫ 作品66 全曲 第3幕 第22曲:パ・ドカトル b)ヴァリアシオン1:金の精    
5. バレエ≪眠りの森の美女≫ 作品66 全曲 第3幕 第22曲:パ・ドカトル c)ヴァリアシオン2:銀の精    
6. バレエ≪眠りの森の美女≫ 作品66 全曲 第3幕 第22曲:パ・ドカトル d)ヴァリアシオン3:サファイアの精    
7. バレエ≪眠りの森の美女≫ 作品66 全曲 第3幕 第22曲:パ・ドカトル e)ヴァリアシオン4:ダイアモンドの精    
8. バレエ≪眠りの森の美女≫ 作品66 全曲 第3幕 第22曲:パ・ドカトル f)コーダ    
9. バレエ≪眠りの森の美女≫ 作品66 全曲 第3幕 第23曲:パ・ド・カラクテール(長靴をはいた猫と白い猫)    
10. バレエ≪眠りの森の美女≫ 作品66 全曲 第3幕 第24曲:パ・ド・カトル a)アダージョ    
11. バレエ≪眠りの森の美女≫ 作品66 全曲 第3幕 第24曲:パ・ド・カトル b)ヴァリアシオン1:シンデレラ姫とフォーチュン王子    
12. バレエ≪眠りの森の美女≫ 作品66 全曲 第3幕 第24曲:パ・ド・カトル c)ヴァリアシオン2:青い鳥とフロリーネ姫    
13. バレエ≪眠りの森の美女≫ 作品66 全曲 第3幕 第24曲:パ・ド・カトル d)コーダ   
14. バレエ≪眠りの森の美女≫ 作品66 全曲 第3幕 第25曲:パ・ド・カラクテール(シンデレラ姫とフォーチュン王子)    
15. バレエ≪眠りの森の美女≫ 作品66 全曲 第3幕 第26曲:パ・ベリシオン(親指小僧、その兄弟と人喰い鬼)    
16. バレエ≪眠りの森の美女≫ 作品66 全曲 第3幕 第27曲:パ・ド・ドゥ a)序奏    
17. バレエ≪眠りの森の美女≫ 作品66 全曲 第3幕 第27曲:パ・ド・ドゥ b)アダージョ    
18. バレエ≪眠りの森の美女≫ 作品66 全曲 第3幕 第27曲:パ・ド・ドゥ c)ヴァリアシオン1:デジーレ王子    
19. バレエ≪眠りの森の美女≫ 作品66 全曲 第3幕 第27曲:パ・ド・ドゥ d)ヴァリアシオン2:オーロラ姫    
20. バレエ≪眠りの森の美女≫ 作品66 全曲 第3幕 第27曲:パ・ド・ドゥ e)コーダ    
21. バレエ≪眠りの森の美女≫ 作品66 全曲 第3幕 第28曲:サラバンド    
22. バレエ≪眠りの森の美女≫ 作品66 全曲 第3幕 第29曲:終曲とアポテオーズ 

今日のモーツアルト 5つのフーガ K.405

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今日のモーツアルト
5つのフーガ K.405

I.ハ短調 (平均率クラヴィア曲集第2巻第1番 BWV871)
II.変ホ長調 (〃 第7番 BWV876)
III.ホ長調 (〃 第9番 BWV878)
IV.ニ短調 (〃 第8番 BWV877 嬰ニ短調)
V.ニ長調 (〃 第5番 BWV874)
■編成 2 vn, va, bs
■作曲 1782年? ウィーン 
 
 
1月 4日 今日の音楽こよみ
イタリアの作曲家、ジョヴァンニ・バティスタ・ペルゴレージ誕生(1710〜1736)
イタリアの作曲家、 ②ジュゼッペ・ジョルダーニ没(1743〜1798)
童話で有名な“グリム兄弟”の兄、ヤーコブ・グリム誕生(1785〜1863)
ドイツの作曲家、①ブラームスの「大学祝典序曲」初演(1881)
アメリカの映画音楽作曲家、ライオネル・ニューマン誕生(1916〜1989)
「およげ!たいやきくん」の歌手、子門真人誕生(1944〜)
アメリカのジャズ・ベーシスト、ポール・チェンバース没(1935〜1969)
ユーゴの指揮者、ロヴロ・フォン・マタチッチ没(1899〜1985)
 
 
 
 
 
 
 ウィーン宮廷図書館長を務めていたスヴィーテン男爵邸で毎日曜日に行なわれていた演奏会を通して知ったバロック時代の音楽、特にバッハやヘンデルの作品を研究していた1782年頃に書いたものと思われている。
1782年4月10日 ザルツブルクの父へ
  ところで、お願いしようと思っていたのですが、ロンドーを返してくださるとき、ヘンデルの6つのフーガと、エーベルリーンのトッカータとフーガも一緒に送ってください。 ぼくは毎日曜日、12時に、ヴァン・スヴィーテン男爵のところへ行きます。 そこでは、ヘンデルとバッハ以外は何も演奏されません。
 ぼくはいま、バッハのフーガを集めています。 ゼバスティアンの作品だけでなく、エマーヌエルやフリーデマン・バッハのも含めてです。 それからヘンデルのも。 そして、・・・・だけが欠けています。 男爵にはエーベルリーンの作品を聴かせてあげたいのです。 イギリスのバッハが亡くなったことはもう御存知ですね? 音楽界にとってなんという損失でしょう!

                         [書簡全集 V] p.225
 ただし、まもなくモーツァルトは別のところからエーベルリンのクラヴィーア・フーガを手に入れたらしく、それがバッハやヘンデルのものに比べてあまりに陳腐であることがわかったので、わずか10日後の4月20日には姉を介して「エーベルリンの作品を写譜しなくてもいい」ことを伝えている。 これはモーツァルトにとって一大発見だったのではないだろうか。 当時のヨーロッパの主要都市を幼少の頃から見てまわり、すべてを知り尽くしたはずのモーツァルトがまだ学ぶべきものがあることを知った瞬間であろう。 そして短期間のうちにあるいは貪欲にその技法を吸収したことがうかがえる。

 前年1781年5月にザルツブルクと縁を切り、ウィーンで独立した音楽家としての活動を始めたモーツァルトにとってスヴィーテン男爵との出会いは重要な意味を持っている。 男爵(当時49才)はバッハやヘンデルに傾倒し、彼らの作品を数多く収集していて、その厖大な蔵書は1万フローリンの価値があると言われていたが、モーツァルトには気前よく貸してくれて、全部、家に持ち帰ることを許してくれたという。 このようにしてモーツァルトは彼らの作品からフーガの様式と技法をマスターしたのであった。
 
 その成果が様々なジャンルで生かされるようになったことは周知の通りである。 しかしそれは自分の作品が豊かで強固なものにするための一つの道具であり、それを最高なものと考えたわけではない。 モーツァルトの絶筆と言われている『レクイエム』(K.626)の「ラクリモサ」について、都筑正道は次のように言っている。
 
 モーツァルトは「ラクリモサ」の最後の「アーメン・コーラス」をフーガで終えようと考えていたのだ。 だが、そこに迷いがあった、とリーソンはいう。 そのモーツァルトの迷いはなんだったのか、についてリーソンは述べていないが、長大で本格的なフーガは、極めて宗教曲的であっても、バッハに代表されるように極めてバロック的である。 モーツァルトは、決してバロック的な宗教曲は書きたくなかったのであろう。 モーツァルトのほかの作品にも、長大で本格的なフーガがないのは、俗にいわれるように「モーツァルトはフーガが書けなかった」のではなく、書くことを拒否したのだ。 それは、彼のオペラ・セリアを聴いても分かる。 バロック的な華やかさと強靭さはあるものの、そこには、温かな優しさがみなぎっているではないか、と私は思う。
                          [リーソン] pp.276-277
 
 スヴィーテン男爵とは既にモーツァルトは第2回のウィーン旅行中(1768年)に出会っていたが、当時モーツァルトはまだ12才の少年であり、当時35才の男爵のバロック音楽の作品収集との接点はなかった。 しかし男爵は少年モーツァルトの優れた才能を忘れることなく、よく覚えていたのである。 それから14年後、ウィーンで出会うことができたのは幸運であった。 スヴィーテン男爵はよき理解者としてモーツァルトを熱心に支え続けてくれたからである。
 
 ファン・スヴィーテンは、モーツァルトが徹底的にバッハを研究するための機会となった。 モーツァルトはこの庇護者の弦楽三重奏団のために、まず『平均律クラヴィーア曲集』のなかから3曲のフーガ、『フーガの技法』のなかから1曲、オルガン・ソナタ(2番)1曲、さらにW・フリーデマン・バッハのフーガ1曲を編曲した。 これらのうちの4曲には、緩いテンポの前奏曲をつけ加え、他の2曲のためにはバッハのオルガン・ソナタのなかの楽曲を前奏曲として利用した(K.404a)。 ファン・スヴィーテンの4人の演奏者(モーツァルト自身はヴィオラを引き受けたのであろう)のためには、『平均律クラヴィーア曲集』第2巻から取った5曲のフーガの編曲(K.405)が自筆楽譜として残っている。 それらは本来は6曲ないしそれ以上あったと思われる。
                         [アインシュタイン] p.217

 オッフェンバッハのアンドレから「編曲された6つのフーガ」が出版されたという記録が残っているので、本来は5曲でなく6曲であり、そのうちの1曲が紛失してしまったと思われる。 当時の習慣からも6曲セットが普通であり、5曲というのは不自然である。 したがって、全部で48の前奏曲とフーガから成るバッハの『平均律クラヴィーア曲集』からモーツァルトは6つの曲を選び取り、その4声のフーガを4つの弦楽器に編曲したものであり、作曲の動機はスヴィーテン男爵からの依頼と考えられる。
 
 すなわちピアノ曲を「4つの弦楽器で演奏したいので、モーツァルト君、ひとつ編曲してくれないかね、そのかわり楽譜はいくらでも貸してあげるよ」と男爵から求められたのではないだろうか。 なお、自筆譜には別人の手で「モーツァルトによって2つのヴァイオリンとヴィオラとバスのために編曲された」ことが書かれてあるという。 編曲された時期は「4月10日の手紙」が書かれた頃か、または5月26日に開催された第1回アウガルテン演奏会用だったとも考えられるが、確実なことは何もわからない。
 余談であるが、『平均律クラヴィーア曲集』はバッハが使った名称ではない。 彼が出版した曲集のタイトルは『Wohltemperirte Klavier(英 Well-Tempered Clavier)』であり、「Wohltemperirte」または「Wohltemperierte」とは「ほどよく調律された」という意味である。

 のちに、1783年12月6日と24日、オペラ「カイロの鵞鳥 K.422」が完成間近いことを伝える(ザルツブルクの父への)手紙で「ゼバスティアン・バッハのフーガをできるだけ早く送ってください」と書いているが、そのフーガとはこの曲のことであろうと思われている。 であるとすると、この曲は作られた(編曲された)あとレオポルトの手に渡ったことになる。 父レオポルトの方から編曲を見たいと言っていたのかもしれないし、ザルツブルクでモーツァルト父子を含む4人の弦楽演奏者で実際に演奏する機会があったであろう。 事前に楽譜を送るとかのやりとりを示す手紙が見当たらないので、モーツァルトが新妻を伴ってザルツブルクを訪問したとき(1783年7月末)に持参したことも考えられる。
 
<演奏データ>
 
ヨハン・ゼバスティアン・バッハ - Johann Sebastian Bach (1685-1750)
フーガの技法 BWV 1080 (ヴィオール四重奏編)
 
 Contrapunctus I
 Contrapunctus II
 Contrapunctus III
 Contrapunctus IV
 Contrapunctus V
 Contrapunctus VI a 4 in Stylo Francese
 Contrapunctus VII a 4 per Augmentationem et Diminutionem
 Contrapunctus VIII a 3
 Contrapunctus IX a 4 alla Duodecima
 Contrapunctus X a 4 alla Decima
 Contrapunctus XI a 4
 Fuga a 3 Soggetti (Contrapunctus XIV)
 
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト - Wolfgang Amadeus Mozart (1756-1791)
バッハの「平均律クラヴィーア曲集」からの5つのフーガ K. 405 (ヴィオール四重奏編)
 
 No. 1. Fugue in C Minor (from BWV 871)
 No. 2. Fugue in E-Flat Major (from BWV 876)
 No. 3. Fugue in E Major (from BWV 878)
 No. 4. Fugue in D Minor (from BWV 877)
 No. 5. Fugue in D Major (from BWV 874)
フーガ ト短調 K. 401 (ヴィオール四重奏編)
 
 

今日のモーツアルト 弦楽五重奏曲 第4番 ハ短調 K.406

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今日のモーツアルト
弦楽五重奏曲 第4番 ハ短調 K.406 (516b)

I.Allegro ハ短調 2/2 ソナタ形式
II.Andante 変ホ長調 3/8 ソナタ形式
III.Menuetto in Canone 3/4 ハ短調
IV.Allegro ハ短調 2/4 変奏曲形式
〔編成〕 2 vn, 2 va, vc
〔作曲〕 1787年春 ウィーン 
 
 
 1787年はモーツァルトにとって「危機の年」だとオカールは言っている。 父レオポルトの死(5月28日)があるからである。 ただし
 
 この年は幸先よくはじまる。 モーツァルトは(1月から2月にかけての)3週間をプラーハで過ごし、熱狂的な歓迎を受ける。 秋のシーズンのためのオペラの注文を正式に受け、やがて3ヶ月間(9月から11月まで)再び滞在して、『ドン・ジョヴァンニ』を上演する。 しかし彼は、ヴィーンで拒否されたもすべてのもの、すなわち成功、公的な支持、舞台、劇団などを向こうから与えてくれるというのに、プラーハに落ち着くことは受け容れなかった。
                                     [オカール] p.126

 このプラハの歓迎ぶりは唯一の例外であり、ウィーンも含め他の都市ではモーツァルトの音楽は難しいと思われ敬遠されはじめていた。 彼自身もそれは知っていたが、なぜかプラハに移住しようとしなかった。 1785年の父レオポルトのウィーン訪問のあとから父子の往復書簡がほとんどなくなり、残念ながらモーツァルトにどのような考えがあったのか知る手がかりがないが、おそらく以下のような事情だったのだろう。 すなわち、プラハでたとえオペラを作って高収入を得ることができたとしても、それはモーツァルトにとって満足できる境遇でなかったということ。
 
 プラハが彼の将来設計の上で重要な位置を占めなかったこともよくわかる。 つまり、プラハは結局のところは音楽的には田舎のセンターなのであり、大作曲家を食べさせていく場所ではなかったのである。 また実際にプラハでは以前から多くの音楽家を輩出したが、彼らは食えなかったのでみなプラハから流出してしまっている。 プラハの有力貴族たちはこの地に城館を維持してはいたが、ほとんど住みついてはいなかった。 またプラハのオーケストラは熱心で、評判どおり管楽器のセクションがすぐれていた。 しかし、人員が十分揃っていなかった。 新しいオペラ・ハウスは4年前の1783年にできたばかりで、ボンディーニ一座も完全に定着しているわけではなく、ライプツィヒと掛け持ちであったし、歌手も決して一流とはいえなかった。
                                 [ソロモン] pp.645-646

 モーツァルトがプラハで得た収入はせいぜい1000フローリンでしかなかった。モーツアルトはイギリス行きを計画していた。彼はイギリスで成功を収めるための十分な準備が必要だとわかっていたであろう。 そんな時期、4月から5月にかけてモーツァルトは弦楽五重奏曲をまとめて書いている。 すなわち「ハ長調 K.515」と「ト短調 K.516」である。 作曲の動機はわかっていない。 アインシュタインは

 なにが彼を五重奏曲へ誘ったかを言うのは困難である。 外的な誘因を探せば、おそらくフリードリヒ大王の死と、ベルリーンのチェロを弾く音楽愛好家フリードリヒ・ヴィルヘルムの即位であろう。 1786年1月21日に、ボッケリーニはプロイセンの宮廷作曲家となったが、モーツァルトはこのような有利な任命をいつも注意深く求めていたのである。 ボッケリーニがその翌年に、ベルリーンとブレスラウを訪問したことは立証されている。 彼はまたおそらく、彼の兄弟、ジョヴァンニ・アントーニオ・ガストーネがリブレット作者として住んでいたヴィーンをも訪問したであろう。 そしてこの動機がおそらく最も納得のゆく説明であろう。
                             [アインシュタイン] pp.265-6
と述べ、就職活動のためと考えられる可能性を示している。 しかし実際のところは不明である。

 モーツァルトがボッケリーニの有名な一連の五重奏曲を知っていたかどうかは判らないが、仮にオーストリア人たちがイタリア人の書いたこの種の曲を学んでいた、と仮定してみても、モーツァルトが求めていたのは、そうしたものとは異なったメッセージであり、使ったのは別の語法であった。 ボッケリーニが2本のチェロを使ったのに対して、モーツァルトは2本のヴィオラを使ったので、そのことだけでも音楽の織地は全く別のものになる。 なぜそんなことを考えたのかは不明であるが、同様に、彼が弦楽五重奏曲という形を、なぜ特別に取り上げたかもよく判っていない。
                                [ランドン] pp.120-121

 2本のチェロを使わなかったことについては、チェロの名手といわれるプロイセン王が同じパートのライバルを絶対に許さなかったことをモーツァルトが考慮したからであるとアインシュタインは説明しているが。 あるいは予約出版による収入を見込んでというだけのことだったのかもしれない。 どのような事情があったのかわからないが、彼は2曲では足りないと考え、1782年7月末に作曲したたセレナーデ第12番ハ短調、通称『ナハトムジーク』(K.388)を弦楽五重奏に編曲した。
 
 それがこの曲である。 原曲がハ短調というセレナードとしては異例な作品であり、それに弦楽五重奏曲の形でモーツァルトが再び新たな命を与えたものといえる。 しかしオリジナルのハ長調とト短調の五重奏曲に比べて、この曲は(5年前に作曲されたということもあり)室内楽的な密度が足りないといわれたり、原曲セレナードの力と美が大きくそがれてしまっているといわれたり、評価はそれほど高くない。 なお、これら3曲の予約出版広告が翌1788年4月2日に「ウィーン新聞」にモーツァルト自身による名前で掲載された。

 新しい五重奏3曲、ヴァイオリン2、ヴィオラ2、チェロのためのもので私が浄書校正しました。 予約注文を受け付けます。 予約価は4ドゥカーテン、ヴィーンの現価18フローリン。 予約券はホーエン・マルクトのザリンツの店のプフベルク氏の許で毎日入手できます。 作品も同所で7月1日から入手できます。 外国の愛好家は郵送料前納をお願いします。
                            [ドイッチュ&アイブル] p.215

ところが実際には

 誰もこの桁はずれの作品を予約してくれるものはいなかった。 これらの曲の極端なまでの新しさ、その情緒の激しさ、ト短調 K516 における絶望の深さ、などは、ハイドンに捧げた四重奏曲のどれをも遥かに凌駕しており、さらには短調への非妥協的な執着(3曲のうち2曲が短調)などを見れば、アマチュアたちは当然のことのように敬遠したであろう。
                                   [ランドン] p.122

 ランドンは「モーツァルトの音楽言語は、当時のアマチュアの理解の能力を遥かに越えていた」というが、これは現代においても同様であり、たとえアマチュアでなく、プロの演奏家でもほんとうに理解するのは難しいのではないだろうか。
 
 余談であるが、よく知られているように、これらの五重奏曲が書かれて間もなく、5月28日に父レオポルトがザルツブルクで他界。 モーツァルトは10月に『ドン・ジョヴァンニ』初演のため再びプラハ訪問。 11月17日にウィーンに戻ったとき、その2日前にグルックが死去。 お陰でモーツァルトは12月7日、宮廷作曲家になる。 グルックの死で空席となった宮廷作曲家のポストが回ってきたからである。
 
 多くの候補者の中から、ヨーゼフ2世一人の推薦を受け、待望の職にありつけたものであったが、その仕事とは毎年冬期間の舞踏会でのダンス音楽を作ることで、前任者の給料2000フロリンに対して、モーツァルトのそれは800フロリンに過ぎなかった。 ヴェンツェルの言葉によると「音楽の分野での稀なる天才が外国で勤め口や給料を求める必要が起らないような」称号に過ぎなかったのである。 ちょうどその頃、プラハからオペラ作曲の依頼を受けたハイドンがその申し出を断り、依頼すべき相手としては『ドン・ジョヴァンニ』を書き上げたモーツァルトこそがふさわしいと推薦しつつ、
 
 プラハはこの貴重な人物をしっかりつかまえておくべきです。 それだけの報酬を払うべきです。 それがないとこの偉大な天才の運命はあわれなものになります。 後世に対しても努力を奨励することになりません。 あのかけがえのないモーツァルトがまだどこの帝室、王室にも雇われずにいるとは私には腹立たしいことです。
                           [ドイッチュ&アイブル] p.211

と嘆いていたが、モーツァルトが手にいれた定職は上記のようなものであった。 翌1788年からモーツァルトは経済的に苦しい状態に陥り、さかんにプフベルクから借金するようになる。 借金は嵩む一方となり、イギリス行きは見果てぬ夢に終ってしまう。
 
 
<演奏データ>
モーツァルト : 弦楽五重奏曲全集第2集 [第2番ハ短調K.406/同第4番ト短調K.516] 
エーデル弦楽四重奏団 (アーティスト), ヤーノシュ・フェヘールヴァーリ (アーティスト) | 形式: CD
CD (1995/9/1)
ディスク枚数: 1
レーベル: Naxos
ASIN: B00005F4J6
 EAN:  4945604531047

今日のモーツアルト ホルン五重奏曲 変ホ長調 K.407

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今日のモーツアルト
ホルン五重奏曲 変ホ長調 K.407 (386c)

I.Allegro 変ホ長調 4/4 ソナタ形式
II.Andante 変ロ長調 3/8 三部形式
III.Allegro 変ホ長調 2/4 ロンド形式
〔編成〕 hr, vn, 2 va, vc
〔作曲〕 1782年末 ウィーン 
 
 
 
 
 
 
 ホルンの名手ロイトゲープ(50才)のために書かれた第一作である。ロイトケゲープはザルツブルク宮廷楽団でホルンとヴァイオリンの奏者だったが、1777年からウィーンに移り住んでいた。

 ロイトゲープはザルツブルク生まれ(1732年10月8日)と伝えられ、宮廷楽団でホルンとヴァイオリンの奏者。 バルバラ・プラツェリアンと結婚している。
1777年にウィーンに移り、妻バルバラの父親からチーズ販売店を受け継いだ。 そのかたわらホルンを演奏し、モーツァルトにコンチェルトの作曲を頼んでいた。 4年後にウィーンへ行ったモーツァルトとは大の親友で、冗談と悪ふざけの相手。 彼のために4曲のホルン協奏曲とホルン五重奏曲を書いた。
•K.412 (386b) ホルン協奏曲 第1番 ニ長調  1791
•K.407 (386c) ホルン五重奏曲 変ホ長調 1782
•K.417 ホルン協奏曲 第2番 変ホ長調 1783
•K.447 ホルン協奏曲 第3番 変ホ長調 1787
•K.495 ホルン協奏曲 第4番 変ホ長調 1786 
 
  ホルンについてご存知の方は理解していただけるだろうが、この頃のホルンはナチュラルホルンで、現在のようなピストンが一切ついておらず、自然倍音の他はストップ(ホルンのベルの中に手を入れて音を変化させること)によって作り出される相当なテクニックを要するものである。第2楽章と第3楽章にその画像があるので参照されたい。
 
 さて、レオポルトはマンハイム滞在中の息子に次のように伝えている。
 
1777年12月1日
 ロイトゲープさんは、現在、ヴィーンのさる郊外市にチーズ販売の権利つきのちょっとしたカタツムリ小屋のようなものを信用で買いましたが、おまえと私宛に手紙を書いてきました。 要するにおまえの出発したあとで、彼は私に、彼がチーズの商いでもっとお金がたまるまでじっといつものように辛抱してもらうのを条件に私に支払うことを約束し、おまえからコンチェルトを一曲ほしがっています。
                               [書簡全集 III] p.309
 
 実際にコンチェルトが書かれたのは5年後のことだった。完成されたホルンのための作品としてはこの曲が最初である。ただし、自筆譜は1847年3月にロンドンでオークションにかけられて以来行方不明になっているというので、この曲の成立について確実なことはまだ不明とも言える。
 
 のちにモーツァルトは最晩年までにロイトゲープのためにホルン協奏曲を書き残しているが、それらがどういう理由でロイトゲープにとって必要なものだったのかよくわからない。 想像をたくましくすれば、晩年、経済的に苦しくなっていたモーツァルトを見かねて、ロイトゲープは作曲を依頼し金銭的な援助をしていたのだろうか? 最晩年の1791年6月、妻コンスタンツェがバーデンに保養に出ていた間、モーツァルトはロイトゲープの世話になっていたことはよく知られている。 
 
 この曲は、作曲者と演奏者の間の打ち解けた気分が反映され、全体に明るく陽気な音楽。 ナチュラル・ホルンという楽器の構造的な制約にもかかわらず、(普通はヴァイオリン2とするところを)ヴィオラ2として、ロイトゲープの豊かな音域に調和させるための工夫がなされ、弦は伴奏役となった(五重奏曲というより)協奏曲の性格がある。 ナチュラル・ホルンはハンド・ホルンともいうが、ロイトゲープはその難しい演奏に優れていた。
 
アインシュタインは次のように辛口に評している。
 
 1782年の末にヴィーンで、ザルツブルクのホルン奏者イグナーツ・ライトゲープのために書いた。 モーツァルトの機智のよいおもちゃになっていたこの人物のために書かれたすべての作品と同様に、この曲は半ばおどけたものと解される。 そしてアンダンテの中間楽章が、ホルンと第1ヴァイオリンのあいだの小さな愛の対話という非常に心のこもった楽曲でないとしたら、完全におどけたものになっていただろう。 両端楽章は独奏楽器の不自由さをからかっている。 特にロンド・フィナーレのユーモアたっぷりなファンファーレ・モティーフを聴くがよい。 それは室内楽の伴奏を伴う発育不良なコンチェルトで、カデンツァの機会さえ欠けていない。
                         [アインシュタイン] pp.270-271

そして「本来は室内楽に入るものではない」この曲に
 アンドレとアルタリアの両出版社は、管楽セレナーデ(K.375)の2つのメヌエットの一つを挿入することによって、この曲に室内楽の刻印をおそうとしたがだめだった。
と続けている。 これはすなわち

 初期の出版社たちはオリジナル版よりも編曲版で出版することを好んだ。 少なくとも2つの版(ホルンを第2チェロに置きかえたものと、クラリネット2、ホルン2、ファゴット2の六重奏曲の版)が現れた。 これらの版には「メヌエットとトリオ」楽章が挿入されており、一方は『セレナード変ホ長調』K.375から取られ、もう一方は『弦楽三重奏曲』K.563から取られている。
                              [全作品事典] p.320
という室内楽風の編曲であった。
 
※ 森下氏の記事に翡翠が加筆した。
 
<演奏データ>
モーツァルト:ホルン五重奏曲 
ラルキブデッリ | 形式: CD
演奏: ラルキブデッリ
作曲: モーツァルト
CD (1991/6/21)
ディスク枚数: 1
レーベル: ソニー・ミュージックレコーズ
収録時間: 58 分
ASIN: B00005G88T
EAN:  4988009854229
 
1. 行進曲ニ長調K.445 
2. 同ヘ長調K.248 
3. 同ニ長調K.290 
4. 2本の管楽器のための12の二重奏曲変ホ長調K.487~第5番ラルゲット 
5. 同~第2番メヌエット(アレグレット)-トリオ 
6. ホルン五重奏曲変ホ長調K.407 
7. 2本の管楽器のための12の二重奏曲K.487~第10番アンダンテ 
8. 同~第8番アレグロ 
9. 音楽の冗談K.522 
10. ディヴェルティメント(断章)ヘ長調K.288~アレグロ 
11. 同ニ長調K.246b(K.320b) 

1月 6日 今日の音楽こよみ

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1月 6日 今日の音楽こよみ
ベートーヴェンにソナタを献呈されたフランスのバイオリニスト、ロドルフ・クロイツェル没(1766〜1831)
ロシアの作曲家、
アレクサンドル・スクリャービン誕生(1872〜1915)
ドイツの作曲家、
マックス・ブルッフ誕生(1838〜1920)
※ 他にマックス・ブルッフ再び
ドヴォルザークのピアノ5重奏曲作品81初演(1888)
フランスの作曲家、プーランクのバレエ音楽「牝鹿」初演(1924)
フランスの作曲家、
イベールの交響組曲「寄港地」初演(1924)
CHAGE&ASKAのチャゲ誕生(1958〜)
ジャズ・トランペッターのディジー・ガレスピー没(1917〜1993)
フランスのジャズ・ピアニスト、ミシェル・ペトルチアーニ没(1962〜1999)
 
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<演奏データ>
イベール:交響組曲「寄港地」より 
神奈川大学吹奏楽部 | 形式: CD
演奏: 神奈川大学吹奏楽部
指揮: 小澤俊朗
作曲: 高昌帥, ハチャトゥリャン, ロッシーニ, チョビ, トドリ他
CD (2009/5/20)
ディスク枚数: 1
レーベル: インディーズ・メーカー
収録時間: 80 分
ASIN: B00276HNC8
 EAN:  4524513001324

今日のモーツアルト K408 3つの行進曲 383e, 383F, 385a

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今日のモーツアルト
K408 3つの行進曲 383e, 383F, 385a
 
3つの行進曲の第1番 ハ長調 K.408-1 (383e)
•Maestoso ハ長調 2/2 ソナタ形式
〔編成〕 2 ob, 2 hr, 2 tp, 2 vn, va, bs
〔作曲〕 1782年? ウィーン 
 
 3つの行進曲が同じ番号 K.408 で集められているが、そのうち第2番は別の時期に書かれたらしい。 この第1番はモーツァルトの全行進曲中最も規模が大きいく、作曲者自身が気に入っていたらしいと言われているが、作曲の目的は不明である。 のちにコンスタンツェは自分のために作曲してくれたものだと言っているというが。

3つの行進曲の第3番 ハ長調 K.408-3 (K.383F)
•Maestoso ハ長調 ソナタ形式
〔編成〕 2 fl, 2 fg, 2 hr, 2 tp, timp, 2 vn, va, bs
〔作曲〕 1782年 ウィーン 

 第1番と同じく、この曲も動機は不明。 主題が反復しながら広がり、軽やかな副主題へ続く。 展開部はニ短調の別の音型が現れ、そして副主題が再現される。

3つの行進曲の第2番 ニ長調 K.408-2 (K.385a)
〔編成〕 2 ob, 2 fg, 2 hr, 2 tp, timp, 2 vn, va, bs
〔作曲〕 1782年8月初 ウィーン 
 
 父への手紙(7月27日)によれば、ハフナー・セレナード(改編された交響曲K.385)のために大急ぎで作曲し、ザルツブルクの父へ送った。
 
 最初のアレグロしかお目にかけないので、びっくりなさるでしょう。 でも、ほかに仕様がなかったのです。 急いで夜曲を一つ、といってもただの吹奏楽用に(さもなければお父さんのためにも使えたでしょうが)、書かなければならなかったので。 31日の水曜日に2つのメヌエットとアンダンテと終曲を(できれば行進曲も)お送りします。 できない場合はハフナー音楽の行進曲(これはあまり知られていません)を使っていただけなければなりません。
                           [手紙(下)] p.64
 ここで、「最初のアレグロ、2つのメヌエットとアンダンテと終曲」と言っているのが交響曲 K.385 であり、「できれば行進曲も」というのがこの曲である。 また、「急いで夜曲を一つ」とは「ナハトムジーク K.388」であり、「あまり知られていない行進曲」とは「ハフナー・セレナード K.250」用のK.249である。
 
※ 森下氏の記事によった。
 
1月 8日 今日の音楽こよみ
イタリアの作曲家、①アルカンジェロ・コレッリ没(1653〜1713)
ドイツの指揮者/ピアニスト、ハンス・フォン・ビューロー誕生(1830〜1894)
シューマンのピアノ五重奏曲初演(1843)
オーストリアの作曲家、②アルバン・ベルクの「抒情組曲」初演(1927)
ロック歌手、エルヴィス・プレスリー誕生(1935〜1977)
デヴィッド・ボウイ誕生(1947〜)
歌手、もんたよしのり誕生(1951〜)
ソプラノ歌手、鮫島有美子誕生(1952〜)
ドラマー、デイブ・ウェックル誕生(1960〜)
フランスのチェリスト、ピエール・フルニエ没(1906〜1986)
ロック・プロモーター、ビル・グレアム誕生(1931〜1991)
歌謡曲/民謡の歌手、三橋美智也没(1930〜1996)
 
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  ベテランと言われる人たちが時折新人に向かって「あなたらしく自由にやりなさい」とか「思い通りにやりなさい」とか言うのを聞くことがある。私は、この言葉を最近は危険な言葉としてとらえている。時に、無責任だとさえ思えることもある。実際そのように言われた人物は、私のとこに来て「困りました。どうしたらいいでしょう」と相談に来たのである。基本を知らないのに、好き勝手はできない。
 
 かつて私の私淑していた某氏は、人を抜擢するとき「人材とは一癖あるものなり」と言われた。これは、ある程度出来上がった人物群を指して言った言葉である。つまり、思い通りにできる、彼らしく自由にやれるタイプの人で、傍からは「できるやつなんだけど、ちょっとばかり癖があってねえ」などと評されるタイプだ。
 
 幼児や小学生の低学年などが気の向くままに絵を描いているときならともかくも、図工の時間に先生が白紙の画用紙を差し出して、「自由に絵を描いてごらん」などと言ってもほとんどの子供は困ってしまっておろおろするばかりである。私は、幾度かそうした場面に遭遇したことがある。
 
 ほとんどの人は模倣することから物事を覚えていく。子供が両親から学ぶようにだ。モーツアルトもマンハイム派やギャラント様式の影響を受けたり、ハイドンの作風をまねたりしたが、バッハのフーガを学んだりしてその作風を完成させていったのだ。そういう意味では最もモーツアルトに影響を及ぼしたのは、ヨハン・クリスティアン・バッハやカール・フィリップ・エマヌエル・バッハである。
 
 さて、今日取り上げた行進曲だが、これらは音楽会が始まるときに楽師たちが入場するために演奏される行進曲である。そして、その後に演奏されるのがセレナーデであったり交響曲であったりした。しかも、1,2楽章は前半に、3楽章は演奏会の最後の演奏されるなど分断さえされていた。少なくともハイドンの音楽などはその典型だったし、モーツアルトの初期の交響曲もどうしたものであった。明るく歯切れの良い長調の曲が多いのはそうした意味合いからもうなずける。
 
 しかし、この交響曲においてもモーツアルトの交響曲は単独の独立した曲として演奏されるように進化していくのであり、構造も強固なものに変化している。交響曲はベートーヴェン一代の完成品ではないのである。
 
 
<演奏データ>
MOZART, W.A.: German Dances and Marches (Salzburg Mozarteum Orchestra, P. Walter)
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト - Wolfgang Amadeus Mozart (1756-1791)
3つのドイツ舞曲 K. 605
1 No. 1 in D Major
2 No. 2 in G Major
3  No. 3 in C Major, "Die Schlittenfahrt" (Sleigh Ride)
4 6つのドイツ舞曲 K. 509
5 雷雨 K. 534
2つのカドリーユ K. 463
6 No. 1 in F Major
7  No. 2 in B-Flat Major
3つの行進曲 K. 408
8 No. 1 in C Major
9  No. 2 in D Major
10  No. 3 in C Major
11 行進曲 ニ長調 K. 215
12 行進曲 ニ長調 K. 237
 

今日の一曲 ドメニコ・チマローザ『秘密の結婚』

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今日の一曲
ドメニコ・チマローザ『秘密の結婚』
 
 
1月11日 今日の音楽こよみ
イタリアの作曲家、ドメニコ・チマローザ没(1749〜1801)
ノルウェーの作曲家、クリスチャン・シンディング誕生(1856〜1941)
ジャズ・サックス奏者、タブ・スミス誕生(1901〜1971)
歌手、女優の江利チエミ誕生(1937〜1982)
プロコフィエフのバレエ音楽「ロミオとジュリエット」初演(1940)
フォーク歌手、ジョーン・バエズ来日(1967)
ソウル・シンガー、メアリー・J.ブライジ誕生(1971〜)
ギル・エヴァンス、リー・コニッツと初のデュオ・コンサート開催(1980)
ドイツの指揮者、クラウス・テンシュテット没(1926〜1998)

 
 
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  ドメニコ・チマローザ(Domenico Cimarosa, 1749年12月17日 - 1801年1月11日)は、イタリアの作曲家。ナポリの近郊アヴェルサに生れて、ヴェネツィアで没した。
 
  レンガ職人の父と洗濯婦の母の貧しい家庭で生れたが、父は作業中に事故死した。幼い頃より楽才に優れている事が僧院のオルガン奏者の目にとまり、その援助を得て11歳で現在のナポリ音楽院の前身であるサンタ・マリア・ディ・ロレト音楽院(イタリア語版)に入学。
 
  彼が作曲したオペラは約70曲を数え、その他レクイエム、オラトリオ、チェンバロ・ソナタなど美しい旋律が印象的で、チマローザと同年生れのゲーテは彼の音楽を賞賛している。またオーストラリアの作曲家アーサー・ベンジャミンはチマローザのチェンバロ・ソナタから4曲を選んで編曲し、オーボエ協奏曲に仕立てている。ロッシーニが登場するまではオペラ・ブッファはチマローザが第一人者であった。
 『秘密の結婚』(ひみつのけっこん、伊語:Il matrimonio segreto)は、ドメニコ・チマローザが作曲したオペラ。
原語題名:Il matrimonio segreto
台本:ジョヴァンニ・ベルターティ
初演:1792年2月7日、ウィーン・ブルク劇場
 
 モーツァルトと並び称されるオペラ作曲家であるチマローザの代表作であり、モーツァルトの作品を除けば、18世紀のオペラ・ブッファとしては、上演され続けてきた数少ない作品のひとつである。

登場人物
ジェロニモ(バス) - 裕福な商人
エリゼッタ(ソプラノ) - ジェロニモの長女
カロリーナ(ソプラノ) - ジェロニモの次女
フィダルマ(メゾソプラノ) - ジェロニモの妹で未亡人
ロビンソン伯爵(バス) - 金持ちの伯爵
パオリーノ(テノール) - ジェロニモの使用人で若い法律家
 
あらすじ
第一幕
第一場 ジェロニモ家のサロン
商人・ジェロニモの屋敷で、次女のカロリーナと使用人のパオリーノが秘密の結婚を果たし、一刻も早く公認の仲になりたいと語っていた。そこでパオリーノは、姉娘のエリゼッタとロビンソン伯爵を結婚させて、自分たちの結婚を認めさせようと考える。しかし、ロビンソン伯爵は妹のカロリーナの方に一目惚れしてしまうのであった。
第二場 応接室
パオリーノはジェロニモの妹であるフィダルマに相談を持ちかけるが、フィダルマはパオリーノに気があったため、事態はさらに悪くなった。
 
第二幕
第一場 応接室
ロビンソン伯爵がエリゼッタと結婚しないと宣言したため、ジェロニモは怒り狂う。しかし、カロリーナを嫁にもらえるなら持参金は半分で良いと迫るロビンソン伯爵に、父・ジェロニモの心は揺れる。混乱のなか、フィダルマにまで言い寄られたパオリーノは卒倒し、フィダルマに介抱されているところをカロリーナに見られてしまう。誤解を解くため、短剣を取り出して命がけでパオリーノは愛を誓う。そして二人はついに駆け落ちを決心する。その一方で、姉のエリゼッタはロビンソン伯爵が自分に振り向かないことに腹を立て、叔母のフィダルマとともに邪魔者であるカロリーナを追い出そうと計画する。
第二場 サロン
パオーリオは夜中にカロリーナの部屋に忍び込んだ。何も知らないロビンソン伯爵もカロリーナの部屋に行こうとするが、見張っていたエリゼッタに見つかって部屋に引き返してしまう。怪しむエリゼッタは、聞こえてきた声にロビンソン伯爵とカロリーナが密会していると思い込み、二人に出て来るように叫ぶが、部屋から出てきたのはパオリーノだった。二人の結婚が明らかになり、ロビンソン伯爵はついにカロリーナを諦めてエリゼッタと結婚することを約束した。

 
<演奏データ>
『秘密の結婚』全曲 アントニーニ&ワロン王立歌劇場、フォルテ、リナルディ、他(2008 ステレオ)
・チマローザ:歌劇『秘密の結婚』全曲
 チンツィア・フォルテ(S カロリーナ)
 プリシユ・ラプラス(S エリゼッタ)
 ダミアーナ・ピンティ(Ms フィダルマ)
 アルベルト・リナルディ(Br ジェローニモ)
 アルド・カプート(T パオリーノ)
 マリオ・カッシ(Br ロビンソン伯爵)
 ワロン王立歌劇場管弦楽団
 ジョヴァンニ・アントニーニ(指揮)
 演出:ステーファノ・マッツォニス・ディ・パララフェーラ
 装置:ジャン・ギ・ルカ
 衣装:フェルナン・ルイツ

今日のモーツアルト 「メヌエット ハ長調」K.409 (383f)

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今日のモーツアルト
メヌエット ハ長調 K.409 (383f)

〔編成〕 2 fl, 2 ob, 2 fg, 2 tr, timp, 2 vn, va, bs
〔作曲〕 1782年5月 ウィーン
 
1月12日 今日の音楽こよみ
イタリアの作曲家、ヴォルフ=フェラーリ誕生(1876〜1948)
ピアノの巨匠、ウラディミール・ホロヴィッツ、アメリカ・デビュー(1928)
歌手、ムッシュかまやつ誕生(1939〜)
TBSの歌番組「ザ・ベストテン」放送開始(1978)
ポーランドのピアニスト、レオニード・コハンスキ没(1893〜1980)
 
 
 
 
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  作曲時期は不明。 上記「1782年5月」には確かな根拠があるわけではなく、新全集編集者の一人シュナップの推測であり、現在支持を得ている説である。 かつて、アインシュタインは「交響曲第34番ハ長調 K.338」の第3楽章であるとして
 
 追加作曲されたメヌエット(K.409)は、モーツァルトの書いたメヌエットのうちで最も堂々たるものの一つであって、トリオでは管楽器群が協奏する。 モーツァルトは、ザルツブルクにはまだなかったフルートをも考慮に入れている。 もちろんヴィーンで両端楽章(そしておそらくアンダンテ)のためにフルートを入れたのである。
                                 [アインシュタイン]

 と推測していた。 しかし、このメヌエット(三部形式 89小節、そのうち木管三重奏のトリオ 41小節)は後の3大交響曲のメヌエットに匹敵するほど大きく、楽器の編成にも問題がある(この曲ではフルートを必要とするのに対して、交響曲K.338にはない)ため、その後シュナップ説「独立した曲であり、踊るためではなく、第1回アウガルテン演奏会(1782年5月26日)での挿入曲として演奏されたものである」が支持されている。 したがって曲のタイトルも「交響曲用メヌエット Minuet to a symphony」ではなく、単に「メヌエット」となっている。
 
 
 
<演奏データ>
交響曲第39番 変ホ長調 K. 543
 
 I. Adagio - Allegro
 II. Andante con moto
 III. Menuetto: Allegretto
 IV. Finale: Allegro

交響曲第34番 ハ長調 K. 338
 
 I. Allegro vivace
 II. Andante di molto piu tosto - Allegretto
 III. Finale: Allegro vivace

メヌエット ハ長調 K. 409

今日のモーツアルト アダージョ ヘ長調K.410

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今日のモーツアルト
アダージョ ヘ長調K.410 (484d) 

•Adagio ヘ長調 2/2 (27小節)
■編成 2 basset-hr, fg
■作曲 1782年?(第6版、1785年末) ウィーン 
 
モーツァルトのオペラ『にせの女庭師初演(1775)
「草競馬」で知られるアメリカの作曲家、フォスター没(1826〜1864)
作曲家、清瀬保二誕生(1900〜1981)
ジャズ・ギタリストのジョー・パス誕生(1929〜1994)
イタリアのバリトン歌手、レナート・ブルゾン誕生(1936〜)
ジャズ・ピアニストのソニー・クラーク没(1931〜1963)
フランスの作曲家、アンリ・トマジ没(1901〜1971)
エリック・クラプトン、復活コンサートを開く(1973)
R&B歌手、キーボーディストのダニー・ハサウェイ没(1945〜1979)
プレスリー、第14回アメリカ音楽大賞の功労賞に選ばれる(1987)
 
 
 
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 27小節の小さな作品であるが、アインシュタインが「モーツアルトの最も燦然たる楽曲の一つである」と評したこの曲について、成立の事情はまったく不明である。
 
 モーツアルトは1784年12月14日にフリーメーソンのウイーンにおけるロッジの一つである「善行に向かって進む Zur Wohltatigkeit」に入会し、死ぬまでの7年間、熱心な会員となった。 最初の階級は第1位階の「従弟位階」である。
 
 このロッジは1783年2月2日にゲミンゲン男爵によって結成されたもので、モーツァルトとは1777〜78年にマンハイムで出会っている。 この入信が「アダージョ 変ロ長調 K.411 (484a)」とともにこの曲を作る機会となったと推測されていた。 しかしタイソンは自筆譜の用紙の研究から1782年または83年の作と推定した。
 
 
<演奏データ>
Disc 1
1「深き淵よりわれ汝を呼ぶ」 K. 93
2「おお、聖なる絆」 K. 148
3「天主の御母なる聖マリア」 K. 273
4アダージョ ヘ長調 K. 410
5アダージョ 変ロ長調 K. 411
6カンタータ「汝、宇宙の魂よ」 K. 429
7 Die ihr einen neuen Grade, K. 468
8フリーメイソンの喜び K. 471
9フリーメイソンのための葬送音楽 K. 477
Disc 2
1「今日こそ共に、愛する兄弟よ」 K. 483
2「汝ら、われらの新しき指導者よ」 K. 484
3 アダージョとフーガ ハ短調 K. 546
4アダージョとロンド K. 617
5アヴェ・ヴェルム・コルプス ニ長調 K. 618
6「無限なる宇宙の創造者を崇敬する汝らが」 K. 619
7「われらが喜びを高らかに告げよ」 K. 623
8「みんなで腕を組み合おう」 K. 623a
 
 
 
 

今日の一曲 ラヴェルのピアノ協奏曲初演

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今日の一曲
ラヴェルのピアノ協奏曲初演
 
1月14日 今日の音楽こよみ
オルガニストでバッハ研究者だったシュヴァイツァー誕生(1875〜1965)
イタリアの作曲家、プッチーニのオペラ『トスカ』初演(1900)
フランスの作曲家、ラヴェルのピアノ協奏曲初演(1932)
スペインの作曲家、ホアキン・トゥリーナ没(1882〜1949)
ラトヴィアの指揮者、マリス・ヤンソンス誕生(1943〜)
 
Ravel: Concerto in Sol per pianoforte e orchestra
Arturo Benedetti Michelangeli
London Symphony Orchestra - Sergiu Celibidache

 
 モーリス・ラヴェルが最晩年に作曲した2曲のピアノ協奏曲のうちの一つ。ラヴェルの死の6年前(1931年)に完成され、ラヴェルの完成された作品としては最後から2番目にあたる。並行して作曲された『左手のためのピアノ協奏曲』(1930年完成)の重厚さとは対照的な陽気で華やかな性格を持ち、生き生きとしたユーモアと優雅な叙情性にあふれている。
 
 作品中には、ラヴェルの母の出身地であるバスク地方の民謡や、スペイン音楽、ジャズのイディオムなど、多彩な要素が用いられているが、ラヴェル自身は「モーツァルトやサン=サーンスと同じような美意識」に基づいて作曲したと語っている。
 
 ラヴェルは、1928年に行った自作を指揮してのアメリカ合衆国演奏旅行が大歓迎で迎えられたことから、ヨーロッパ、北アメリカ、南アメリカ、アジアを回る大規模な2度目の演奏旅行を計画し、これに向けて自身がソリストを務めることを前提としたピアノ協奏曲の作曲にとりかかった。
 
 ラヴェルの友人ギュスターヴ・サマズイユによれば、ラヴェルには1906年に着手したものの未完で終わってしまったバスク風のピアノ協奏曲『サスピアク=バット』(“Zazpiak Bat”)があり、この主題の一部がピアノ協奏曲に転用されたとされる。
 
 作曲は1929年に着手されたが、同年冬からは『左手のためのピアノ協奏曲』との同時進行となり、『左手のためのピアノ協奏曲』完成からさらに丸一年を経過した1931年にようやく完成した。
 
 完成当初、ラヴェルは自分自身のピアノ兼指揮で初演することを望んでいたが、自分の力量を見極めて(体調不良で医者から休養を薦められたこともあった)、信頼する女流ピアニスト、マルグリット・ロンに独奏を任せた。2ヶ月近いリハーサルの末、1932年1月14日、パリのサル・プレイエルにおいて、ロンの独奏とラヴェル自身が指揮するラムルー管弦楽団によって行われた初演は大成功をおさめ、作品は初演ピアニストのロンに献呈された。
 
 当初予定されていた演奏旅行はラヴェルの健康状態の悪化により、ウィーン、プラハ、ロンドン、ワルシャワ、ベルリン、アムステルダムなど、ヨーロッパの20の都市を回るものに縮小されたが、ピアノ協奏曲は各地で好評をもって迎えられ、多くの会場において、鳴り止まぬ拍手に応えて第3楽章がアンコール演奏された。
 
楽器編成
『左手のためのピアノ協奏曲』とは対照的にオーケストラの規模は小さい。
独奏ピアノ
ピッコロ1・フルート1・オーボエ1・コーラングレ1・E♭クラリネット1・B♭クラリネット(A管持ち替え)1・ファゴット2
ホルン2・トランペット(C管)1・トロンボーン1
ティンパニ2・打楽器2名(大太鼓、小太鼓、シンバル、タムタム、トライアングル、ウッドブロック、鞭)
ハープ1
弦五部(第1ヴァイオリン8、第2ヴァイオリン8、ヴィオラ6、チェロ6、コントラバス(五弦のもの)4
 
 
 『左手のためのピアノ協奏曲』は単一楽章であるが、この作品では古典的な「急 - 緩 - 急」の3楽章構成となっている。

第1楽章Allegramente(アレグラメンテ、「明るく、楽しげに」の意), 2/2拍子, ト長調。ソナタ形式。
 ピシャリという鞭の音でインパクト強く始まり、ピアノが奏でる複調のアルペッジョに乗ってピッコロがバスク風の第1主題を奏でる。ややテンポを落とし(Meno vivo)、ピアノがロ短調の第2主題を奏でるが、この主題についてはスペイン風であるとも、ブルース風であるともされている。
 提示部ではさらに3つの主題が現れ、その後、展開部、再現部と進むが、型通りのソナタ形式ではない。特に再現部末尾において、ピアノのカデンツァに先立ちハープ・木管楽器によるカデンツァが挿入されている点は独創的である。途中で仄かな感傷的部分を挟みながらも、終始リズミカルでユーモラスなイメージが続き、ブルーノートの使用やトロンボーンのグリッサンド、トランペットのフラッタータンギングなどにジャズの影響がうかがえる。
 
第2楽章Adagio assai, 3/4拍子, ホ長調。
 叙情的なサラバンド風の楽章。ラヴェルの『亡き王女のためのパヴァーヌ』や、サティの『ジムノペディ』に通じる擬古的な美しさをたたえており、モーツァルトのクラリネット五重奏曲に感化されたとも言われる。冒頭のピアノ独奏は、全108小節の3分の1弱にあたる33小節間、時間にして2分以上もあり、ピアノ協奏曲としては異例の長さである。
 旋律は3/4拍子であるが、楽章の終止まで常に続けられる伴奏は6/8拍子のように書かれており、一種のポリリズムを形成している。長い独奏による主題提示の後に、弦の繊細な和声にのってフルート、オーボエ、クラリネットが途切れること無く旋律を歌い上げ、ファゴットやホルン等も出て来て盛り上がった後、コーラングレのソロが最初の主題を再現する。ここではピアノがアラベスク風の装飾的な音符によってコーラングレと対話、短2度や長7度の不協和音を奏でる弦が音楽を一層感傷的なものにする。
 コーラングレのソロが終わった後、木管楽器が旋律を受け継ぎ、ピアノのトリルで儚げに終わる。簡素ながらも精緻な筆致による美しい音色は、ラヴェルの作品の中でも際立っている。
 
第3楽章Presto, 2/2拍子, ト長調。
 ドラムロールに乗ってトランペットを中心とする金管楽器が特徴的なリズムを刻み、ストラヴィンスキーの『ペトルーシュカ』やサティの『パラード』に通じる、サーカスやパレードのような雰囲気で開始される。第2楽章と打って変わった諧謔さを持ち、活力にあふれた動的な楽章である。
 ピアノはトッカータ風で、只の半音階を左右のオクターヴにずらしたりなど、独特の使い方も見せる。冒頭のリズムのほか、甲高い変ホ調クラリネットによる第1の主題、平行和音による第2の主題、6/8拍子の行進曲風の第3の主題が登場し展開される。変則的なソナタ形式と見なすこともできる。前2つの楽章に比べると短いが、「管弦楽の魔術師」ラヴェルらしい巧みなオーケストレーションにより各楽器が活躍し、楽章冒頭のリズムによって華やかに曲を締める。

 
<演奏データ>
ラヴェル:ピアノ協奏曲 
フランソワ(サンソン) | 形式: CD
演奏: フランソワ(サンソン), パリ音楽院管弦楽団
指揮: クリュイタンス(アンドレ)
作曲: ラヴェル
CD (2004/12/8)
ディスク枚数: 1
レーベル: EMIミュージック・ジャパン
収録時間: 38 分
ASIN: B00069BO6O
EAN:  4988006826311  
1. ピアノ協奏曲ト長調    
2. 左手のためのピアノ協奏曲

今日の一曲 「嘆きのセレナーデ」再び

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今日の一曲
エンリコ・トゼリ「嘆きのセレナーデ」再び
 
1月15日 今日の音楽こよみ
アメリカのジャズ・ドラマー、ジーン・クルーパ誕生(1909?1973)
作曲家、小山清茂誕生(1914?)
フランスの作曲家、ガブリエル・ピエルネのバレエ音楽「シダリーズと牧羊神」初演(1923)
イタリアの作曲家、エンリコ・トゼリ没(1883?1926)
作曲家、松村禎三誕生(1929?)
フランスの作曲家、オリヴィエ・メシアンの「世の終わりのための四重奏曲」初演(1941)
ダイアナ・ロス、シュープリームスからソロに独立(1970)
マーチン・ルーサー・キング牧師の追悼コンサート開催(1973)
 
 
 
 
 
 前回の記事が不足していたので、追記する。
 
 フィレンツェ生まれのイタリアの作曲家エンリコ・トセリの唯一今に残った作品だろう。この曲日本語ではよく「嘆きのセレナーデ」と呼ばれるが、その元になったと思われるイタリア語のタイトルはRimpianto(Regret)だから、嘆きというより若き日の愚行をしみじみ噛み締める「悔恨」という意味合いだろう。
 
 曲想も長調でゆったりと歌われるが、どのような経過でタイトルがつけられたかは不明である。恋人の窓辺で歌われる意味合いのセレナーデという曲の概念からは外れた歌詞だろうと思う。

 今ではどちらかというと歌よりは器楽の独奏曲として取り上げられることが多い曲のようだが、ここではカレーラスの歌を取り上げた。
 
「 後悔 」
 
詩 アルフレード・シルベストリ       Rimpianto  
 

金色に輝く夢のように
ぼくの心に刻み込まれた
愛の記憶はまだ残っている
もう消えてしまった愛なのに

きみを初めて見たのは
その素敵な笑顔
ぼくを幸せにしてくれたんだ
その輝きで、ぼくらは若かった

けれど、それはあまりに短い夢
はかなく消え去った甘美さ
この美しく金色に輝く夢は
ぼくに苦しみだけを残した

未来は暗く 悲しみは増す
過ぎ去ってしまった若き日の
後悔だけが残る
ぼくはひとり残り
苦い後悔と悲しみを心に抱くのだ!

おお 太陽の光は
ぼくの歩く道の上ではもう輝かないのだ
もう二度と もう二度と


<演奏データ>
ツィゴイネルワイゼン
天満敦子 | 形式: CD
ツィゴイネルワイゼン
天満敦子 | 形式: CD
演奏: 天満敦子, 吉武雅子
作曲: チャイコフスキー, ブラームス, ポルムベスク, フォーレ, サラサーテ他
CD (2006/9/6)
ディスク枚数: 1
レーベル: キングレコード
収録時間: 70 分
  
1. 《ホーム・スウィート・ホーム》の主題による変奏曲    
2. ユモレスク    
3. ロマンス[ヴァイオリン協奏曲第2番第2楽章]    
4. 嘆きのセレナード    
5. ロンドンデリーの歌    
6. シチリア舞曲    
7. 詩曲    
8. スケルツォ[F.A.E.ソナタ第3楽章]    
9. 思い出    
10. アンダンテ・カンタービレ    
11. ハンガリー舞曲第1番    
12. 哀歌    
13. グリーンスリーヴズ    
14. 子守歌    
15. ツィゴイネルワイゼン 
Come un sogno d'or
scolpito è nel core.
Il ricordo ancor' di quell'amor
che non esiste più.

Fu la sua vision
qual dolce sorriso
che più lieta fa,
col suo brillar,la nostra gioventù.

Ma fu molto breve in me
la dolcezza di quel ben svani
quel bel sogno d'or
lasciando in me il dolor.

Cupo è l'avvenir sempre più tristi
i di la gioventù passata
sarà rimpianto
mi resta sol,
sì rimpianto amaro e duol' nel cor!

Oh raggio di sole,
Sul mio cammino ahimè non brii li più.
Mai più,mai più.

 

今日のモーツアルト  ホルン協奏曲 第1番 ニ長調

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今日のモーツアルト
ホルン協奏曲 第1番 ニ長調 K.412 / 514 (386b)

I.Allegro (K.412) ニ長調 4/4 ソナタ形式
II.Rondo : Allegro (K.514) ニ長調 6/8 ロンド形式
■編成 hr solo, 2 ob, 2 fg (I), 2 vn, 2 va, bs
■作曲 1791年1〜10月? ウィーン

今日の一曲 プロコフィエフ交響曲第5番

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今日の一曲
プロコフィエフ交響曲第5番 変ロ長調 作品100
 
 
 
1月17日 今日の音楽こよみ
95歳と長寿を全うしたベルギーの作曲家、フランソワ=ジョゼフ・ゴセック誕生(1734〜1829)
イタリアの作曲家、トマゾ・アルビノーニ没(1671〜1751)
19歳で夭折し「スペインのモーツァルト」と呼ばれた作曲家、ファン・クリストモ・デ・アリアーガ没(1806〜1826)
イタリアの作曲家、アミルカーレ・ポンキエッリ没(1834〜1886)
ジャズ・サックス/フルート奏者、ビリー・ハーパー誕生(1943〜)
フランスのバイオリニスト、オーギュスタン・デュメイ誕生(1949〜)
ロシアの作曲家、プロコフィエフの交響曲第5番初演(1950)
映画音楽・コンサート等、世界を舞台に活躍する坂本龍一誕生(1952〜)
人気の絶頂で引退した歌手、山口百恵誕生(1959〜)
アメリカのR&B歌手、ビリー・スチュアート没(1937〜1970)
アメリカのR&B歌手、トミー・タッカー没(1939〜1982)

 
 
 
 
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 交響曲第5番 変ロ長調 作品100は、ソビエト連邦の作曲家セルゲイ・プロコフィエフが作曲した交響曲である。プロコフィエフの作品の中でも最も人気のある作品のひとつである。
 
 プロコフィエフは元来政治には無関心であったが、1941年にヒトラー率いるドイツ第三帝国が独ソ不可侵条約を一方的に破棄してソ連に攻め入る現実を見て、かつてない祖国愛に目覚めたという。そして作曲家として何らかの形で祖国に貢献する道や方法を考え始め、こうした状況下で生まれたのがこの交響曲第5番であった。
 
 作曲は1944年に、モスクワ郊外のイヴァノヴォにある作曲家たちの山荘で一気呵成に行われ、わずか1ヶ月あまりでピアノ・スコアが書かれ、さらに続く1ヶ月でオーケストラのスコアが完成されたという。なお、この交響曲第5番がさらにプロコフィエフを刺激・鼓舞した背景には、作品番号が100という、プロコフィエフにとっては運命的な意味を持つ番号になった点があり、普段よりも増して意欲的に作曲に取り組んでいたようである。数字から見ても、どこか記念的な意味が隠されているようにも思える。
 
 初演は1945年1月13日、モスクワのモスクワ音楽院大ホールにて、プロコフィエフ自身の指揮とモスクワ国立交響楽団の演奏で行われ、ソヴィエト全域にわたってラジオで中継された。またこの日のプログラムは、『古典交響曲』、交響的物語『ピーターと狼』と交響曲第5番という、オール・プロコフィエフ・プログラムであった。初演は大成功を収め、同年11月にはセルゲイ・クーセヴィツキーの指揮とボストン交響楽団の演奏によるアメリカ初演も行なわれた。
 
 後にプロコフィエフはこの交響曲について、以下のように述べている。
「戦争が始まって、誰も彼もが祖国のために全力を尽くして戦っているとき、自分も何か偉大な仕事に取り組まなければならないと感じた。」
「わたしの第5交響曲は自由で幸せな人間、その強大な力、その純粋で高貴な魂への讃美歌の意味を持っている。」(1951年)
 
楽器編成
フルート 2、ピッコロ 1、オーボエ 2、イングリッシュホルン 1、クラリネット 2、E♭管クラリネット 1、バスクラリネット 1、ファゴット 2、コントラファゴット 1、ホルン 4、トランペット 3、トロンボーン 3、チューバ 1、ウッドブロック、タンブリン、トライアングル、小太鼓、シンバル、大太鼓、タムタム、ティンパニ、ハープ、ピアノ、弦五部
三管編成である。
 
演奏時間 約45分

第1楽章 - Andante 変ロ長調、4分の3拍子。ソナタ形式。
 第1主題は4分の3拍子を基本としながらも、実際は変拍子に近い。同時に旋律も様々な楽器に受け継がれていく。第2主題は4分の4拍子で、構成面・音響面ともに第1主題と対比されている。

第2楽章 - Allegro marcato ニ短調、4分の4拍子。三部形式。
 プロコフィエフの得意な弦楽器のスケルツォ。オスティナート的な弦楽器のスタッカートに載って、軽快な主題とリズムが展開される。トリオはニ長調となり、その主部は3分の4拍子でさらに軽快である。回帰したスケルツォでは、はじめに比べ調の変化が激しい。最後はその勢いを保ったまま強奏で終わる。

第3楽章 - Adagio ヘ長調、4分の3拍子。ロンド形式 。
 前楽章とは対照的に抒情的で落ち着いた歌謡的な主題を持つ。主部は広い音域をもった美しい旋律で、長いフレーズの中で様々な楽器に紡がれてゆく。

第4楽章 - Allegro giocoso 変ロ長調、2分の2拍子。ロンド形式。
 序奏の後、第1楽章の主題を4声のチェロで回想され、生き生きとした主部に入る。中間部では、ブラームスの交響曲第1番終楽章のフーガにも似た展開が行われる。コーダでは、この楽章の3つの主題が展開され、終わり直前に突然各楽器を1人に絞って音量を絞ったのち、一気に盛り上げて変ロのトゥッティで終わる。
※ ウィキペディアの記事によった。
 
<演奏データ>
プロコフィエフ:交響曲第5番&ピーターと狼 [Limited Edition] 
オーマンディ(ユージン),フィラデルフィア管弦楽団 | 形式: CD 
演奏: フィラデルフィア管弦楽団
指揮: オーマンディ(ユージン)
作曲: プロコフィエフ
CD (2003/12/17)
ディスク枚数: 1
フォーマット: Limited Edition
レーベル: BMG JAPAN
収録時間: 76 分
ASIN: B0000QWYSK
EAN:  4988017619414
1. 交響曲第5番変ロ長調op.100    
2. ピーターと狼op.67   

今日のモーツアルト 交響曲 第38番 ニ長調 「プラハ」 K.504

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今日のモーツアルト
交響曲 第38番 ニ長調 「プラハ」 K.504


I.Adagio - Allegro ニ長調 4/4 ソナタ形式
II.Andante ト長調 6/8 ソナタ形式
III.Presto ニ長調 2/4 ロンド・ソナタ形式
〔編成〕 2 fl, 2 ob, 2 fg, 2 hr, 2 tr, timp, 2 vn, 2 va, bs
〔作曲〕 1786年12月6日 ウィーン
 
 
1月19日 今日の音楽こよみ
モーツァルトの交響曲第38番「プラハ」初演(1787)
ヴェルディのオペラ『トルヴァトーレ』初演(1854)
ドイツの指揮者、ヘルマン・アーベントロート誕生(1883〜1956)
フランスの作曲家、ジュール・マスネのオペラ『マノン』初演(1884)
ドイツのバリトン歌手、ハンス・ホッター誕生(1909〜)
アメリカのロック歌手、ジャニス・ジョプリン誕生(1943〜1970)
イギリスのロック歌手、ロバート・パーマー誕生(1949〜2003)
ニューミュージックの女王、松任谷(荒井)由実誕生(1954)
イギリスの指揮者、サイモン・ラトル誕生(1955〜)
ロシアの指揮者、エフゲニー・ムラヴィンスキー没(1906〜1988)
 
 
 
 
 
 
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 順番で行くと本日は、 「ピアノ協奏曲 第11番」 ヘ長調K.413 なのだが、今日は交響曲38番「プラハ」の初演の日ということで「プラハ」の記事にしたい。
 
 1876年5月1日に初演された「フィガロの結婚」は同年12月プラハでも大成功を収めた。モーツアルトは、この成功を受けて自作の指揮をするよう招待を受けたのである。この交響曲は、プラハ滞在中の87年1月19日モーツアルト指揮のフィガロの演奏会で初演された。
 
 しかし、「プラハ」という愛称されるこの作品が自作作品目録に記入されたのは12月6日であり、最初からプラハでの演奏を意図していたわけではなく、86年から87年の冬のシーズンで使用するために作曲されたのではないかとラスロー・ショムハイは推測しているがザスローによればウイーンで演奏されるために書かれたのではないかと書いている。
 
 プラハでは『フィガロ』が大成功で、モーツァルトは「識者と愛好家の会」から招待され、妻コンスタンツェと義兄ホーファーを連れだって1787年1月11日にプラハを訪れていた。 1月15日にウィーンの友人ゴットフリート・フォン・ジャカンへの手紙で次のように書いている。
 じっさいここでは「フィーガロ」の話でもちきりで、弾くのも、吹くのも、歌や口笛も、「フィーガロ」ばっかり、「フィーガロ」の他はだれもオペラを観に行かず、明けても暮れても「フィーガロ」「フィーガロ」だ。
[手紙(下)] p.121
 この交響曲が初演されたときの反響については確かな記録が残っていないので分からない。 おそらく『フィガロ』の中の歌と似た旋律が出てきたときに聴衆は大喜びしただろうと想像できるが、しかし、一見『フィガロ』の生き生きとした素早い展開がニ長調の明るい調性で描かれている背後で、モーツァルト独特の翳りや、さまざまなモチーフが対位的に複雑に展開するなど、この曲が意外に簡単ではないことにどれほど気づいただろうか。
 
 ザスローによればこの交響曲は以前に作曲したものに比べ演奏が一段と困難で、内容の点でもいっそう挑戦的になっていて、「著しくむずかしいことで区別される」という。
 今や交響曲は、コンサートの冒頭と終わりに精緻なファンファーレを提供するという域を越えて、芸術的に深い内容を表現することが期待されるようになったのである。
[全作品事典] p.262
 この原譜は第2次世界大戦中に行方不明となったが、ポーランドのクラクフで発見され1960年になって閲覧が可能になった。その自筆譜の用紙を調べたアラン・タイソンによれば、第3楽章に用いられた五線紙はフィガロの第3幕と4幕のものと同じタイプだという。従ってフィナーレは他の二つの楽章が書かれる約半年前86年の晩冬から翌年の初春に書かれた可能性が大きいという。
 
 タイソンの推理はさらに進み、モーツアルトが「パリ交響曲」を改訂再利用する目的で新しいフィナーレを作曲したが、後になって他の2つの楽章も新たに書いたのではないかとしている。そういわれてみれば両者は調も拍子も出だしの音量まで酷似している。
 
 この交響曲はメヌエットなしの交響曲として有名だが、18世紀の交響曲では3楽章の交響曲は4楽章のものと比べて少ないということはないし、当時の理論書によれば3楽章が標準なのであり、ドイツ語圏内で言われているような「メヌエット無しの交響曲」という名称は時代錯誤ですらあるという。
 
 楽章構造上メヌエットを含んだ完全な古典派交響曲ではないにしても、イドメネオ以降主としてオペラやピアノ協奏曲における管楽器の重用、対位法や半音階への傾斜などによって「プラハ」はそれまでの古典派交響曲が達することのなかった深みを持つようになった。つまり、交響曲というジャンルは、演奏会の開始や終了を告げるファンファーレ的なものではなく、傾聴すべき芸術としての内容を呈するようになったのである。しかし、それゆえモーツアルトの音楽が難しいと敬遠されがちになったのも事実である。
 
第1楽章
 アダージョ ニ長調 4分の4拍子 → アレグロ ニ長調 4分の4拍子 
  両部分とも反復されるソナタ形式。前作「リンツ」同様、壮麗な序奏で始まる。その長さは36小節という長大なものである。ユニゾンで主音のニ音を鳴らすと続けて4度上行形で同じ二音を4度鳴らす。いわゆる「弓の一撃」を形づくっている(譜例1)。イメージ 2
 この印象的な、フイグーラーに満ちた序奏は第15小節までは、偽終止などを挟んではいるかニ長調で、旋律は自由奔放なリズムを持っている。しかし
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 第16小節以降ぱ二短調から譜例2に示したような転調を経て、第28小節でイ音のドラム・バスが現れるまで、2小節ごとの規則的な動きを見せる。
 二短調の半終止に落ち着くと、第1ヴァイオリンが、序奏の第2部分でも現れたアラ・ゾッパ(跋行リズム)の音型(動機a)を二音上で奏する。ここからアレグロが開始される(譜例3)。
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すぐに他の弦が、3度のゆったりした旋律で絡み始める(動機b)。次いでアラ・ゾッパ音型はcのような動きになり、管楽器によるモティーフdに受け継がれる。
 非常に大胆なやり方でモーツァルトは主部を開始し、しかもそこに現れるモティーフをこの楽章全体に配置させるのである。この主題は、モティーフbの反行形に近いオーボエの対旋律を纏って繰り返され、新しい素材(モティーフe=譜例4)による主部初のトゥッティが続き半終止を導く。
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その後も調の漂泊は続き、対旋律とともにモティーフcがいろいろな声部から聞こえてくる。この部分が終ると、第1ヴァイオリン主導によって、ようやく安定した本当の属調域か現れる(譜例5)。
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 展開部が始まると、冒頭主題では「フィガ口」の「もう飛ぶまいぞ」と合せて現れたモティーフdが、両ヴァイオリンによって掛け合される。これにモティーフc、次いでモティーフeまでもが絡み始め、調的に不安定な部分を生みだしている。そしてモティーフeだけが残ると転調の周期が早くなり、モティーフbのシンコペーションを共有する低弦の対旋律がそのことを強調する。
 再現部では省略がある。モティーフeをもつ主調のトゥッテイを用意した部分だが、これは「偽りの再現」として展開部で既に出てきたものだ。しかし、再現部後半は提示部属調域とほとんど変化がない。トウッティ部分は再現部で姿を見せることになる。終結部も呈示部を受け継いだものだが、モティーフbによる部分が拡大されている。モーツァルトの後期交響曲第1楽章では、再現部の女性終止は再現部においてはコーダの付加などによって、1拍目に終結の和音が来るように、すなわち男性終止に変えられるがこの楽章ではそうなっていない。
 
第2楽章 
 アンダンテ ト長調 8分の6拍子。前半のみ反復されるソナタ形式。 
 冒頭主題は,半音上に流れる長短格リズムを基礎としたもので、楽章全体の穏やかさを暗示する(譜例6)。
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 しかし、主題後半の半音階もこの楽章の特徴を示している。この主題が反復されると、譜例7のようなモティーフが示されるが、これは展開部で重要な働きをし、楽章の終結を導くものである。前作「リンツ」の緩徐楽章と同じように、冒頭主題以外において纏まりのある旋律的要素は現れない。展開部は、呈示部終結部の素材によって転調していき、冒頭主題がハ長調で呈示されることで始まる。主題は、続いてニ短調,ホ短調で吊示されるが、その
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問を挫めるのが譜例7のモティーフである。型通りの再現部が続き、展開部の重要なモティーフで終結部を形成して終る。
 
第3楽章
 プレスト ニ長調 4分の2拍子。両部分か反復されるソナタ形式。
 冒頭主題(譜例8)が「フィガロ」のスザンナとケルビーノの二重唱「早
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く開けて」と同一のモティーフで始まるのは、タイソンが推測したようにこの楽章の作曲時期を示すものなのだろうか。しかし、確かにこのフィナーレは、オペラ・ブッフアのフィナーレのような響きを持っている。ケルビーノ・モティーフともいうべきaは、呈示部(再現部)や展開部の至る所に、様々な声部に姿を見せ、まさに核細胞のように楽章全体を支配しているのである。
 属調域冒頭主題(譜例9)は,ケルビーノ・モティーフに丈配されること
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のない数少ない個所であるが、後半のモティーフbはすでに主調冒頭主題に含まれていた。この主題が終ると、残る属調域、まるでオペラ編曲を吹奏するハルモニー・バンド(管楽バンド)のような木管楽器群によるカデンツを筆頭に、モティーフaによる部分が連続する。展開部は、管楽器の保続音とヴァイオリンのトレモロに支えられた低弦の下行分散和音のパッセージとモティーフaの部分が交差する。それは、冒頭上題が主調で完全な形で現れる。しかし後にまた低弦の分散和合パッセージが姿を見せるため、それが「偽りの再現部」であるという印象を与えるのである(それとも推移部を,展開部の素材で拡大したのか9)。この他の再現は、主調への移調という必要最小限の変化の他はほぼ呈示部通りのものである。
 
※ 修辞学においては、聞き手を説得するために効果的なものの例えや言い回しが、 フィグーラ(文の彩)という形でまとめられているが、作曲家たちは これにならって音楽的な修辞フィグーラを用い始めた。そのフィグーラを感じることができるようになると、曲の解釈が容易になることもまたしばしばある。 音楽の中で用いられる代表的なフィグーラを一覧にまとめ解説を付した。(MBA音楽資料室の記事から)
 
1.Anabasis(アナバシス)
上昇音型。
 外向性、強さ、集中、上昇、肯定、明るさ、希望 etc. を表す。
2.Catabasis(カタバシス)
下降音型。
 内向性、弱さ、下降、否定、死、絶望 etc. を表す。 
3.Cyclosis(キクロシス)
同音の持続。
 平板、不動、平和、永遠、静止、静寂 etc. を表す。
4.Hypotyposis(ヒポティポシス)
音型を用いた意味の表現。
 言葉や詩的なイメージを音型で表し、音響の絵画性を強調する。
5.Parrhesia(パルヘジア)
表現豊かな不協和音。
 特に異なる声部間に現われる三全音を指す。
6.Noema(ノエマ)
対位法の中のホモフォニー部分。
 通常は協和音で構成され、歌詞を強調するために用いられる。
7.Passus duriusclulus(パッスス・デュリュースクルス)
短2度の上行または下行。
 苦難、悲しみを表す。
8.Saltus duriusclulus(サルテュス・デュリュースクルス)
不協和音程による3度以上の跳躍。
 苦難、悲しみを表す。
9.Suspiratio(ススピラツィオ) 1.休止によって旋律が分断されること。
2.奇音によって作られる不協和音。
 驚き、ため息、恐れ、とまどい等を表す。 
10.Suspensio(サスペンシオ)
2度や7度でぶつかり合う音程。
 緊張に満ちた瞬間を表す。
 
<演奏データ>
演奏: コロンビア交響楽団
指揮: ワルター(ブルーノ)
作曲: モーツァルト
CD (1999/5/21)
注意: SACDの互換機が必要です
ディスク枚数: 1
フォーマット: SACD
レーベル: ソニーレコード
ASIN: B00005G9ZR
EAN:  4988009070322
1. プラハ*交響曲第38番ニ長調 
2. 交響曲第40番ト短調 
 

今日のモーツアルト 「ピアノ協奏曲 第11番」ヘ長調 K.413

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今日のモーツアルト
ピアノ協奏曲 第11番 ヘ長調 K.413 (387a)

I.Allegro ヘ長調 3/4 ソナタ形式
II.Larghetto 変ロ長調 4/4 二部形式 (モーツァルト自身のカデンツァあり)
III.Tempo di Menuetto ヘ長調 3/4 ロンド形式 (同上)
〔編成〕 p, 2 ob, 2 fg, 2 hr, 2 vn, va, bs
〔作曲〕 1782年12月末 ウィーン
 
 
 
 
 
 
工事中
 
 
 
 
 
 
 
 
<演奏データ>
MOZART: Piano Concerto Nos. 11-13

ピアノ協奏曲第11番 ヘ長調 K. 413
I.  Allegro
II.  Larghetto
III. Tempo di Minuetto
ピアノ協奏曲第12番 イ長調 K. 414
I. Allegro
II. Andante
III. Allegretto
ピアノ協奏曲第13番 ハ長調 K. 415
I. Allegro
II. Andante
III. Allegro

ブラームスのピアノ協奏曲第1番

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フランツ・リストのピアノ・ソナタ ロ短調、ハンス・フォン・ビューローにより初演(1857)
ブラームスのピアノ協奏曲第1番初演(1859)
ドイツのバイオリニスト、アウグスト・ヴィルヘルミ没(1845〜1908)
フランスの作曲家、アンリ・デュティユー誕生(1916〜)
ジャズ・トロンボーン奏者、J.J.ジョンソン誕生(1924〜2001)
スイスのフルーティスト、オレール・ニコレ誕生(1926〜)
韓国の指揮者、チョン・ミュンフン誕生(1953)
イギリスのロック・バンド、ジャム解散(1983)

今日の作曲家 エドワード・マクダウェル

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1月23日 今日の音楽こよみ
小説家、スタンダール誕生(1783?1842)
アメリカの作曲家、エドワード・マクダウェル没(1860?1908)
ドイツの指揮者、アルトゥール・ニキシュ没(1855?1922)
サックス奏者、ハロルド・アウズリー誕生(1929?)
バルトークのピアノ協奏曲第2番初演(1933)
ドゥービー・ブラザーズのギタリスト、パット・シモンズ誕生(1950)
バイオリニスト、葉加瀬太郎誕生(1968?)
チェリスト、長谷川陽子誕生(1970?)
ロック・バンド、シカゴのボーカル/ギタリスト、テリー・キャス没(1946?1978)
(おんがく日めくりより)

 
 
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 エドワード・アレグザンダー・マクダウェル (Edward Alexander MacDowell 1860年12月18日ニューヨーク - 1908年1月23日)は19世紀末のアメリカ合衆国を代表するロマン主義音楽の作曲家・ピアニスト・大学教授。たくさんのピアノ小品や2つのピアノ協奏曲で有名。スコットランド系移民の父親とアイルランド系移民の母親の間に生まれた。なお、MacDowellの読みは、日本ではマクダウェルで知られているが、実際の発音は二重母音となり、マクダウルに近い。
 
 マクダウェル家はニューヨークで宿泊所を営んでおり、しばしば国外からの音楽家が長期滞在するのに利用していた。マクダウェル少年は、コロンビア出身のヴァイオリニスト、フアン・ブイトラーゴやベネズエラ出身のピアニスト、テレサ・カレーニョの二人にピアノと音楽の手ほどきを受け、楽才を認められた。1877年に母親に連れられてフランスに渡り、パリ音楽院より入学資格を得る。同級生にはドビュッシーがいた。
 
 しかしながら、フランスの言語や文化習慣になじめず、留学先をドイツに変更、フランクフルトのホーホ音楽学校に籍を置き、ピアノを学ぶ傍ら、校長ヨアヒム・ラフに作曲を師事、その愛弟子となる。1879年にリストが同校を訪問した際に、学生の作曲した作品によるコンサートが行われ、マクダウェルは自作のほかに、リストの交響詩のピアノ用編曲を演奏した。ダルムシュタット音楽院でピアノ教師を1年務め、1884年に、ニューヨーク出身のアメリカ人女性で、ドイツでの教え子マリアン・ネヴィンズと結婚した。
 
 1888年に請われてアメリカ合衆国に帰国し、ボストンで音楽教師やピアニストとして活動を続けた。その後にコロンビア大学に招かれ音楽学部の主任教授に就任するかたわら、男声合唱団メンデルスゾーン・グリー・クラブの指揮者なども引き受けている。公務に忙殺されるようになってからは、作曲活動を夏に限るようになった。
 
 1902年に辻馬車に撥ねられ、その後遺症により心身の病に冒され始め、教壇に復帰することができなくなる。メンデルスゾーン・グリー・クラブはマクダウェルの闘病生活のために募金を行なってマリアン夫人を支えた。1908年に全身麻痺により急死し、ニューハンプシャー州の避暑地ピーターバラに所有する山荘に埋葬された。晩年のマクダウェルは、この別荘を、文筆家や作曲家のために芸術家村として開放するプランを練っており、その遺志はマリアン未亡人の尽力によりマクダウェル・コロニーとして実現された。また、事故の年には、アメリカ文芸アカデミーの最初の会員にも選び出されている。
 
 マクダウェルは多感な時期からヨーロッパ生活が長く、そのため自らを精神的にはヨーロッパ文化、とりわけドイツやスカンジナビアの精神文化に帰化しているとさえ見なしていた。ヨアヒム・ラフやリストらヨーロッパ屈指の才能との親交が、その自己評価に拍車をかけた。同時代のアメリカ合衆国については文化水準の低い国と看做しており、自分はアメリカ楽壇を指導するために帰国したのだと考えていた。その考えから、アメリカ音楽の発展のために、同郷人で自分と似たような経歴を持つアメリカ人作曲家ジョージ・テンプルトン・ストロング・ジュニアに帰国を要請し、一時的にそれを実現させている。
 
 ヨーロッパ時代に作曲された作品は、このため、メンデルスゾーンやシューマン、ショパンなどの影響が色濃く表れ出ている。自らが演奏するために作曲したピアノ協奏曲は、自分と同名のグリーグへの傾倒のもとに作曲されており、とりわけ第1番は、調性や曲想などにグリーグ作品との類似が指摘できる。グリーグからの影響は、帰国後の作品である4つの副題つきピアノ・ソナタにも当てはまる。リストの影響は、初期のいくつかの交響詩や、帰国後の2つの管弦楽組曲に認められ、恩師ラフ譲りの卓抜なオーケストレーションが印象深い。
 
 マクダウェルは交響曲や室内楽の本格的な創作には興味を示さず、ブラームスやドヴォルザーク、第2次ニューイングランド楽派の作曲家については、その才能は認めるが作品は評価しないという態度で臨んだ。しかしながら、例外的にチャドウィックの諸作品を高く評価し、特に、スコットランド系・アイルランド系移民のもたらした民謡にインスピレーションを得る姿勢を、チャドウィックに倣っている。帰国後のマクダウェル作品、とりわけ1890年代から1900年代に作曲されたピアノ曲や歌曲に、民族音楽を思わせる音組織やリズムが目立っているのは、そのためである。マクダウェル作品の中でもっとも有名な《野ばらに寄す》は、このような作例のひとつに過ぎない。
 
 一方で、成熟期のチャドウィックやゴットシャルクが黒人やカリブ海の民族音楽に開眼していったのに対して、晩年のマクダウェルは、アメリンディアン(アメリカ先住民)の民謡を和声付けするという手法で作曲にも取り組んだ。《管弦楽組曲 第2番》がその最も有名な例である。
 
 歌曲の作曲はドイツ時代から取り組んでおり、そのためドイツ語の詩に数多く曲付けした。中でもお気に入りの詩人はゲーテとハイネであった。一方、メンデルスゾーン合唱団のために作曲された無伴奏合唱曲は、英語詩を用いて作曲されている。
 
※ ウィキペディアより転載した。 
 
 
<演奏データ>
マクダウェル:ピアノ作品集 第1集 森のスケッチ 他 
マクダウェル (作曲), ジェームス・バルバガッロ(Pf.) (演奏) | 形式: CD
演奏: ジェームス・バルバガッロ(Pf.)
作曲: マクダウェル
CD (2008/5/9)
ディスク枚数: 1
レーベル: Naxos
ASIN: B0017UB5LU
EAN:  4945604590105

今日のモーツアルト 「ピアノ協奏曲 第12番」 イ長調 K.414

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今日のモーツアルト
ピアノ協奏曲 第12番 イ長調 K.414 (385p)

I.Allegro イ長調 4/4 協奏風ソナタ形式
II.Andante ニ長調 3/4 序奏をもつ二部形式 協奏風ソナタ形式
III.Allegretto イ長調 2/4 ロンド形式
■編成 p, 2 ob, 2 hr, 2 vn, va, bs
■作曲 1782年秋 ウィーン
 
 
1月24日 今日の音楽こよみ
イタリアの歌手、ファリネリ誕生(1705〜1782)
ヴィンチェンツォ・ベリーニのオペラ『清教徒』初演(1835)
ジャズ・サックス奏者、ジミー・フォレスト誕生(1920〜1980)
ロシアのバイオリン/ビオラ奏者、ユーリ・バシュメット誕生(1953)
スイスのピアニスト、エドヴィン・フィッシャー没(1886〜1960)
グループサウンズのタイガース解散(1971)
アメリカの歌手、ジーン・オースティン没(1900〜1972)
ジャズ・ピアニスト、キース・ジャレット、『ケルンコンサート』録音(1975)
 
 
洗足学園音楽大学 Senzoku Gakuen College of Music

"We musicians would like to contribute as much as we possibly can to the recovery from the tragedy of the Tsunami.
We should always remember that music can help enormously both spiritually and materially.
We do all we can to help."

Vladimir Ashkenazy

 わたしたち音楽家は、津波の悲劇からの復興のために出来得る限り貢献したいと考えてい ­ます。
われわれは、音楽が精神的、物理的両側面において、極めて有効な支援となることを常に ­喚起すべきです。
わたしたちは支援のために、出来ることは全て実行します。

ウラディーミル・アシュケナージ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
<演奏データ>
モーツァルト:ピアノ協奏曲第12番&第13番
ブーニン(スタニスラフ) | 形式: CD
演奏: ブーニン(スタニスラフ), イ・ソリスティ・ヴェネティ
指揮: シモーネ(クラウディオ)
作曲: モーツァルト
CD (2006/10/25)
ディスク枚数: 1
レーベル: EMIミュージック・ジャパン
収録時間: 50 分
ASIN: B000HOJB8G
EAN: 4988006847910
1. ピアノ協奏曲第12番イ長調 K.414 第1楽章:アレグロ~カデンツァ    
2. ピアノ協奏曲第12番イ長調 K.414 第2楽章:アンダンテ~カデンツァ    
3. ピアノ協奏曲第12番イ長調 K.414 第3楽章:アレグレット~カデンツァ    
4. ピアノ協奏曲第13番ハ長調 K.415 第1楽章:アレグロ~カデンツァ    
5. ピアノ協奏曲第13番ハ長調 K.415 第2楽章:アンダンテ    
6. ピアノ協奏曲第13番ハ長調 K.415 第3楽章:アレグロ~アダージョ~アレグロ 

今日の演奏会 オルフ/カトゥリ・カルミナ、カルミナ・ブラーナ

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今日の演奏会
NHK交響楽団第1774回 定期公演
 
2014年1月25日(土) 開場 5:00pm  開演 6:00pm
NHKホール
オルフ/カトゥリ・カルミナ*
オルフ/カルミナ・ブラーナ**
指揮:ファビオ・ルイージ
ソプラノ:モイツァ・エルトマン
テノール*:ヘルベルト・リッパート
テノール**:ティモシー・オリヴァー
バリトン**:マルクス・マルクヴァルト

合唱:東京混声合唱団
合唱**:東京藝術大学合唱団
児童合唱**:東京少年少女合唱隊
 
 
小澤征爾 指揮 ベルリンフィルハーモニーオーケストラ
 
 
Carmina Burana Carl Orff De Singel Antwerp 2011 - Antwerp 2011 Stadsschouwburg
Conductor: Paul Dinneweth
Choir: Royal Chorale Caecilia Antwerp - assistant: Peter Maus
Voice Coaching: Kristien Vercammen
Royal Gente Oratorio Society - Conductor: Jan Vuye - coaches: Tom Van Der Biest - John De Wilde.

Beauvarletkoor Kokzijde - Conductor Griet De Meyer
Children's Music Wilrijk - Conductor Marleen Willems
Orchestra La Passione Lier - Vera From Eyndhoven - Concert Master: Wietse Beels - Hilde
from times

Soprano: Martine Reyners - Tenor: Philip Defrancq - Baritone: Joris Derder
Camera: Leo De Borger - Antoine Luyten - Freddy Van Bulck - André Van Rompaey - Constant Biscop - Roger Torfs - Jean Averals - Freddy Longueville - Willy Verhasselt
Sound Director: Dirk Goetseels
Mounting: Antoine Luyten
 
 
 Carl Orffs Carmina Burana with our chief conductor Krzysztof Urbański and the Trondheim Symphony Orchestra.This is the enitre concert! (full concert)

Soloists:
Lina Johnson, soprano
Michael Weinius, tenor
Fredrik Zetterström, baritone

Choir:
TSO Vokalensemble
Nidarosdomens Oratoriekor
Nidarosdomens Jentekor
Ad Libitum

Foto and editing: Eivind Rossbach Heier and Andreas Holskil
Fortuna Imperatrix Mundi (Fortune, Empress of the World)
日本デビュー前のウルバンスキ-ですね
 
 
  ファビオ・ルイージは確かに力のある指揮者ではある。しかし、事前に小澤征爾とウルバンスキー、オイゲン・ヨッフムを聞いていたせいで気になることが散見した演奏でもあった。
 
 それでも久々に合唱を聞いて、力強さとオーケストラでは出せないハーモニーとオルフならではの荒々しさ力強さ、微妙な表現の数々と人間賛歌に満ちた音楽は聞いていて幸せな気分になれた。
 
 普段はあまり聞くことのできないカトゥリ・カルミナについてNHK交響楽団のホームページから記事を転載する。

 同世代のストラヴィンスキーやヒンデミットに影響を受けながらも、カール・オルフが《カルミナ・ブラーナ》で切り拓いた原始的なリズムと音響・旋律の世界は、作曲家としての新境地を示すものとなった。オルフは、過去の作品をお蔵入りにした上で、この様式のさらなる洗練を目指す。1930年、オルフは古代ローマの詩人であり、ユリウス・カエサルやキケロとの同時代人でもあったガイウス・ヴァレリウス・カトゥルス(紀元前84?~紀元前54)による古代ラテン語の詩7篇に無伴奏合唱(ア・カペラ)の音楽をつけていた。1943年にはこのうちの6曲を改作し、さらに6曲を付け足して、「劇的演技(Ludi Scaenici)」というタイトルをもつ舞台付カンタータへと生まれ変わらせる。オーケストラも《カルミナ・ブラーナ》のような大編成ではなく、ピアノ4台と打楽器だけとされ、楽曲の原初性は極限まで推し進められた。
  カトゥルスが、不実な恋人レズビア(貴族の夫人に与えた、サッフォーの詩に基づく偽名)へ寄せる愛情を表わす詩は三つの幕に再構成され、性愛の悦びが、時には打楽器で荒々しく、時にはア・カペラで声高に賛美される。曲の最初と最後に、この三つの幕を挟み込むようなかたちで同じ楽曲が置かれる(終結部のほうはごく短いが)のは、《カルミナ・ブラーナ》と同様。若い男女が交歓の悦びを歌うものの、その傍らでは前作での「運命の女神」の役割を担わされた老人が、そんな若い男女の営みをくだらぬものとして切り捨て、愛とその儚さが同時に描かれる。
  この後オルフは、《カルミナ・ブラーナ》《カトゥリ・カルミナ》、そして1953年に初演された大管弦楽による《アフロディーテの勝利》を「三部作」としてまとめるが、《カルミナ・ブラーナ》以外の二作はめったに上演されず、今回の演奏は貴重な機会となる。
 
 作曲年代:1930年、1943年
 初演:1943年11月6日、ライプツィヒ歌劇場。パウル・シュミッツ指揮
                                    (広瀬大介記)
 
<演奏データ>
オルフ:カルミナ・ブラーナ 
プレビン(アンドレ) | 形式: CD
演奏: ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮: プレヴィン(アンドレ)
作曲: オルフ
CD (2002/9/25)
ディスク枚数: 1
レーベル: ユニバーサル ミュージック クラシック
収録時間: 63 分
ASIN: B00006BGTI
EAN:  4988005310002
1. カルミナ・ブラーナ*勝利 

今日の一曲 オペラ『ばらの騎士』

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今日の一曲
リヒャルト・シュトラウスのオペラ『ばらの騎士』
 
1月26日 今日の音楽こよみ
モーツァルトのオペラ『コシ・ファン・トゥッテ』初演(1790)
バッハの息子で作曲家のヨハン・クリストフ・フリードリヒ・バッハ没(1732〜1795)
ボロディンの弦楽四重奏曲第2番初演(1882)
リヒャルト・シュトラウスのオペラ『ばらの騎士』初演(1911)
イギリスの天才女流チェリスト、ジャクリーヌ・デュ・プレ誕生(1945〜1987)
ロック・ギタリスト、エディ・ヴァン・ヘイレン誕生(1957〜)
ロック歌手、山下久美子誕生(1959)
イタリアのソプラノ歌手、トーティ・ダル=モンテ没(1893〜1975)
 
This production of Richard Strauss' "Der Rosenkavalier" by Oscar-winning film director John Schlesinger, marked the 25th anniversary of Sir Georg Solti's spectacular debut at Covent Garden. Featuring Kiri Te Kanawa's first performance in London in the role of Marschallin.

Recorded 14th February 1985.
 
 
 
  『ばらの騎士』(薔薇の騎士、原語:Der Rosenkavalier)作品59はリヒャルト・シュトラウスの作曲したオペラである。この作品はワーグナーの後期のオペラに比肩する長大な作品規模と大掛かりな管弦楽ゆえにしばしば楽劇と呼ばれるが、これはシュトラウス自身の命名ではない。出版時のタイトルは Komödie für Musik in drei Aufzügen:Der Rosenkavalier(3幕の音楽のための劇『ばらの騎士』)とあるに過ぎない。台本はフーゴ・フォン・ホーフマンスタールによる。
 
  シュトラウスは、ホーフマンスタールと既に『エレクトラ』で共作していたが、それは既に上演された舞台戯曲にシュトラウスが曲をつけただけであった。それゆえこの『ばらの騎士』こそがシュトラウスとホーフマンスタールの2人の大家による長年の実り豊かな作品の実質的に最初の共同作業となった。作曲は1909年初めから1910年にかけて行われた。
 
  当初ホーフマンスタールの発案で男装の女性歌手を起用した軽い喜劇的な作品として計画されたが、2人の夥しい数の往復書簡(下記の日本語訳文献に詳しい)を中心とした議論の末、最終的に現在の形としてまとめられた。タイトルの「ばらの騎士」とは、ウィーンの貴族が婚約の申込みの儀式に際して立てる使者のことで、婚約の印として銀のばらの花を届けることから、このように呼ばれる。
 
   物語当時の貴族の間で行われている慣習という設定であるが、実際にはホーフマンスタールの創作である(「このオペラでは一見本物に見えるものが実は虚構なのです」とホーフマンスタールは言っている)。
 
  音楽内容的には、「モーツァルト・オペラ」を目指したものである。物語の舞台はマリア・テレジア治世下のウィーンに置かれ、ロココの香りを漂わせつつ、遊戯と真実を対比させた作品として仕上げられた。プロットが『フィガロの結婚』と似ているのはこのためである。物語に即して『サロメ』、や『エレクトラ』(部分的には無調ですらあった)の激しいオーケストレーションや前衛的な和声はすっかり影を潜め、概して親しみやすい平明な作風で書かれている。声楽パートも「吼える二匹のケモノのような」(とホーフマンスタールが揶揄した)ワーグナーのドラマティックなものから、モーツァルト的な、リリックな歌唱スタイルになっている。
 
  カット無しの演奏時間は、約3時間20分(第1幕75分、第2幕60分、第3幕65分)。このオペラは筋立ては貴族達の恋愛がテーマのコメディ作品でありながら、全3幕からなる非常に大規模で演奏困難なオペラである。第1幕・第2幕はウィーンの貴族の屋敷内に、第3幕は居酒屋・宿屋に設定されている。作品の主要な人物4名のうち3名が第1幕で登場し、残る1名が第2幕で登場、第3幕では最後に全員が揃い、物語の完結を迎える。
 
  バレエは当初挿入される予定であったが外され、合唱も大きな役割は持たない。主要な4人に次ぐ役が3、4人おり(ただし比重は4人に比べて格段に低い)、ソロ又は重唱で歌う役は名の無い役も含め28人を数える。そのほかに黙役のオックス男爵の庶子等も必要である。1幕に登場するテノール歌手は端役ではあるが、場合によっては特別にスター歌手を呼び舞台に華を添える事もある。
 
  このオペラは長大で難しいため、上演のみならず録音でもしばしば慣習的にカットが行われている。これはシュトラウス自身が認めていたものである。なお、ほとんどが重唱曲でアリアは一切なく、テノールは第1幕でかなり揶揄的な扱いで登場するのみであるなど、シュトラウスのイタリアオペラ嫌いがかなり反映されている。
 
  また、2人の小悪党がイタリア人として設定され、オクタヴィアンもロフラーノという姓からイタリア系貴族であることが暗示されており、オックスが怒りのあまりイタリア人差別的な言葉をわめき散らした後、2人がオクタヴィアン側に寝返る伏線となっている(基本的には金で転んだのだが)。
 
  これらは、ハプスブルク帝国が中東欧や北イタリアへ支配を広げた結果、イタリアをふくむ非ドイツ系貴族の一部がドイツ風の名乗りでオーストリア宮廷に仕えていた当時の状況を反映している。なお、シュトラウスのイタリアオペラ批判は、後年、自ら台本にも加わった最後のオペラ『カプリッチョ』で、より徹底的な形で(擁護的な立場も取り入れる一方、揶揄の描写としては遥かに痛烈に)繰り返されることになる。
 
   初演は入念なリハーサルの後1911年1月26日、ドレスデン宮廷歌劇場で、エルンスト・フォン・シューフの指揮、ゲオルク・トラーとマックス・ラインハルトの演出により上演され、未曾有ともいえる大成功を収めた。すでに作曲家としての地位を確立していたシュトラウスの新作に対する世間の期待は高く、ウィーンからドレスデンまでの観劇客用特別列車が運行されたほどである。引き続き50回におよぶ再演が続けられたほか、ベルリン宮廷歌劇場、プラハ歌劇場、バイエルン宮廷歌劇場、ミラノのスカラ座など主要な歌劇場でも立て続けに上演され、いずれも好評をもって迎えられた。
 
  それまでのシュトラウスの前衛的な作風に好意を示していた批評家や作曲家たちからは、本作は「時代遅れ」で「大衆迎合的」だと批判されたが、聴衆の支持は絶大で、今日ではシュトラウスの代表作と見なされているばかりか、ドイツ圏の主要歌劇場や音楽祭において最も重要なレパートリーの一つに数えられる。大作であり歌手への要求項目も多いため、水準の高い上演は容易ではないが、各歌劇場がこぞって意欲的に取り組むこともあり、録音や録画でも多くの演奏が残されている。海外でも人気は高く、比較的小規模上演の可能なモーツァルト作品や『こうもり』などに伍して最もよく上演されるドイツオペラのひとつである。
 
  有名な上演としては、カラヤン指揮ウィーン・フィルによるザルツブルク祝祭大劇場杮落とし公演(1960)や、カルロス・クライバー指揮による公演(バイエルン国立歌劇場及びウィーン国立歌劇場)が挙げられる。
※ ウィキペディアから一部を転載した。
 
<演奏データ>
クライバー(カルロス) (指揮), ウィーン国立歌劇場合唱団 (アーティスト) | 形式: DVD
出演: クライバー(カルロス), ウィーン国立歌劇場合唱団
形式: Color
字幕: 日本語
リージョンコード: リージョン2 (このDVDは、他の国では再生できない可能性があります。詳細についてはこちらをご覧ください DVDの仕様。)
画面サイズ: 1.33:1
ディスク枚数: 2
販売元: ユニバーサル ミュージック クラシック
DVD発売日: 2002/06/26
時間: 193 分
ASIN: B0000677GJ
EAN:  4988005302977
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